第13話 かくばった芽を摘む
監禁夏休みがはじまり、1週間が過ぎた。
人間の適応力は、不思議だ。不自由な生活にも随分慣れ、快適さすら感じる。
お漏らしの強要も、初日の1回だけだったし。
満足したのか、後処理が面倒だったのか。どっちにしても、ありがたい。
幸せそうなペットって、こんな気分だったんだ。
ふと横顔に視線を感じて、振り向く。
ナギサちゃんと目が合い、微笑みを向けられた。
照れ臭くて、口を開く。
「ねえ、それって楽しい?」
お嬢様の手には、ペンとノート。
記されている内容は、私のすべてだ。
食べたもの、就寝時間、肌や髪のツヤ、話した内容、トイレの時間と回数、寝姿のスケッチまで。研究者顔負けの熱心さだ。
「ずっと飽きません。もう、毎日が発見の連続ですよ」
「私、全然変わってないけど」
「ふふふ。恵巳さんは、自身に興味がありませんから」
「……そうだけど」
理解できない領域だ。
気を取り直して、宿題へととりかかる。
日々の努力もあり、すでに折り返し地点。
ナギサちゃんは、3日で片付けたけど。
問題に四苦八苦する間、にこやかな視線を浴び続ける。
解くスピードや、私の学力までもが、把握されていく。純粋に恥ずかしい。
「ナギサちゃんの宿題、見せて」
「ダメですよ」
「なんで? 私、優等生じゃないんだけど」
「あたしが見たいんです。恵巳さんの、勉強する姿を」
純粋な欲望をぶつけられると、弱い。
恥ずかしさのあまりに脚を動かすと、引っかかった。
足首に繋がれた、枷。私の行動範囲は、一歩分もない。
思ってしまう。まだ、物足りない。
これじゃあ、外に出れないだけ。
鳥海恵巳には、引きこもりの才能がある。
1週間、外に出なくても、苦にならない。自分の役割が無くとも、無反応。正直、不自由なだけでは、退屈だ。
でも他に、何をすればいいの?
悩んでいると、スマホが震えた。
「誰からですか?」
「……お母さんだ」
着信音は嫌いだ。
急かされて、頭が真っ白になる。無視しても罪悪感が残って、苦しい。
「出てもいい?」
「あたしは、どっちでもいいですよ」
できれば、拒否してほしかった。
深呼吸をして、応答ボタンを押す。
『あ、やっと出た。全く、さっさと取りなさいよ。こっちは暇じゃないのよ?』
「うん。ごめん。えっと……こんにちは」
『あんた、今年の盆は帰ってくるの?』
「あー」
忘れてた。
「帰らない、はず」
『そう。ならいいわ』
「あれ? 怒らないの?」
『意味ないでしょ。あんたは頑固だし』
「そう、かもね」
お母さんの声は、飲み会明けみたいに、ガラガラだ。
『なんだか楽しそうね。男でもできた?』
「そうかな」
『さっさと結婚しなさいよ。あんたみたいな女は、若いうちに男を捕まえないと。色々知った男なんて、見向きもしないわよ』
結婚。
重い言葉なのに、響きは軽い。
聞いただけで、頭皮がかゆくなる。一緒に生きるなんて、バカみたい。
「お父さんは、どう?」
『もうほとんど話せないわよ。怒鳴るけどね』
そっか。
じゃあ、あんま変わんないや。
「弟は?」
「なに? あんた、あの子の名前も忘れたの?」
やばい。本当に、ど忘れしちゃった。
「あ、えっと……」
『ずっとお父さんの介護を手伝ってくれてる。あんたの話もしなくなったわよ』
「……そう」
『あんた、もっとお姉ちゃんっぽいことしなさいよ』
「もう遅いでしょ」
『……はあ』
ため息。
人が発する、一番不快な音。
「私、出来が悪いから」
『そうね。恵巳には色々苦労させられたわぁ』
「……ごめん、なさい」
『まあ、迷惑をかけずに生きてくれれば、それでいいわ』
そう、言うよね。
お母さんは、立派な大人で、母親で、妻だから。
『じゃあ、しっかり野菜をとりなさいよ』
「お母さん、さようなら」
『はい。またね』
通話が、切れた。
長くて、細い息を吐く。心の中が、胸焼けしてる。
