活性化する大学
小学5年生。
11歳になった環は、第二次性徴期を迎え、身長がグンと伸びていた。
手足が長くなり、スタイルは良くなったが……運動能力は反比例するように「ポンコツ化」していた。
スイミングスクール。
環は、週1回から週2回へとコースを増やしていた。
理由は「成長痛の緩和」と「受験に向けた基礎体力作り」。
しかし、クラスは4年生の時と同じ「中級」のままだ。
「はい、桜庭さん! 手と足のタイミングがバラバラですよー!」
コーチの指導が飛ぶ。
(……分かっている。)
環はゴーグルの中で冷静に分析していた。
(……脳からの電気信号が、末梢神経に伝達されるまでにラグがある。)
(……身長が伸びた分、重心位置が変化し、制御パラメータの更新が追いついていない。)
隣のレーンでは、年下の4年生たちがスイスイと彼女を追い抜いていく。
環は、長い手足を持て余しながら、溺れているのか泳いでいるのか分からないフォームで、必死に水を掻いていた。
◇
「……水泳は抵抗が大きすぎる。陸上ならいけるかも。」
そんな仮説を立てた環は、地元のミニバスケットボールクラブに入部してみた。
結果は、悲劇的だった。
ドスッ。(顔面にパスを受ける音)
「あーっ! 桜庭! ボール見てろよ!」
(……見えている。)
環の動体視力は、ボールの軌道、回転数、落下地点を完璧に予測していた。
(……t=1.2秒後に、座標(X,Y,Z)に到達する。)
しかし、脳が「捕れ」と命令してから、筋肉が動くまでに致命的な遅延が発生する。
『 認識(超高速) 』→『 命令(高速) 』→『 筋肉(低速・エラー) 』
「……ハードウェア(肉体)のスペック不足。」
「……これ以上の投資は、時間と労力の無駄。」
環は、わずか2ヶ月で退部届を出した。
「……私には、eスポーツ(頭脳戦)がお似合い。」 挫折を知った天才は、大人しくスイミングでの「健康維持」に専念することを誓った。
◇
一方その頃。県立医科大学。
『阿修羅』の世界的な大ヒットと、それによる莫大な特許収入、さらに地域医療への貢献(佐伯病院などの救済)により、大学の評価はうなぎ登りだった。
その功績の第一人者として、人事が動いた。
『 祝・就任 病院長:毒島 薫 教授 』
院長室の真新しい革張りの椅子に、毒島がふんぞり返っていた。
かつては「野犬」や「ゴリラ」と恐れられた男が、ついにこの白い巨塔のトップに立ったのだ。
「……ケッ。性に合わねぇ椅子だ。」
毒島は葉巻(禁煙中のためココアシガレット)を噛み砕いた。
「だがまぁ、これで予算は好き勝手に使えるな。」
彼は、病院長権限で「最新鋭ロボット手術センター」を設立し、さらに多くの若手外科医を呼び寄せるつもりだった。
そしてもう一人。 基礎医学棟の学部長室では、鬼頭が死にそうな顔で書類の山に埋もれていた。
『 祝・就任 医学部長:鬼頭 丈 教授 』
「……なんで俺が学部長なんだ。」
「俺は解剖室で、人体と向き合っていたいんだ……!」
鬼頭の嘆きはもっともだったが、周囲がそれを許さなかった。
環と共同開発した「教育AIシステム」により、国家試験合格率をV字回復させた実績は、教育者としてあまりに輝かしすぎた。
「先生! 来年度のカリキュラム改訂案、決済お願いします!」
「学部長! 他大学との連携会議、10分後です!」
「ええい、うるさい! 全部AIに決めさせろ!」
鬼頭は、解剖刀の代わりにハンコを持ち、終わりのない事務作業と戦っていた。
◇
ある日の放課後、大学へ立ち寄った。 新しくなった院長室のドアを開ける。
「……おめでとう、毒島のおじちゃん。」
「……あ? おう、環か。」
そこには、毒島(病院長)と、サボりに来た鬼頭(学部長)がいた。
二人の偉いおじさんは、環を見ると表情を崩した。
「……聞いたよ。出世したんだって?」
環は、毒島の重そうな椅子をペタペタと触った。
「おうよ。これでお前の作った『阿修羅』を、あと10台は買えるぞ。」
「……なら、マージン(手数料)の交渉をしないとね。」
環はニヤリと笑い、ソファに座った。
「……私は運動神経ゼロで、バスケ部をクビになったのに。……おじさんたちは、権力闘争というスポーツが得意そうで羨ましい。」
鬼頭が苦笑いする。
「バカ言え。俺たちはただの『神輿』だ。」
「……担いでるのはお前だろ、環。」
その通りだった。 彼らがここまでの地位に上り詰められたのは、環というエンジニアが作り出した技術的優位性があったからこそだ。
「……ま、いいわ。」
環は、カバンからスイミングの進級テスト(不合格)の紙を取り出し、ゴミ箱に捨てた。
