ラスボスの影
11月。 東京・日本科学未来館。
「小中学生 科学コンテスト」の最終審査会場は、全国から選抜された未来の科学者たちと、その保護者、そしてメディアの熱気に包まいていた。
その一角に、富山県代表・桜庭環のブースがあった。
『 トマトは痛いと言うのか? ~植物のSOSを可視化する~ 』
展示パネルは、稲垣の指導により「小学生らしく」模造紙とマジックで作られている。
しかし、机の上に置かれた「別冊資料(ファイル3冊分)」には、大学院レベルの統計解析と、ラズパイによる環境制御ログがびっしりと詰まっていた。
「……あの子、審査員への受け答えが完璧すぎる……。」
「……質問された瞬間に、図表の34ページを開いて反論したぞ。」
周囲のざわめきを他所に、環は淡々と椅子に座っていた。
(……早く終わって。私の図書カード。)
その時、会場の空気が一変した。 審査員や職員たちを引き連れた一団が現れたのだ。
中心にいるのは、白髪の老紳士。東都工業大学学長・西園寺である。
「おやあ? 元気な子供たちが集まっておるねぇ!」
「君の研究はカブトムシかね? 素晴らしい!」
西園寺は、好々爺の仮面を被り、子供たちと記念撮影に応じている。
だが、その足は迷いなく、環のブースへと向かっていた。
「……ゲッ。タヌキ親父。」
環が小声で毒づく。
西園寺は環の前に立つと、目を細めて笑った。
「やあ、お嬢ちゃん。面白い研究だねぇ!」
「……特に、この『遺伝的透かし(DRM)』の構想……実に『産業的』でよろしい。」
周囲には聞こえない声量で、核心を突く。
環は愛想笑いを貼り付けた。 「……ありがとうございます、先生(棒読み)。」
◇
ブースの端で小さくなっていた引率の二人、担任の稲垣と、農業センターの長谷川に、西園寺の視線が向いた。
「……おや。君たちが指導教官かね?」
西園寺は、にこやかに歩み寄った。 だが、その眼光は、獲物を値踏みする猛禽類のそれだった。
「は、はい! 担任の稲垣です!」
「け、県農業技術センターの長谷川と申します!」
二人は直立不動になった。
相手はノーベル賞学者であり、国の科学技術政策の中枢にいる雲の上の存在だ。
「ほう……。」
西園寺は、二人の名札をじっくりと見た後、低い声で囁いた。
「……見事だ。」
「は?」
「彼女の才能は、暴れ馬だ。並の人間なら扱いきれず、潰してしまうか、あるいは自分が壊れる。」
西園寺は、稲垣の肩に手を置いた。
「君かね? 彼女に『小学生らしい擬態』を教え込んだのは。」
「あ、はい……審査に通るために、少し戦略を……。」
稲垣が脂汗を流しながら答える。
「素晴らしい判断だ。彼女に足りないのは『社会への適合性』だ。君がそれを補っている。」
西園寺の手の力が、少し強くなった。
「……今後も、彼女が世間と摩擦を起こさぬよう、その『良識』で守ってやってくれたまえ。……いいね?」
「は、はいぃぃッ!!」
続いて、西園寺は長谷川に向き直った。
「そして、君だ。長谷川くん。」
「は、はい!」
「聞いたよ。君のセンターの第3ハウス……面白いことになっているそうじゃないか。」
「加賀見教授から報告を受けているよ。『予算不足を技術で殴り倒す実験場』だとね。」
長谷川は血の気が引いた。
