第10話 茎を絞める
軽い熱中症に近い。
頭がボーッとして、プールの水面が蜃気楼で歪む。
あれ? 今、私、どこ……?
「ナギサちゃん……」
「恵巳さん、して、ください」
私の手は今、たんぽぽの茎みたいな喉を、握っている。
冷たい手が添えられていて、離せない。
「……ナギサちゃん……変態さんだ」
「え? そう、ですか? 一緒に死ぬ相手なら、普通じゃないですか……?」
「いや、絶対おかしいよ」
「おかしい、ですか……?」
彼女の目が、瞬きを何度も繰り返す。
「あたし、おかしい、です、か?」
「うん。だいぶ」
「えっと、恵巳さんは嫌、ですか? あたしを、その、プールに……」
「考えたこともなかった、よ」
自分の手相を見つめる、ナギサちゃん。ゆっくりと、足元まで視点を落としていく。まるで、はじめて自分の体を発見した、赤ちゃんみたいに。
「ああ。そう……なんですね」
胸に手を当てて、祈るように閉じられる、瞳。
「本当のあたしって、こうだったんだ……」
ほんの数秒、雲がかかった。
日差しが弱まり、影が差す。
盛夏のまぶしさが静まり、風が冷える。
けれど、お嬢様の瞳は、誘蛾灯のように輝いていた。
「私も、変態、だから」
「恵巳さんも、なんですか?」
「いや、そうでしょ。どう見ても」
「あたし、恵巳さん以外、知らないので……」
そっか。
ナギサちゃんは、純粋なんだ。
知識がないのに、歪。
もしかして、私のせい? 正解だったら、いいな。
「恵巳さん……。早く……」
私の手を離すと、ナギサちゃんはプールの奥底へ、沈んでいく。
追いかけるように飛び込んで、目を見張った。
お日様がたるんで映る、水中。
穏やかな顔の下で、無防備な喉が、さらけ出されている。
――もう一度、自分の意志で、掴んでください。
試された気がして、手を伸ばす。
白磁器のような喉に、たこ足のごとく指が吸いついた。
絡んで、巻き付いて、離せない。
私の手は、彼女の首を絞めるために、生えているのだろうか。不合理な考えが浮かぶほど、しっくりきた。
この宝物はもう、私の所有物だ。壊れるまで、離さない。
柔い肌を押すと、ナギサちゃんの口から、泡が漏れる。
私の頬に当たって、聞こえた気がした。
—―もっと、強く、して。
そう、だよね。
変態のナギサちゃんなら、言うよね。
ねえ、ナギサちゃんが死んじゃったら、どうする?
私も死ぬだけ。
そっか。
じゃあ、いいや。
遠慮、いらない。
指の筋繊維一本一本に力をこめると、ナギサちゃんの体が、もがいた。
いつも理性的な、ナギサちゃん。
気立てがよくて、細かいことに気付くし、他人の目を意識してる。頭がよくて、教えるのも上手で、人付き合いも完璧。
理想的な、お嬢様。
でも、今は暴れまわって、水中を乱している。
ピクピクと跳ねて、無作為な動きを繰り返す、芸術的な指先。
ああ。
感触が、冷えていく。
もっと見たい。もがかせたい。
もっと、ずっと、永遠に――。
ふっ、と。
突如、彼女の肢体から、意識が抜けた。
慌てて水上に浮上し、容態を診る。
「ナギサちゃん……」
小鼻から赤い蜜が、垂れていた。息はしてる。ポツポツと、透明なプールに少女の命が溶けていく。
もったいない。
気づけば、口の中に、鉄の味が広がっていた。
目に入る、蕩けたお嬢様の、顔。
崩れているのに、薔薇のように麗しい。
私が、この顔を、作ったんだ。この世界で、私だけの、美術品。私の、すべて。
衝動に突き動かされるまま、青白い肩を愛でる。力無き体が、跳ねた。
あれ? どうしたんだろう、私。
我慢、利かないかも。
もっと絞めて、蕩けさせて、グチャグチャにして、ああ。それから、それからっ!
「何やってんだ、お前たち……」
声が聞こえて、振り向く。
ひとりの人間と、目が合った。
頬を引きつらせた、ツンツンくん。
最悪だ。余韻が、汚されていく。でも、ちゃんと対応しないと。ナギサちゃんと引き離されちゃう。
社会人時代を思い出しながら、心を切り替える。
「どうして、ここに?」
「先生に言われて、探しに来たんだよ。プールから戻ってこないって」
「え、もうそんな時間なの!?」
「なあ、お前……」
向けられる、疑惑の目
大丈夫。まだ確信してない。
「ナギサちゃんの体調が悪いから、看病してたの」
「そ、そうなのか……?」
「先生に伝えてくれる? 彼女を保健室に連れて行くから、授業には出られないって」
「あ、ああ」
ツンツンくんの背中を見送ると、聞こえた。
幻聴か、現実か。
――人殺し。
ううん。
違うよ。
私は殺したいわけじゃない。
生きるために、死へ近づきたいだけ。
全部、お嬢様の魅力が悪い。
ナギサちゃんも、きっと言ってくれる。
全部あたしのせいにしていいですよって。
彼女が目を覚ましたのは、日が暮れはじめたころだった。
何度も、自分の首をさすって、夏祭りが終わったような息を吐いた。
家に帰っても、ずっと上の空。
私の淹れたお茶を差し出すと、ポツリと呟いた。
「すご、かった、です……」
「……うん」
次の日。
ゆっくりと時間をかけて、11本の青薔薇が、咲いた。
もうすぐ、夏休み。
登校の必要がない、1か月間。
さっきみたいに、邪魔する人はいない。
ああ。
困った。
私も彼女も、壊れちゃったら、どうしよう。




