銀河鉄道への切符
6月。
理科準備室の裏手。
環は、トマトの葉の裏についたアブラムシを、ピンセットで一匹ずつ駆除していた。
手先は不器用だが、アブラムシの繁殖サイクルを計算し、最も効率的な順序で摘んでいるため、作業は意外と速い。
「よう、精が出るな。」
担任の稲垣が、冷えた麦茶を二つ持ってやってきた。
「……先生。農薬(ネオニコチノイド系)を使えば一瞬。」
「バカ言え。学校でそんなもん撒けるか。……ていうか、お前、本当に観察が好きだな。」
稲垣は、環がびっしりと書き込んだ観察ノート(気温、湿度、日照時間、土壌pHの推移がグラフ化されている)を見て感心した。
5年生レベルではない。
大学の卒論レベルのデータ密度だ。
「なぁ桜庭。それだけの頭脳とデータがあるならさ……夏休みの『自然科学観察コンクール』に出してみないか?」
「……パス。」
環は即答した。
「……研究は自己満足で十分。他人に評価されるための資料作りは、時間の無駄。」
「まあ、そう言うなよ。」
稲垣はニヤリと笑い、ポケットから応募要項のチラシを取り出した。
「県知事賞を取れば、賞状とトロフィー。……そして副賞として、図書カード3万円分がもらえるぞ。全国大会に行き文科大臣賞なら図書カード5万円だ!」
ピタリ。 環の手が止まった。
(……図書カード、8万円。)
環の脳内で、高速演算が始まった。
【 資産状況確認 】
•スイス秘密口座: 残高 約85億円(阿修羅ライセンス料、サイバー犯罪のあがり等)
•月のお小遣い: 3000円(医大への交通費は別)
今の環は、実質的な億万長者だ。
しかし、その金は「表」では使えない。
小学生がブラックカードで買い物をすれば、両親が卒倒し、税務署が動き、平穏な生活が崩壊する。
つまり、環にとっての「使える現金」は、毎月の1000円札三枚のみ。
欲しい専門書や文学全集を買うには、何年も貯金しなければならない。
(……8万円あれば、貯金箱の貯金と合わせて。)
(……ずっと欲しかった、『新校本 宮沢賢治全集(筑摩書房)』が買える。)
環の瞳に、星空のような輝きが宿った。
『銀河鉄道の夜』や『春と修羅』の世界。
あの美しい言葉の数々を手元に置ける。
しかも、「コンクールの賞品」として堂々と家に持ち帰れば、両親も「すごいわね!」と喜ぶだけで、怪しまれることはない。
(……合理的。あまりに合理的。)
(……それに、資産を減らさずに現物資産(本)を手に入れる。これぞ桜庭家の流儀。)
環は、麦茶を一気に飲み干し、稲垣を見た。
その目は、研究者の目ではなく、バーゲンセールに挑む主婦の目だった。
「……先生。エントリーシート、ある?」
「お、やる気になったか!」
「……狙うは県知事賞(3万円)と文科大臣賞(5万円)のみ。」
「……参加賞(鉛筆)はいらない。」
「ははは! 大きく出たな!」
稲垣は笑ったが、彼はまだ知らなかった。
この少女が本気を出した時、「小学生の自由研究」という枠組みが木っ端微塵に破壊されることを。
◇
「……テーマはどうする? トマトの観察日記か?」
「……いいえ。トマトは使うけど、視点を変える。」
環は、プランターの土を見つめ、不敵に笑った。
「……『トマト根圏における微生物叢のメタゲノム解析と、共生菌による生育促進効果の比較検証』。」
「……大学の設備をちょっと借りて、土の中のDNAを全部読む。」
「……は?」
稲垣の口から、麦茶がこぼれた。
「……ついでに、異なる周波数の音波(クラシック音楽とデスメタル)を聴かせて、遺伝子発現に差異が出るかも調べる。」
「……3万円分の働きは、きっちりしてやる。」
環は、アブラムシのついたピンセットを指揮棒のように振った。
彼女の頭の中では、すでに宮沢賢治全集が本棚に並んでいた。
「……まず、土壌サンプルからDNAを抽出。PCR増幅後に次世代シーケンサーで……」
「ストォォォップ!!」
稲垣が大声で制止した。
「……何? 」
「お前、本気でそれを出す気か? 『メタゲノム解析』だぞ?」
「……完璧なデータが出る。」