こそばゆさを感じて首を回すと、パッチリしたまつ毛が、私の瞼に触れた。
驚いて、距離を取る。
「恵巳さん、いつもと雰囲気が違いました」
「そう?」
「別人みたいでした」
「怒ってる?」
返答までに、3秒ほどの間があった。
「えっと……。もう、電話しないで、欲しいです」
熱っぽい指が、私の手に絡んで、撫でまわした。
まるで、軟体生物が捕食するみたいに。
そっか。わかった。
監禁生活で、物足りなかった要素。
「じゃあ」
まだ、残ってる。
「私の連絡先、全部消してくれない?」
私に、逃げ場は、いらない。
「いいん、ですか?」
大きく見開かれた瞳を、見据える。
「うん。ナギサちゃん以外、もういいや」
「……そう、ですね。恵巳さんは、監禁中ですから」
「うん」
「あたしだけに、なっちゃいましょうね」
うん、なりたい。
私の過去なんて、いらないもん。
「恵巳さん、素敵です」
当然のように、PINコードは知られている。
連絡帳が表示されると、ナギサちゃんの目つきが、鋭く変わった。
「お母さんは、どんな存在なんですか?」
「肝っ玉って感じ。なんでもハッキリ口にする人」
「好きなんですか?」
「ただの親。感謝はしてる。もう私の人生には、いらない」
真っ白な指で、削除ボタンが、押された。
派手な音はない。
普遍的なメッセージ表示だけで、お母さんの名前が、消え失せた。
はは。
寂しくないや。
ごめんね。産んでくれたのに、娘失格で。
「父親は、どんな人なんですか?」
「怒鳴れば、全部うまくいくと信じてる野蛮人。お母さんにだけは甘かったけど」
削除されて、跡形もない。
せいせいする。
「弟さんは?」
「嫌われてる。私の失敗を反面教師にしたから、いい高校に進学できたのに」
「姉弟なのに、仲良くないんですか?」
「年が離れているせいで、ケンカもできない。同じ産道を通っただけの、他人だよ」
弟の名前が消えても、心は静かだ。
残りは、どうでもいい連絡先ばかり。
会社の同僚だった人。
音信不通の、古い友達。
アパートの管理会社や、インターネット会社。
近所の病院。
私の生活だったもの。くだらない、人生。
100以上あった連絡先が、無機質に、淡々と、ただの文字列らしく、消えていった。
「……あの、恵巳さん」
ナギサちゃんの吐息で、スマホの画面が、かすかに曇った。
「なに?」
「写真も、いいですか?」
「……え?」
「あたしとの思い出以外、いらない、ですよね……?」
物欲しそうなナギサちゃんの顔を見ると、口の中が、粘っこい唾液で満たされた。
「よろしく、お願い、します」
フォトアプリの中身は、料理の写真ばかりだった。
時々混じっている家族写真なんて、心底どうでもいい。
全部、全部、全部。削除。いらない。消え失せて。もう、邪魔だから。
「これで、どう、ですか?」
兎本ナギサ以外、残っていないスマホ。
握ると、温もりが宿っていた。
「ナギサちゃんの、スマホは?」
「あたしは最初から、恵巳さんだけ、ですから」
ナギサちゃんのスマホは、高価なハイエンド機種。
私の安物とは、スペックも容量も、全く違う。
だけど、彼女はゲームに興味がないし、宝の持ち腐れだ。
「……すご」
連絡先は、私だけ。
写真も、私だけ。
クラスのグループだけは残っているけど、通知はミュートされていた。
嬉しい。
この子は、本気で堕ちる気なんだ。ずっと、最初から、一緒に。
ナギサちゃんだけになった、関係性。
胸の中がムズムズして、赤ちゃんみたいに、スマホを抱きしめた。
「清々しい、ね」
「はい」
ほんのりと赤い首先が膨らんで、咲いた。
2本だけの、青薔薇。
夏空のように淡い色が気に入り、テーブルの上に飾ると、頬が緩んだ。
私の人生から雲が霧散し、群青色だけが広がっていく。
でも、まだだ。もっと、青くなれる。




