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第14話 雌花は花弁の外を知らない

 夏休みも、折り返しだ。

 すでに、宿題の終わりが見えている。


 これもすべて、ナギサちゃんのおかげだ。

 私ひとりだったら、計画も立てられないし、引き伸ばしにしていた。


 なんだか頭がよくなった気分。


 宿題が終われば、自由時間が増える。

 でも、何をしようかな。

 今のままでも、十分に満足しちゃってる。


 ナギサちゃんと雑談して、ナギサちゃんの手料理を味わい、ナギサちゃんに観察され、ナギサちゃんの子守歌で眠る。


 ずっとずっと、兎本ナギサだけの生活。



「すみません。恵巳さん」

「どうしたの?」



 目に入る、バツが悪そうな顔。



「今日、病院に行ってきます」

「え、調子が悪いの?」

「いえ。お薬をもらわないと……。最近、酷くなってきたので」

「……ああ」



 青薔薇病。

 ナギサちゃんの命を蝕む、病気。

 症状は、緑色の痣から青薔薇が咲き、衰弱するだけじゃない。

 痛みや嘔吐感も伴う。


 週に平均5本咲いていた青薔薇も、今や14本。

 日常生活を送るためにも、症状緩和は必須だ。



「お留守番、お願いしますね?」

「……うん」

「トイレは大丈夫ですか?」

「さっき行ったばかりだから」

「飲み物は、テーブルの上に置いてありますから」



 全部管理されていて、まるでペット扱いだ。

 でも、すごくいい。指先が甘くて、ムズムズする。



「ナギサちゃん、気を付けてね。まだ、一緒にいたいから」

「はい。大丈夫ですよ。3時間で帰ってきますから」



 地震や火事が怖いからと、手錠の鍵を渡された。



「いい子でいてくださいねー」



 手を振って、見送る。

 ドアが閉まる音。静寂が続き、ため息が漏れ出た。



「なんだかなぁ」



 首を回すと、部屋が広く感じた。


 ゴミひとつない床と、ハンガーにかかった制服。

 全ての日用品が整理整頓され、不衛生の欠片もない。

 お嬢様らしい清らかさに満ちている。


 でも、今、あの子(・・・)はいない。


 私の温もり……。



「……宿題、しよ」



 全部終わらせれば、ナギサちゃん、驚くかな。

 妄想しながら、ペンを動かす。


 逃げるように集中すると、早かった。

 3時間ぐらいで、終わった。終わってしまった。



「よーし! 完了だっ!!!」



 歓声を上げても、背伸びしても、褒めてくれる人はいない。

 


「……外で待っていよう、かな」



 そろそろ帰ってくる時間だし、一秒でも、早く会いたい。


 そうだ。

 せっかくなら、出会いのシーンを再現しよう。

 部屋の前で膝を抱えて、泣いているふり。立場は逆だけど、ロマンチックじゃない?


 足首の拘束を外して、靴を履く。

 半月ぶりの感覚に戸惑いながら、ドアノブを握った。

 手首を回した瞬間、全身を包む、強烈な違和感。


 

「そと……」



 手が、震える。

 ドアを押せない。


 心臓の音が、頭の芯まで響く。



「あ、れ……?」



 視界が、歪む。お腹の底から気持ち悪い。

 耳も、キーンってする。

 意味わかんない。なんで、いきなり……?


 空気が悪いのかな。


 じゃあ、外に出ればきっと――



「……ぁ」



 まるで、飛行機の非常口をこじ開けた気分だった。


 風が入り、匂いが変わる。


 何十もの音が、耳に入った。

 人が、いる。

 ナギサちゃん以外の生物が、たくさん。


 そうだった。

 意味わかんないぐらい、世界は広い。


 そして、私に優しくないんだ。

 誰も助けてくれないし、居場所もない。 



「ナギサちゃん……ナギサちゃん……」



 震えも涙も、激しくなる一方。


 部屋に戻り、あの子が寝ている布団を、取り出す。


 顔をうずめると、優しく包んでくれた。

 甘くて、爽やかで、品のある、香り。


 ほんのわずかに落ち着きを取り戻し、時計を確認する。

 すでに、ナギサちゃんの帰宅時間。


 でも、いない。

 十回以上、確認しても。



「……ナギサちゃん、ナギサちゃん。ナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃんナギサちゃん」



 会いたい。

 抱き着いて、安心して、終わった宿題を見せて……えっと、それから……。



 ねえ。なんで、いないの?

 私、見捨てられた……?


 ひとりで、死んじゃったの……?


 もう、帰ってこないんじゃ。


 やだ。

 やだヤだヤダっ!!!

  


「ただいま帰りました」



 声が、聞こえた。

 幻聴じゃない……よね。



「ナギサ……ちゃん」

「え、どうしたんですか?」



 いる。

 ナギサちゃんだ。

 私の、ご主人様。匂いだけで、心が張り裂けそう。


 抱きしめると、汗の酸っぱい匂いが、胸を満たした。



「えっ?」

「一緒に、死ぬん、でしょ? もう、離れないで……」

「恵巳さん……?」



 困惑してる、のかな。涙でボヤけてわかんないや。



「えっと、何があったんですか……?」

「外に、出れなかったの。怖くて、寂しくて……。だから――」

「え? 外に出れない……?」

「ナギサちゃんがいないと……もう……」

「……え、え……どうして」

「私の心、おかしくなっちゃった」



 飴を丸ごと飲み込んだような、嚥下音。

 白蛇のような首から発せられたと信じられないほど、大きく響いた。



「……とっても、かわいい、です」



 ああ。

 ナギサちゃんだ。

 湿ったアサガオのような顔で、いっぱい抱きしめてくれてる。

 頭を撫でられると、頬ずりが止まらない。



「もう大丈夫ですよ」

「……うん」

「でも、困りましたね」

「なにが?」

「2学期、どうしましょうか」

「……ぁ」



 夏休みは、永遠に続かない。

 高校に通うには、外出が必須だ。



「どうしよう……」

「これならどうですか?」



 手錠で、ふたりの腕が繋がれた。

 引っ張られながら、ドアを超える。


 発作は、起きない。

 


「すごい! 外に出れる!」

「よかったですね。せっかくなので、遊びに行きませんか?」

「うん!」



 ニンマリが抑えられない!


 夕方から、好きな店を回った。

 服を買ったり、アイスを舐めたり、映画鑑賞をしたり。


 普通のお出かけだけど、手錠ひとつで、特別な気分。


 21時になり、街が落ち着き始めたころ。

 帰る途中に、遭遇した。



「……あれ?」

 


 ツンツンくんが、駅前を歩いている。

 不気味な様子だ。

 引きずった足に、腫れた顔。薄汚れた服は、ばっちい。


 まるで、捨てられた子犬。


 無意識に手を伸ばした瞬間、手錠が引っかかった。



「……そう、だよね」



 別に、いいや。

 彼と私の人生は、違う。

 手を差し伸べても、面倒事がふえるだけ。


 助ける理由……ないよね。

 無視されてたし。


 全部、ツンツンくんが、悪い。



「どうしたんですか?」

「なんでもない。ナギサちゃんしかいらないなって、実感しただけ」

「ふふふ。恵巳さんの正直なところ、本当に素敵です」

「もう。お世辞がうまいなー」

「あたしの頭は、恵巳さんのことしか考えていませんから」


 

 今の快楽だけ、考えよう。

 私の人生って軽いけど、もう精一杯なんだ。


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