「す、すみません! 勝手に施設を改造させてしまって……!」
「謝る必要はない。」
西園寺はニヤリと笑った。
「むしろ、よくぞ彼女を受け入れた。公務員の立場でありながら、前例のない実験を許容する……その度量、評価に値する。」
そして、西園寺は顔を近づけた。
「……だが、分かっているね? あれは『国家の宝』だ。」
「……彼女のアイデアを、大人の事情で搾取したり、くだらない組織の論理で潰したりしたら……。」
言葉はそこで途切れた。
しかし、その笑顔の奥にある「日本中のアカデミズムから抹殺するぞ」という無言のメッセージは、痛いほど伝わってきた。
「……承知しております!! 命に代えても守ります!!」
長谷川は裏返った声で叫んだ。
「ワハハハ! 頼もしいねぇ!」
西園寺は一転して豪快に笑い、カメラマンを呼んだ。
「さあ、みんなで写真を撮ろうじゃないか! 日本の未来と一緒に!」
フラッシュが焚かれる。
中央で無表情にピースする環。
その横で満面の笑みを浮かべる西園寺。
そして両脇で、魂が抜けたような顔をしている稲垣と長谷川。
撮影が終わると、西園寺は去り際に、二人に名刺を渡した。
「……何か困ったことがあれば(例えば予算とか、圧力がかかったとか)、いつでも連絡したまえ。」
「私は、君たちのような現場の人間を応援しているよ。」
嵐が去った後。
稲垣と長谷川は、その場にへたり込んだ。
「……死ぬかと思った……。」
「……俺たち、とんでもないものを背負わされてるんじゃないか……?」
環は、我関せずといった顔で、二人に言った。
「……先生、長谷川さん。あのおじいさんの名刺、最強の魔除けになる。」
「……大事にしてね。」
こうして、環の自由研究は、最高賞である「文部科学大臣賞」を受賞。
念願の図書カード(副賞)を手に入れた環は、帰りの新幹線で『宮沢賢治全集』の購入計画を練り、大人たちは寿命を削った代償としての「強力なコネ」を手に入れたのだった。
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12月。 長閑市の隣町の小学校の校長室。
かつて環の低学年時の教頭だった相良は、新聞記事の切り抜きを凝視していた。
『 全国科学コンクール・文部科学大臣賞:桜庭環さん(5年) 』
『 テーマ:トマトは痛いと言うのか? 』
(……ほう。)
相良は眼鏡の位置を直した。
研究の質が高いのは当然だ。
彼女なら、ノーベル賞級の発見でもやってのけるだろう。
相良が注目したのは、そこではない。
(……この「見せ方」だ。)
(……「痛み」や「会話」という情緒的な言葉選び。手書き風のフォント。……これは環の趣味ではない。)
環は、効率と論理の化身だ。
放っておけば「植物生体電位の周波数解析」といったタイトルをつけるはずだ。
それが、ここまで完璧に「小学生らしいコンクール受けする作品」に擬態している。
(……誰かが、入れ知恵をしたな。)
(……環の周囲に、彼女を制御し、社会に適合させる「異物」がいる。)
相良の中に、かつてない興味が湧いた。
自分が作った『取扱説明書』は、「腫れ物に触るな」という方針だった。
それを無視して、彼女をここまでプロデュースした教師とは、何者だ?
