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Reboot(再起動)エピソード"ゼロ"  作者: いきし
小学生後編(農業編)
32/38

銀河鉄道への切符

6月。


理科準備室の裏手。

環は、トマトの葉の裏についたアブラムシを、ピンセットで一匹ずつ駆除していた。


手先は不器用だが、アブラムシの繁殖サイクルを計算し、最も効率的な順序で摘んでいるため、作業は意外と速い。


「よう、精が出るな。」


担任の稲垣が、冷えた麦茶を二つ持ってやってきた。


「……先生。農薬(ネオニコチノイド系)を使えば一瞬。」


「バカ言え。学校でそんなもん撒けるか。……ていうか、お前、本当に観察が好きだな。」


稲垣は、環がびっしりと書き込んだ観察ノート(気温、湿度、日照時間、土壌pHの推移がグラフ化されている)を見て感心した。


5年生レベルではない。

大学の卒論レベルのデータ密度だ。


「なぁ桜庭。それだけの頭脳とデータがあるならさ……夏休みの『自然科学観察コンクール』に出してみないか?」


「……パス。」


環は即答した。


「……研究は自己満足で十分。他人に評価されるための資料作りは、時間の無駄。」


「まあ、そう言うなよ。」


稲垣はニヤリと笑い、ポケットから応募要項のチラシを取り出した。


「県知事賞を取れば、賞状とトロフィー。……そして副賞として、図書カード3万円分がもらえるぞ。全国大会に行き文科大臣賞なら図書カード5万円だ!」


ピタリ。 環の手が止まった。


(……図書カード、8万円。)



環の脳内で、高速演算が始まった。


【 資産状況確認 】

•スイス秘密口座: 残高 約85億円(阿修羅ライセンス料、サイバー犯罪のあがり等)

•月のお小遣い: 3000円(医大への交通費は別)


今の環は、実質的な億万長者だ。

しかし、その金は「表」では使えない。

小学生がブラックカードで買い物をすれば、両親が卒倒し、税務署が動き、平穏な生活が崩壊する。


つまり、環にとっての「使える現金」は、毎月の1000円札三枚のみ。

欲しい専門書や文学全集を買うには、何年も貯金しなければならない。


(……8万円あれば、貯金箱の貯金と合わせて。)

(……ずっと欲しかった、『新校本 宮沢賢治全集(筑摩書房)』が買える。)


環の瞳に、星空のような輝きが宿った。

『銀河鉄道の夜』や『春と修羅』の世界。

あの美しい言葉の数々を手元に置ける。


しかも、「コンクールの賞品」として堂々と家に持ち帰れば、両親も「すごいわね!」と喜ぶだけで、怪しまれることはない。


(……合理的。あまりに合理的。)

(……それに、資産を減らさずに現物資産(本)を手に入れる。これぞ桜庭家の流儀。)


