第19話 つぼみのままでいて
ナギサちゃんが、寝込んだ。
青薔薇病による、免疫力の低下。文化祭の準備が忙しく、体調を崩した。
温もり不在の学校は、はじめてだ。
本当は、帰って看病をしたい。
熱で弱った姿がかわいいし、永遠に見ていられる。
だけど、お嬢様に口酸っぱく諭された。
台本を書いたのは、私。必然的に、確認作業も任される。
大道具の雰囲気は合っているか。出来栄えに問題ないか。演技の指導。タスクはいっぱい。
認めたくないけど、実質上の監督ポジションだ。
一日休むだけでも、進捗に影響が出る。
「……はぁ。寂しい」
指示を出すけど、雑談は一言もない。
みんな、遠慮しているのかな。まあ、仕方ないか。私だし。
つくづく、実感する。鳥海恵巳は兎本ナギサ経由でしか、クラスメイトと繋がっていない。
「早く……帰りたい」
恋しさのあまり、左手首を見遣る。
今はリストバンドで隠しているけど、刻まれている。誓いの証。
「お前、手首を見て、なにしてるんだ……?」
「あ、ヴァンパイアくん。どうしたの? トマトジュースで我慢できる?」
「俺は血を吸わねえよ。演じているだけだ」
ツンツンくんの顔は、普段通りに不愛想だった。
顔の腫れは治まっているけど、長袖はそのままだ。
こいつの家庭事情は、噂で聞いた。
父親の暴力が酷い上、母親は宗教に傾倒しているとか。出産時は、両親とも高校生だったらしい。小学校時代からクレーマーとして有名で、担任が潰されたこともあるとも聞いた。
私だったら、さっさと自死を選んでるかな。
「なあ、聞いていいか?」
「何? 夏休み前、私を無視していた癖に」
「……悪かったよ」
あら、意外と素直。
「まあ、許しましょう。私は大人なので」
「はいはい。そうかよ」
相変わらず、生意気な態度だ。
「それで、何を聞きたいの?」
「俺が演じるヴァンパイアなんだが、名前がおかしくないか?」
「え、キュララン。かわいいじゃん」
ドラキュラからとってるし。
「こいつ、王子様キャラだろ。ファンシーすぎないか?」
「そこがいいの。毒親感が出る」
「そんな設定、あったか?」
そっか。
台本には登場しない身の上話だ。
「キュラランの両親は、DQNな吸血鬼夫妻なの」
「DQN……」
「子供を抱きしめないどころか、邪険にしてる。DVも日常茶飯事で、逃げ出したの」
「えぐいな」
かわいそうな方が応援できるから、過去は詳細に設定した。
正直、本編の執筆より楽しかったかも。
「女の子を襲う理由は、寂しいから。本当は受け入れて、守って欲しい。でも、不器用すぎて、本当の自分に気付いていない」
「守ってほしい、か」
「だから、出会い頭に殴ってきた主人公に、恋をしたの」
「強いからか?」
「情けないけどね」
私の要素が混入しているし、仕方がない。
「そう……だよな。俺もだ」
「どうしたの?」
「……こいつも、苦労してるんだな」
ツンツンくんは、捨て犬を愛でるような眼差しで、台本を眺めていた。
面倒だし、深掘りはやめておこう。
「他に聞きたいこと、ある?」
「こいつはなんで、死にたいんだ?」
あれ? そこを疑問に思うんだ。
「……死にたい想いに、理由が必要?」
「いや、あるだろ。絶対」
「うーん。そっか」
答えを出すまでに、一呼吸もかからなかった。
きっと、無意識に出していた結論を、引き出しただけなんだ。
「世界に、否定されてる気がするから」
「……なんだそれ」
「生きる理由がない。居場所がない。ずっと、息苦しい。体だけが、生きようとしてる。死んだ後の方が、魅力的に見えてしまう。そんな心境かな」
「すこし……わかるな」
「役に立った?」
