第12話 イバラの足枷と、飴色の夕立
右足を動かすと、金属音が響いた。
視線を落として、目に映る。自分の足首と、無機質な手錠。
何度確かめても、背筋が震えて、口の端が上がる。
手錠のもう片方は、ベッドに繋げた。
私ひとりでは動かせない、家具の重さ。鍵はナギサちゃんが握っている。外してもらえるタイミングは、トイレとお風呂だけ。
本当は腕を拘束されたかったけど、仕方ない。
夏休みの宿題はマストだ。
「とっても、かわいいです」
「そ、そう?」
お嬢様の声が、湿る。表情筋は、溢れんばかりの恍惚を表わしていた。
「似合ってます。待ち受けにしても、いいですか?」
「え……?」
「ダメ、ですか?」
「い、いい……けど」
「ありがとうございます。ああ、何時間みつめても、飽きません」
シャッター音が鳴り、私の眉根が寄る
今の格好は、パーカーにジャージ。普段通りの部屋着だ。特別な点は、女の子座りで足を拘束されたシチュエーションだけ。
彼女の癖にささったのかな。
「今日から、よろしくお願いしますね」
「うん。ナギサちゃんの方が大変だと思うけど」
「いえいえ。楽しみすぎて、どうにかなっちゃいそうです」
大人ひとりをまるまるお世話する生活が、嬉しいの? ちょっと怖い。
「あの。それで、お願いを聞いて欲しいのですが、いい……ですか?」
「お願いって……。私、従うしかないんだけど」
「あ、確かにそうですね」
細い指先が撫でる、手錠の表面。
直接触れられていないのに、体の芯から震えた。
「ふふふ。今の恵巳さんって、私の言うこと、聞くしかないですもんね」
「そ、そうだよ?」
「楽しみです」
「お手柔らかにね?」
「大丈夫ですよ。あなたがイヤなことは、弁えてますから」
ナギサちゃんは背後から、板状の物体を取り出す。
「これ、なんだと思いますか?」
「日記帳?」
「恵巳さんの、観察日記です。まだまっさらですけど」
ゴクリと、固い唾が、喉を通った。
「小学校の自由研究みたいに、全てを記録したいんです。食べたもの、就寝時間、肌のツヤ……全部」
目を細めながら、日記帳を抱きしめる、ナギサちゃん。
もう、膝を抱えて泣いていたお嬢様の影は、どこにもない。
「……ナギサちゃん、おかしくなってない?」
「そう、ですか?」
「これぐらい、普通……ですよね?」
明らかにおかしい。
でも、いいや。
無自覚に狂っている兎本ナギサは、かわいくて素敵だ。
ついに、監禁生活がはじまった。
見渡すと、普段通りの、部屋。ナギサちゃんと私の趣味が混ざった空間。
だけど、空気が、違う。
束縛された成人女性が存在するだけで、重くて薄暗く感じる。
深呼吸をし、心を落ち着かせ、淡々と宿題をこなす。
「恵巳さん、コーヒーでも飲みますか?」
「あ、うん。ありがとう」
数分後、なみなみと注がれたマグカップを渡された。
「ちょっと多くない?」
「いっぱいカフェインを摂らないと、宿題終わりませんよ?」
「……そうかも、だけど」
「おかわりが欲しかったら、いつでも言ってくださいね」
別に、多くても困らないか。
割り切って飲んだ後、気づいた。
カフェインの効能は、集中力向上だけではない。
徐々に、溜まってくる。
「……ナギサちゃん」
恥ずかしい。
でも、言わないと。
「……いきたい」
「どうしたんですか?」
珍しく、お嬢様の察しが悪い。
「トイレ……」
「トイレが、なんですか?」
「手錠の鍵、開けて」
「何をしたいんですか?」
「トイレっ! 漏れそうだからっ!!!」
焦れば焦るほど、切羽詰まる。
「じゃあ、あたしのお願い、聞いてくれますよね?」
「お願い……?」
見上げたナギサちゃんの顔は、女王蜂みたいに無表情だった。
「恵巳さんの高校時代を、知りたいです」
