第17話 ひまわりをかみ砕く
半裸の偉丈夫が、雄たけびを上げた。
作り物のたてがみが震え、サバンナの草原が広がる。
原始的な化粧を施した、民族たち。
キリンを真似た人。
産毛がしびれるような、猛々しい声。
雄大で勇ましい、世界観。
背中から伝わる椅子の感触で、我に帰った。
のめり込んでいた自分が怖くて、首を90度回す。
目に入った光景は、大自然と対照的な、麗しい横顔だった。
薄暗い劇場。舞台から差し込む光が、陰影を生んでいる。
ただでさえナギサちゃんは儚げなのに、今は綿毛みたいに飛んでいきそう。
頬が熱くなり、手に持ったパンフレットを見遣る。
表紙に描かれたロゴを撫でると、眉間に皺が寄った。
舞台『ライオンキング』。
文化祭の台本作成は、最初から行き詰った。
3日も悩んでいるのに、1文字すら進んでいない。
見かねたお嬢様に連れられて、劇団に足を運んだ流れである。
「迫力満点でしたね」
「……うん」
幕が閉じて、劇場を出る。
帰り路に見かけたカフェに入り、飲み物をオーダーした。
私はミルクティーで、彼女はアメリカンコーヒーだ。ブラックなんて、よく飲める。
クラシックを聞きながら、カップを傾けた。茶葉の香りとミルクのコク深さが広がり、神経を満たす。
鼻息をゆっくりと吐き出すたび、肩の力が抜けていった。
だけど、胸の中では、焦燥感が這いまわっている。
「……はぁ」
ため息で、薄茶色の水面が揺れる。
反射した自分の顔が目に入り、より一層、気分が沈んだ。
「ダメでしたか……?」
「私はホラーとかサスペンス映画のほうが好きかなぁ。馴染めない」
私の知っている現実と、乖離しすぎている。
他の生き物を尊重しても、家族を大切にしても、自分の首を締めるだけ。
現実は、冷たい。生きるだけで精一杯だ。
「難しいですね」
「……やっぱり、無理だって。私が話を書くなんて」
「大丈夫ですよ。恵巳さんなら、絶対に最高の作品が作れますよ」
「買いかぶりすぎだよ」
シナリオの執筆どころか、ストーリーを構築した経験すらない。
救いを求めて、まず、図書館に足を運んだ。
テーマ。アウトライン、メインプロットに、サブプロット
箱書き。起承転結。序破急。三幕構成
ブレイクスナイダービートシートに、ヒーローズジャーニー。
全部、シナリオの本で目にした、専門用語だ。
訳が分からない。
まるで夜の学校に迷い込んだ気分で、逃げ出すしかなかった。
「テーマかぁ」
書きたい話も、伝えたい想いもない。
私にあるのは、ひとつの願い。ただ、ナギサちゃんと墜ちたいだけ。
「いっそのこと、ホラーでもいいですよ。お化け屋敷を劇にするんです」
「……手間、えぐくない?」
「きっと楽しいですよ。やりがいたっぷり」
「いやだー。絶対大ブーイングされるー」
そもそも、人の恐怖を引き出す自信がない。
悩めば悩むほど、自分の空っぽさに嫌気が差す。
「いっそのこと、有名な台本をいじるだけにしよっかな……」
「それはダメです」
凛とした否定だった。譲らない時の声だ、これ。
「……なんで?」
「他人が考えたセリフなんて、演じたくありません」
「いいじゃん。不出来なシナリオよりはマシだし」
「気持ち悪いので、断固拒否します」
「……そっか」
ナギサちゃんの態度は、まるで子供を守るメスライオンのようだ。
想いは嬉しいけど、困る。
「……ライオンかぁ」
「どうしたんですか?」
正直、ライオンキングより、百獣の王本人に興味がある。
気ままに狩りをして、生きる。
いつ死が訪れるかわからない、野生。そそられる。
なにより、あの瞬間が気持ちよさそう。
「首を、噛んでみたい」
自然と、口に出ていた。
おねだり未満の、願望。
コーヒーカップを置く音が、下品に響いた。
驚きのあまり、ナギサちゃんの顔を伺う。お嬢様の指が、自らの鎖骨を撫でていた。
「いいですよ。私の首、噛んでください」
「あ、え? ごめん、そんなつもりじゃ」
「嫌なんですか?」
「あ、えっと……噛みたい、けど……」
「じゃあ、家に帰りましょうか」
「……うん」
ミルクティーを飲み干しても、甘さを感じなかった。
会計を済ませ、自動ドアをくぐり、無言で歩く。
お嬢様は、普段よりも早足だ。
うなじを凝視しながら、ついていく。
帰宅した頃には、ふくらはぎがパンパンに張っていた。
「汗をかいたので、シャワーを浴びていいですか?」
「入浴中のほうがよくない?」
服や床が、血で汚れる可能性がある。
「……たしかに。すぐに沸かしますね」
「うん、お願い」
「手洗いとうがいも、お忘れなく」
「りょーかい」
「あと、歯磨きも。念入りに」
「……うん。そうだ、ね」
無心で歯ブラシを上下させていると、すぐに時間が過ぎた。
いつもは気にも留めない、給湯終了のチャイム。キラキラ星だったんだ。
服を脱ぎ、湯船に浸かる。
大自然を舞台にした劇を見た後だと、解放的だ。
「……失礼します」
「どうぞ」
一緒にお風呂に入った回数は、両手の数でも足りない。
なのに、ナギサちゃんの動きはぎこちなかった。
卵のように抱きしめると、我慢の限界に達する。
「いくよ」
「……はい」
顎を開き、傷ひとつない首筋へ、近づける。
ふと、ライオンの姿が、浮かんだ。
彼らは鋭い牙で、シマウマを仕留める。
同じ、行為。
「――あっ」
顎に力を入れた瞬間、脳が吠えた。
歯を伝って、ナギサちゃんの血流が、伝わる。
ライオンキング。
生に満ちた、物語。
私の心は、許せなかった。
物語が終わっても、主人公の人生は続く結末が。
感動させるなら、責任をとれ。
キャラの人生も、終わらせろ。
耳障りのいい讃美歌なんて、嫌いだ。信用できない、まがいもの。
この世界は、生きているだけで苦しい。みんな、目を背けているだけ。
見ろ。
しっかりと、焼きつけろ。
目前の地獄を。苦しんでいる、人間を。
鳥海恵巳は、生きている瞬間が当たり前だと、思いたくない……?
ううん。
違う。
ズレてる。
…………そうか。
わかってきた。
叫びたいんだ。
幸せに生きる未来は、当たり前じゃない! って。
だから、私は。
――救いのない物語を、紡ぎたい。
「……恵巳さん、強すぎ……です」
水面に広がっていく、一筋の朱色。
私の脳内で、シマウマが、死んだ。
夜。
パソコンに向き合った。
がむしゃらに、書いていく。
セリフ。情景。ト書き。注釈。
明朝。
改めて読むと、文章も物語もメチャクチャすぎて、思わず笑ってしまった。
なんだ。
創作って、救いがないじゃん。
だからこそ、かな。
ちょっと、楽しくなってきちゃった。