「……私が泳げなくても、おじさんたちが泳いで稼いでくれれば。」
「……今後も、私の研究費よろしくね、病院長先生、医学部長先生。」
毒島と鬼頭は顔を見合わせた。
「……へいへい。仰せの通りに。」
「……一生、頭が上がらんわ。」
肩書きが変わっても、この部屋のヒエラルキーの頂点にいるのは、身長145センチの運動音痴な小学生であることに変わりはなかった。
◇
実験棟・シミュレーションセンター。
久しぶりに顔を出した環は、異様な光景を目にした。
「……ここ、鉄工所?」
そこでは、白衣を着た医師たちが、聴診器の代わりに半田ごてや3Dプリンターを操っていた。
「おい! 循環器内科の相田先生!」
「なんだ!」
「人工心肺のポンプ圧、流体力学の計算が合わねぇ! ベルヌーイの定理の再計算頼む!」
「任せろ! 俺は昔、ジェットエンジンの燃焼室を設計したかったんだ!」
彼らは目を輝かせ、油まみれ(機械油)になって議論している。
そこに、かつての「やらされ仕事」の悲壮感はない。
「……なるほど。」
環は、部屋の隅でニヤリとした。
「……『高偏差値の被害者』たちの解放区になったわけか。」
医学部には、ある一定層の種族がいる。
本当は「ロボットが作りたい」「宇宙に行きたい」「プログラマーになりたい」という夢を持っていた理系少年たち。
しかし、「成績が良いから」「親が医者になれと言うから」「家が貧しく医学部だと奨学金が出るから」「将来安泰だから」という理由だけで、工学部への進学を断念し、医学部に入ってしまった天才たちだ。
彼らはこれまで、興味のない生物学や暗記中心の医学に埋もれ、悶々としていた。
だが、環が持ち込んだ『阿修羅』開発プロジェクトと、東都工大との提携が、彼らの封印された「工学魂」に火をつけてしまったのだ。
「よう、環ちゃん。来てたのか。」
麻酔科医の相田(30代)が、満面の笑みで声をかけてきた。
彼は以前、死んだ目で麻酔記録を書いていた男だが、今は手に『超小型タービン』を持っている。
「……先生、それ何?」
「へへっ、見てくれよ。血管内を自走するカテーテル用の推進器だ。」
「原理はロケットエンジンと同じ。血液を噴射して進むんだ。」
相田は熱っぽく語った。
「俺さ、高校時代はロケット同好会で、本気でJAXAに入りたかったんだ。」
「でも、親が開業医でさ……泣く泣くここに来た。」
「……でも今、ロケット作ってる。」
「ああ! 人の体の中を飛ぶロケットだ!」
相田は少年の顔に戻っていた。
「医学の知識と、趣味の工学知識が合わさって、今最高に楽しいよ!」
この現象は、大学全体に波及していた。
•整形外科医(元・建築家志望): 「骨の強度計算に、高層ビルの免震構造理論を応用してみた。これで絶対に折れないボルトが作れる!」
•眼科医(現・カメラオタク): 「網膜の受光データを、最新のCMOSセンサー技術で解析する。人間の目を超える義眼、イケるぞ!」
•脳外科医(元・プログラマー志望): 「脳波でドローンを飛ばすコード書いたわ。これで寝たきりの患者さんも散歩に行ける。」
彼らは「医者」としての臨床知識と、「隠れオタク」としての工学知識をハイブリッドさせ、次々とニッチで画期的な医療機器のアイデアを生み出し始めていた。
東都工大の研究者たちも、「この医者たち、話が通じるぞ!?」と驚き、共同研究が爆発的に加速していた。
◇
その様子を、院長室での研究実績レポートで報告を受け取った毒島は、葉巻を吹かした。
「……ケッ。どいつもこいつも、ガキみたいに遊びやがって。」
「だがまぁ、病院の収益も論文数も上がってるんだ。文句はねぇ。」
鬼頭も頷いた。
「『やらされている優等生』ほど使いにくいものはないが、『夢中になったオタク』ほど強いものはないからな。」
環は、実験室の隅で、相田先生のマイクロ・ロケットの設計図に赤ペンを入れていた。
「……ここ、キャビテーション(泡)が発生する。インペラの角度を2度修正。」
「うおお! ありがとう環ちゃん! これでマッハ(血流速度的に)が出るぞ!」
週に一度の環の訪問は、彼らにとって「答え合わせ」と「新たな課題」をもらう至福の時間となっていた。
地方の医科大学は今、日本で最も熱い「メディカル・エンジニアリング」の聖地へと変貌しつつあった。 その中心にいるのは、相変わらず運動神経ゼロの、一人の小学生だった。
モチベーションの維持のため評価だけでも。
できれば感想を頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
次回は明日19時ごろ投稿予定です。