環は、麦茶を一気に飲み干し、稲垣を見た。

その目は、研究者の目ではなく、バーゲンセールに挑む主婦の目だった。


「……先生。エントリーシート、ある?」


「お、やる気になったか!」


「……狙うは県知事賞(3万円)と文科大臣賞(5万円)のみ。」


「……参加賞(鉛筆)はいらない。」


「ははは! 大きく出たな!」


稲垣は笑ったが、彼はまだ知らなかった。

この少女が本気を出した時、「小学生の自由研究」という枠組みが木っ端微塵に破壊されることを。



「……テーマはどうする? トマトの観察日記か?」


「……いいえ。トマトは使うけど、視点を変える。」


環は、プランターの土を見つめ、不敵に笑った。


「……『トマト根圏における微生物叢マイクロバイオームのメタゲノム解析と、共生菌による生育促進効果の比較検証』。」

「……大学の設備シーケンサーをちょっと借りて、土の中のDNAを全部読む。」



「……は?」



稲垣の口から、麦茶がこぼれた。


「……ついでに、異なる周波数の音波(クラシック音楽とデスメタル)を聴かせて、遺伝子発現に差異が出るかも調べる。」


「……3万円分の働きは、きっちりしてやる。」


環は、アブラムシのついたピンセットを指揮棒のように振った。

彼女の頭の中では、すでに宮沢賢治全集が本棚に並んでいた。


「……まず、土壌サンプルからDNAを抽出。PCR増幅後に次世代シーケンサーで……」



「ストォォォップ!!」



稲垣が大声で制止した。


「……何? 」


「お前、本気でそれを出す気か? 『メタゲノム解析』だぞ?」


「……完璧なデータが出る。」


「完璧すぎてダメなんだよ!」


稲垣は、腕組みをして諭すように言った。


「いいか、桜庭。このコンクールの審査員は誰だ?」


「……県の理科教育委員会の先生たち。」


「そうだ。定年退職した校長先生や、地元の高校の理科教師だ。」


稲垣は黒板のフローチャートを指差した。


「彼らにこんな『ガチの論文』を見せてみろ。『小学生が出来るわけがない』『親か業者がやったに違いない』……即、替え玉判定で審査対象外だ。」


「……替え玉じゃない。私がやる。」


「それを証明できないだろ! 学校にシーケンサーなんてないんだから!」


環はムッとした。


「……じゃあ、どうすれば?」


稲垣はニヤリと笑い、人差し指を立てた。


「コンクールってのはな、『審査員の心証ウケ』が9割だ。」



【 稲垣流・必勝メソッド 】


1.設備は学校にあるものと、100均で揃うもの限定。(「子供が頑張った感」を演出)


2.テーマは少し奇抜で、かつ「素朴な疑問」から入る。(「子供らしい発想」を装う)


3.しかし、考察とデータ収集は鬼のように緻密にやる。(ここで他の児童と差をつける)


「つまり、『一見子供らしい実験だが、中身の論理性は大学レベル』。これが一番評価される。」

「図書カードが欲しいなら、審査員ターゲットの好みに合わせて最適化しろ。」


環は、しばらく沈黙し、そして頷いた。


「……なるほど。ペルソナ分析に基づいたプレゼン戦略マーケティング。」

「……合理的。採用する。」


「よし。じゃあテーマ決めだ。」



稲垣はプランターのトマトを指差した。


「お前、さっき『アブラムシ』を取ってただろ? 虫に食われた植物が、周りの仲間に『敵が来たぞ』って信号(匂い)を出す話、知ってるか?」


「……揮発性有機化合物(VOC)による植物間コミュニケーション。」


「……アレロパシーの一種。」


「それだ! それを『トマトは悲鳴を上げているのか?』というタイトルでやる。」


「使う道具は、ポリ袋とビニールテープだけだ。」



【 実験計画 】

•実験群A: 虫に食われた葉っぱと同じ袋に入れた、健康なトマト。


•実験群B: 虫に食われていない葉っぱと同じ袋に入れた、健康なトマト。


•比較: Aのトマトが、防御反応(葉を硬くしたり、苦味成分を出したり)を起こすかを観察する。


「これなら小学生の設備でできる。だが、お前の観察眼なら、葉の色や気孔の開閉数なんかで、有意差を見つけられるはずだ。」


環の目が光った。

「……面白い。」

「……人間の耳には聞こえない『悲鳴』を、データで可視化する。」


「よし、決まりだ! 早速、実験セットを組むぞ。」


稲垣は、透明なゴミ袋とハサミ、ガムテープを持ってきた。


「トマトの枝を、こうやって袋で覆って、隙間がないようにテープで留めるんだ。」


「……ラジャ。」


環はガムテープを手に取った。 理論は完璧だ。茎を傷つけないように、袋の口を絞って、テープで密閉する。



ベタァッ。



「……あ。」


テープが、袋ではなく環の手に巻き付いた。

取ろうとすると、反対の手にも張り付いた。


「……先生。粘着力が強すぎる。」


「お前が不器用すぎるんだよ!」


環は、まるで手錠をかけられた犯人のように、両手をテープで拘束されて動けなくなった。


「……助けて。宮沢賢治が遠のく。」


「はいはい、じっとしてろ。」


稲垣は苦笑しながら、テープを剥がしてやった。


「いいか、不器用なのは仕方ない。そこは俺が手伝ってやる(ただし、レポートには『先生に手伝ってもらいました』と正直に書くこと)。」


「……屈辱。」


「その代わり、データの計測と考察は、誰にも文句を言わせないレベルでやれよ?」


「……当然。」


環は、自由になった手で眼鏡をクイッと上げた。


「……学校の顕微鏡と、画像解析ソフト(自作)を使って、細胞レベルの変化まで暴いてやる。」


こうして、農学部出身の先生と、不器用な天才少女による、「見た目はショボいが中身は凶悪」な自由研究がスタートした。

モチベーションの維持のため評価だけでも。

できれば感想を頂ければ幸いです。


よろしくお願いいたします。


次回は明日19時ごろ投稿予定です。

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