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Reboot(再起動)エピソード"ゼロ"  作者: いきし
小学生中編(医大・工大編)
29/38

菊の紋章の約束

10月某日、夕方。


東都工業大学・学長室。


西園寺は、財務担当理事から上がってきた報告書を見て、片眉を跳ね上げていた。


「……ほう。『匿名希望』様から、数十億円の寄付だと?」


「はい。海外の複数の口座を経由しており発信元は不明ですが、資金洗浄ロンダリングの形跡はなく、完全にクリーンな資金です。」

「使途は『スーパーコンピューターの維持・発展のため』と指定されています。」


西園寺は、重厚な革張りの椅子に深く座り直した。


数十億円。

国立大学への寄付としては破格だ。


OBの成功者が寄付することはあるが、匿名で、しかもこれほどの額をポンと出す人間など限られている。


西園寺は、手元のタブレットでニュースをチェックした。


『 鳴和県長閑市役所、サイバー攻撃から奇跡の復旧 』

『 国際的ハッカー集団、壊滅。身代金は慈善団体へ寄付か 』


「……鳴和。……長閑市。」


「……スパコンへの寄付。」


西園寺の脳内で、パズルのピースがカチリと嵌った。


彼はニヤリと笑い、内線電話の受話器を取った。


「……情報理工学院の、氷室教授を呼んでくれたまえ。……今すぐにだ。」



10分後。


氷室が学長室に入ってきた。


その顔色は、コピー用紙よりも白かった。


「……し、失礼します。お呼びでしょうか、学長……。」


氷室は震えていた。 当然だ。

彼は数時間前、国の重要インフラであるスパコン『TSUBAME』を、正規の手続きを経ずに、私的な(しかもハッキング目的の)用途で外部に開放したのだ。


バレれば懲戒免職どころか、刑事罰もありえる。


西園寺は、報告書をヒラヒラとさせた。


「氷室くん。……君の研究支援基金に、面白いお金が入っているね。」


「……は、はぁ……。」


「時を同じくして、鳴和の市役所が救われ、国際犯罪組織が金を抜かれた。」


西園寺の眼光が、氷室を射抜く。


「……偶然にしては、出来すぎだと思わんかね?」


氷室は、ガックリと膝をついた。


「……も、申し訳ありません!!」

「全責任は私にあります! 処分は甘んじて受けます! ですから……!」


西園寺は、氷室の言葉を遮った。


「……『脅された』んだろう?」


「え?」


西園寺は、楽しそうに笑った。


「あの『リトル・モンスター(環)』のことだ。君が貸さなければ、自力でハッキングして乗っ取るとでも言ったんじゃないか?」


氷室は、涙目で激しく頷いた。


「は、はいッ! その通りです!」

「『貸さないならセキュリティホールを突く』と……! 防御できる自信がありませんでした!」


「カカッ! だろうな! あの子の攻撃を防げる盾など、この地球上に存在せんよ!」


西園寺は立ち上がり、氷室の肩をポンと叩いた。


「……緊急避難だ。仕方あるまい。」

「それに、結果として犯罪組織は壊滅し、我が大学には莫大な研究費が入った。」


「この金は、日本の科学の発展に有意義に使わせてもらおう。……君は何も見ていないし、何もしていない。いいね?」


氷室は、地獄の淵から生還した心地だった。


「……あ、ありがとうございます!! 一生ついていきます!!」


「うむ。……ただし、次からは事前に私にも必ず教えろ。その面白いショー、私も特等席で見たいからな。」


「……は、はい(この人も大概だ……)。」



氷室が退室し、再び静寂が戻った学長室。

西園寺は、窓から見える夕焼けを眺めながら、独り言を呟いた。


「……まったく。」


「国家レベルのサイバー防衛を、たった一人で、しかもおやつ感覚でやってのけるとは。」


西園寺は、環の才能の底知れなさに戦慄し、そして同時に深い悔しさを感じていた。


「……惜しい。」


「本来なら、彼女は政府のサイバーセキュリティ戦略本部のトップに座り、堂々と指揮を執るべき人材だ。」


「それが、こんな裏技のような手段を使わねば、故郷一つ守れないとは……。」


西園寺は、拳を握りしめた。

今の日本の硬直したシステムが、彼女のような才能を「アンダーグラウンド」に押し留めている。

10歳の少女を、法を犯す「義賊」にさせてしまっている現状が、日本の支配者層の一人として歯痒かった。


「……急がねばならんな。」