「ああ。見ていてくれ」
返事も聞かず、ツンツンくんは演技をはじめた。
主人公以外に愛されないヴァンパイア。キュララン。
何度目の当たりにしても、圧巻だ。
指先の動きひとつで空気を変え、吐息は生き生きとした感情を伝播させる。
目の前で叫ぶ学生は、ツンツンくんでも、キュラランでもない。
混ざって、曖昧になってる。
息を整えながら、顔を上げる。
「演劇って楽しいな! 全部、忘れられる!」
まるで、はじめて逆上がりに成功した子供のような、笑顔。
ああ。
おかしいよ。
お願い。
私の目を、潰さないで。
「ごめん。よかったけど、帰る」
「おいっ!」
肩をすぼめながら、影の長い校門をくぐった。
ツンツンくん、勝手に変わっちゃった。
最悪。
すぐさま、彼女に会いたい。
玄関を開けた記憶どころか、靴を脱いだ余韻もない。
気がついたら、ナギサちゃんを抱きしめていた。
「ただいま」
「おかえりなさい。ちょっと早いですね。何かあったんですか?」
「……私、ナギサちゃんがいないと、ダメ」
「ふふふ。頑張ってえらいですね」
心が落ち着いて、部屋を見渡す。
夕日に照らされた、パジャマ姿の少女。
汗ばんだ肌。
マスクに隠れた、お口。
加湿器が鳴らす、沸騰音。
生姜湯の香り。
療養中の、不穏な空気感。
喉が渇いて、胃が締めつけられた。
「ねえ、汗かいてない?」
「さっきまで寝ていたので、ちょっとだけ」
「ねえ、ナギサちゃん。体、拭かせてくれない?」
「……え? 疲れてませんか? 後でも――」
「ごめん。今すぐ、拭きたい」
「え、でも……」
「お願い」
手を合わせて、お願いした。
「……はい。わかりました」
ベッドに座らせて、ボタンを開ける。
私の心音が衣擦れ音をかき消して、わずらわしい。
緑の痣は、首元まで伸びていた。
全身に広がると、末期に至る。青薔薇が全身の活力を吸い上げて、患者を殺す。
「文化祭って、大事な思い出だ」
「やっと気づきましたか?」
「……うん」
カレンダーを、横目で確認する。
9月の頭。文化祭の日には、2つの丸がつけられている。
もうひとつは、何だっけ。まあ、いいや。今は、お嬢様で頭を埋め尽くしていたい。
「ひとりで死なないでよ」
「大丈夫ですよ。恵巳さん」
「絶対?」
「はい。絶対です。恵巳さんもお願いしますね?」
「自信、ないけど」
「お願いしますね。あなたがいない世界なんかで、生きたくありませんから」
「……うん」
濡れタオルを絞ると、水音が響いた。
ほどよい温度まで冷ましてから、拭いていく。
背中と、肩。胸。お腹。ふとももに、指の間。
手首と、首元。私が刻んだ傷痕は、念入りに、何度も。
「……くすぐったい、です」
湯気みたいな、おぼろげな声だった。
「今日の恵巳さん、おかしい、です……」
「10時間も、離れ離れだったんだもん。手首の傷がないと、耐えられなかった」
タオル越しに首を撫でると、唾が通る過程を感じ取れた。
「ふふふ。どうしようもない大人ですね」
「ナギサちゃんのせい」
「そうですね。ちゃんと、責任をとって、一緒に死にますから」
「……うん」
やっぱり、私の居場所は、ここなんだ。
着替えを用意していると、気づいた。
肩甲骨に、つぼみ。
青薔薇が咲き、私の前歯が、摘み取った。
翌日。
ナギサちゃんが回復し、温かい学校生活が戻ってきた。
文化祭の準備が、進む。
テストとの両立に頭を抱えながらも、クラス全体で一致団結していた。
サイコーの舞台になる。
若々しい予感とともに、教室の空気は熱を帯びていった。
そして、文化祭、3日前。
ツンツンくんが、屋上から、落ちた。