◇
数日後。
相良は「理科教育の視察」という名目で、古巣の小学校を訪れた。
目的は一つ。あの「トマト」と、今の担任を見ることだ。
「……相良校長先生! ようこそお越しくださいました!」
出迎えたのは、ジャージ姿の日に焼けた青年・稲垣だった。
「やあ、稲垣先生。君が桜庭さんの今の担任かね。」
「はい! 相良先生が作られたマニュアル、毎日拝見してます!」
(……人の良さそうな男だ。だが、目は死んでいない。)
相良は値踏みするように稲垣を見た。
「……話題のトマト、見せてもらえるかな?」
二人は理科準備室裏の菜園へ向かった。
冬の気配が迫る中、そこには綺麗に整えられた畝と、データ収集用のセンサー群があった。
「……なるほど。ラズパイでの環境制御か。」
相良は、配線の処理を見て呟いた。
「はい。桜庭さんの設計です。……ただ、実際に組んだのは、農業センターの長谷川という男と、僕ですが。」
稲垣は照れくさそうに頭をかいた。
「……君は、農学部の出身だったね。」
「ええ。専門は育種学です。」
相良(理学部出身)と稲垣(農学部出身)。
分野は違えど、共に「理系」のバックグラウンドを持つ二人の会話は、すぐに熱を帯びた。
「……この土、団粒構造が見事だ。」
「ありがとうございます! 籾殻燻炭を混ぜて、pHを調整しました。」
「……ふむ。環のデータ解析能力を、君の現場力が支えているわけか。」
相良は納得した。
この男は、環を「特別扱い」するのではなく、対等な「研究仲間」として扱っている。
それが、あの偏屈な天才少女の心を開かせたのだ。
一通り見学した後、稲垣は申し訳なさそうに切り出した。
「……あの、相良先生。謝らなければならないことがあります。」
「なんだね?」
「引き継ぎの『マニュアル』……僕、破ってしまいました。」
稲垣は、相良が残したファイルを思い出した。
『 第1条:図書室から連れ出すべからず 』
「……彼女が図書室に籠もっているのを見て、放っておけなかったんです。」
「……こんなに面白い才能を、暗い部屋に置いておくのは、農学の徒として我慢できなくて。」 「……無理やり外に連れ出して、土を触らせてしまいました。すみません。」
稲垣は深々と頭を下げた。
前任者の教育方針を否定するような行為だ。
怒られる覚悟だった。
しかし、相良は静かに笑った。
「……いや。謝るのは私の方だ。」
「え?」
「私は彼女の才能を恐れ、周囲との摩擦を避けるために『隔離』を選んだ。」
「……だが君は、泥にまみれながら、彼女を『社会』へと接続させた。」
相良は、稲垣の肩を叩いた。
「……見事な品種改良だ。私が育てられなかった花を、君が咲かせた。」
「い、いえ! そんな!」
稲垣は恐縮しきりだった。
「それに……僕一人の力じゃありません。色々な人に助けられました。」
「ほう?」
「今回のコンクールも……東京の会場で、西園寺先生にお会いしまして。」
相良の動きが止まった。
「……西園寺? ノーベル賞の東都工大の学長か?」
「はい。」
「……たまたま、会場にいたのか?」
「ええ。たまたま……だとは思うんですが。」
稲垣は、思い出すだけで胃が痛くなるような顔をした。
「……すごい圧でした。『彼女は国家の宝だ』『潰したら許さんぞ』と、笑顔で脅されまして……。」
「……名刺まで頂いて、何かあったら連絡しろと……。」
相良の眼鏡がズレた。
「……なっ!?」
常に冷静な相良が、絶句した。
西園寺といえば、日本の科学界のフィクサーだ。
雲の上のさらに上、成層圏の住人だ。
そんな人物が、環を個人的に認知し、一介の小学校教師に直通ライン(コネ)を渡しただと?
「……稲垣先生。」
「は、はい。」
「……君は、とんでもない地雷原を歩いてきたんだな。」
「ええ……心臓が止まるかと思いました。相良先生もご存知かと思ってましたが……。」
「知るわけがないだろう! 私の時は、せいぜい県立医大の教授レベルだ!」
相良は天を仰いだ。
(……環。お前、私が目を離した少しの間に、どこまで勢力を拡大したんだ。)
校舎の窓から、5年生の教室が見える。
そこには、何も知らぬ顔で授業を受けている(ふりをしている)怪物の姿があるはずだ。
「……稲垣先生。これから大変だろうが……頑張りたまえ。」
「……はい。胃薬を飲みながら頑張ります。」
新旧の担任は、冬の寒空の下、固い握手を交わした。
それは、天才少女という「災害」に立ち向かう、戦友としての絆の証だった。
モチベーションの維持のため評価だけでも。
できれば感想を頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
次回は明日19時ごろ投稿予定です。