「今、なの……?」
「本当のこと、全部聞きたいので」
声を聞いて、確信した。現状は、彼女の計画通り。語らないと、絶対に解放されない。
「……わかった」
意を決して、過去を思い返す。
「私、高校デビューに失敗して、ボッチだったの。話す相手が誰もいなくて、何回も死にたくなった」
淡々と響く、シャーペンの音。
テーブルの上には、鳥海恵観察日記。
私の言葉が、気品のある文字へと、変換されていく。
「でも、2年生になったら、変わった。転校生が来て」
「恵巳さんは、その人と……」
「……うん。ひとりでいる私に声を掛けてくれて、意気投合して、交換日記までしてた。はじめてだったな。女の子を好きになったの」
ナギサちゃんの顔を見れなくて、自分の手首を撫でる。
「思い切って告白したら、考えさせてって言われて……」
もう乗り越えたと思っていた。
でも、言葉を選ぶだけで、息が詰まる。
「一週間ぐらい後かな。放課後の教室に、呼ばれた。結果はわかるでしょ?」
「……恵巳さん」
「ショックだったなー。ごめんじゃなくて、無理、だって。無理は、ひどいよね。カラっと告げられて、思わず漏らしちゃったんだ……」
筆記音が、一瞬、止まった。
「あの子、私の痴態を笑ってて、次の日には全部、広まってた。お漏らし女って」
「……はい」
「それからは不登校で、出席日数不足で中退。親から急かされて、就職したんだ」
「そう、だったんですね」
言葉で説明すると短いけど、人生が変わるぐらいの出来事だった。
話し終わったし、鍵を――。
「ねえ、もう我慢の限界で……」
「恵巳さん」
ナギサちゃんの様子が、不気味だ。
無表情の奥底から、徐々に、物欲しそうな顔が浮かび上がってくる。
「あたしにも、見せてください」
「……え?」
後ずさると、ベッドにぶつかった。
「あたし、見たいんです」
視線が向けられている場所から、理解してしまった。
お嬢様が求めている、私の姿。
「ダメっ……それは、だめ……」
「監禁ですよ、これは」
「そ、そうだけどっ!」
「大丈夫ですよ。お手伝いしますから」
繊細な指先が、裾を通り抜けて、私の下腹部に触れた。綿毛のように撫でられるたび、視界がチラついて、膀胱の存在が膨らんでいく。
「ほんとに……やめて……」
「大丈夫ですよ。遠慮しないでください。あたし、恵巳さんのためなら、なんでもできますから」
囁き声が脳に入り、体を弛緩させていく。
「だから、恵巳さんのかわいい姿、もっと見せてください」
今度は、手のひら。円を描くように撫でまわされるだけでも、十分な刺激だった。
我慢のあまり脚を動かすと、手錠の存在を思い出す。
いくら暴れても、ダメ。逃げられない。
ヤダ!
ヤダヤダっ!
無理無理ムリっ!!!
嫌われちゃうっ!
あの時みたいに!!!!
絶対に、やめてっ!
ふと、目に入った。
ナギサちゃんの首元で膨らむ、つぼみ。
青い花びらが、顔を出していく。
「恵巳さん……いいですよ」
抗えず、音もなく、咲いた。
ふとももの間から、熱さが広がる。
解放感とともに、体の芯が凍った。
「あ、あはは……」
目元から頬へ。とめどない熱さが、伝っていく。
遠い昔から、笑い声が聞こえた。
恥ずかしくて、悔しくて、死にたくて、忘れたい。
私のとってもとっても、弱いところ。
「……ふふふ。上手にできました」
春の初めにつくしを見つけたような、微笑み。
目に入った瞬間、涙の熱さが、変わった。
ああ。
この人は、笑わない。
私がぐちゃぐちゃドロドロでも、抱きしめてくれる。
「お着換え、しましょうね」
「……うん」
静かに、4本の青薔薇が、咲いていた。
怖いよ。
まだ夏休み初日なのに。
私、もう、ナギサちゃんから離れられないや……。