「完璧すぎてダメなんだよ!」
稲垣は、腕組みをして諭すように言った。
「いいか、桜庭。このコンクールの審査員は誰だ?」
「……県の理科教育委員会の先生たち。」
「そうだ。定年退職した校長先生や、地元の高校の理科教師だ。」
稲垣は黒板のフローチャートを指差した。
「彼らにこんな『ガチの論文』を見せてみろ。『小学生が出来るわけがない』『親か業者がやったに違いない』……即、替え玉判定で審査対象外だ。」
「……替え玉じゃない。私がやる。」
「それを証明できないだろ! 学校にシーケンサーなんてないんだから!」
環はムッとした。
「……じゃあ、どうすれば?」
稲垣はニヤリと笑い、人差し指を立てた。
「コンクールってのはな、『審査員の心証』が9割だ。」
【 稲垣流・必勝メソッド 】
1.設備は学校にあるものと、100均で揃うもの限定。(「子供が頑張った感」を演出)
2.テーマは少し奇抜で、かつ「素朴な疑問」から入る。(「子供らしい発想」を装う)
3.しかし、考察とデータ収集は鬼のように緻密にやる。(ここで他の児童と差をつける)
「つまり、『一見子供らしい実験だが、中身の論理性は大学レベル』。これが一番評価される。」
「図書カードが欲しいなら、審査員の好みに合わせて最適化しろ。」
環は、しばらく沈黙し、そして頷いた。
「……なるほど。ペルソナ分析に基づいたプレゼン戦略。」
「……合理的。採用する。」
「よし。じゃあテーマ決めだ。」
稲垣はプランターのトマトを指差した。
「お前、さっき『アブラムシ』を取ってただろ? 虫に食われた植物が、周りの仲間に『敵が来たぞ』って信号(匂い)を出す話、知ってるか?」
「……揮発性有機化合物(VOC)による植物間コミュニケーション。」
「……アレロパシーの一種。」
「それだ! それを『トマトは悲鳴を上げているのか?』というタイトルでやる。」
「使う道具は、ポリ袋とビニールテープだけだ。」
【 実験計画 】
•実験群A: 虫に食われた葉っぱと同じ袋に入れた、健康なトマト。
•実験群B: 虫に食われていない葉っぱと同じ袋に入れた、健康なトマト。
•比較: Aのトマトが、防御反応(葉を硬くしたり、苦味成分を出したり)を起こすかを観察する。
「これなら小学生の設備でできる。だが、お前の観察眼なら、葉の色や気孔の開閉数なんかで、有意差を見つけられるはずだ。」
環の目が光った。
「……面白い。」
「……人間の耳には聞こえない『悲鳴』を、データで可視化する。」
「よし、決まりだ! 早速、実験セットを組むぞ。」
稲垣は、透明なゴミ袋とハサミ、ガムテープを持ってきた。
「トマトの枝を、こうやって袋で覆って、隙間がないようにテープで留めるんだ。」
「……ラジャ。」
環はガムテープを手に取った。 理論は完璧だ。茎を傷つけないように、袋の口を絞って、テープで密閉する。
ベタァッ。
「……あ。」
テープが、袋ではなく環の手に巻き付いた。
取ろうとすると、反対の手にも張り付いた。
「……先生。粘着力が強すぎる。」
「お前が不器用すぎるんだよ!」
環は、まるで手錠をかけられた犯人のように、両手をテープで拘束されて動けなくなった。
「……助けて。宮沢賢治が遠のく。」
「はいはい、じっとしてろ。」
稲垣は苦笑しながら、テープを剥がしてやった。
「いいか、不器用なのは仕方ない。そこは俺が手伝ってやる(ただし、レポートには『先生に手伝ってもらいました』と正直に書くこと)。」
「……屈辱。」
「その代わり、データの計測と考察は、誰にも文句を言わせないレベルでやれよ?」
「……当然。」
環は、自由になった手で眼鏡をクイッと上げた。
「……学校の顕微鏡と、画像解析ソフト(自作)を使って、細胞レベルの変化まで暴いてやる。」
こうして、農学部出身の先生と、不器用な天才少女による、「見た目はショボいが中身は凶悪」な自由研究がスタートした。
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次回は明日19時ごろ投稿予定です。