西園寺は、環から託された「科学技術白書」の修正案に目を落とした。


「君が表舞台で、その力をフルに振るえる国にするまで……この老骨、まだまだ死ねんよ。」


薄暗くなる部屋で、怪物・西園寺の目は、猛禽類のように鋭く光っていた。


________________________________________


新春。


世界中の科学誌が、一つのニュースに沸いていた。

ノーベル賞学者・西園寺博士が発表した新論文『高次元射影による準結晶構造の自己組織化理論』が、物理学と材料工学の常識を覆したのだ。


さらに、東都工業大学が開発を主導した手術ロボット『阿修羅アシュラ』は、日本の産業界における久々のホームランとして、世界中から賞賛されていた。


この功績により、西園寺は皇居に招かれ、天皇陛下への「御進講ごしんこう」の栄誉を賜ることとなった。



皇居・宮殿「松の間」


静寂に包まれた広間。


モーニングコートに身を包んだ西園寺は、陛下の御前に進み出た。

本来ならば、侍従や宮内庁の記者たちが同席し、形式通りの報告が行われるはずだった。


しかし、西園寺は深く頭を下げたまま、震える声で言った。


「……陛下。恐れながら、願いがございます。」

「プレスが入る前の、わずか5分間で構いません。……『人払い』をして、私的な上奏じょうそうのお時間を頂けませんでしょうか。」


侍従たちがざわめく。

前代未聞の事態だ。


しかし、陛下は静かに頷かれ、人払いを許可された。


重厚な扉が閉まり、広い部屋には、日本の象徴と、日本の科学のトップの二人だけが残された。



「……西園寺。改まった顔をして、どうしたのだ。」


陛下の穏やかなお声に、西園寺は平伏したまま答えた。


「……はい。本日は、私の研究成果と、『阿修羅』の成功をご報告に参りましたが……。」


「実は、これらはすべて、私一人の力によるものではございません。」


西園寺は、顔を上げ、決意を込めて語り始めた。


「世界が驚いた準結晶の理論。……あれの核心を解いたのは、私ではありません。」

「医療現場を救っている病理診断AI。……あのアルゴリズムを組んだのも、私ではありません。」


「そして先日、鳴和県の地方都市をサイバーテロから救った『見えざる手』……。」



「それらはすべて、鳴和に住む、わずか10歳の少女の仕業にございます。」



陛下の眉が、わずかに動いた。


「……10歳の、少女……か。」




「名は、桜庭環さくらば たまきと申します。」




西園寺は、愛おしそうにその名を口にした。


「彼女は、天がこの国に遣わした『特異点』にございます。」


「今の硬直した教育制度や社会システムでは、彼女の才能は収まりきりません。……時に法を犯すような手段を使ってでも、彼女は人々を救っております。」


西園寺の声が、涙で潤んだ。


「……陛下。私は、もう長くありません。」


「この老骨が朽ちた後、誰が彼女を守るのでしょうか。」


「無理解な政治家や、嫉妬に狂う学者どもから、あの小さな『日本の宝』を、誰が……。」


西園寺は、頭を90度以上に下げた。


「どうか……どうか、皇室の皆様におかれましても、あの少女を遠くから見守ってやっては頂けませんでしょうか。」


「彼女こそが、21世紀の日本を、世界の荒波から守る盾となり、矛となります。」


「これが、科学者・西園寺の、最初で最後の遺言にございます。」


長い沈黙が流れた。

やがて、陛下は静かに歩み寄られ、西園寺に声をかけられた。


「……西園寺よ。そなたがそこまで惚れ込む才能か。」


「……桜庭環。……その名、心に留め置こう。」


「……! ありがたき幸せにございます……ッ!!」


西園寺の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。


具体的な政治介入の約束ではない。

しかし、「心に留め置く」というお言葉。

それだけで十分だった。


皇室という、日本で最も長く、最も重い権威が、環の存在を「認知」したのだ。

いつか環が窮地に陥った時、この「見えない加護」が彼女を救うかもしれない。



5分後。 扉が開き、記者団とカメラマンが雪崩れ込んできた。


フラッシュが焚かれる中、西園寺は涙を拭い去り、いつもの豪快な「ノーベル賞学者」の顔に戻っていた。


「いやぁ! 日本の科学技術はまだまだこれからですぞ!」


「若い芽が育っておりますからな! ワハハハ!」


西園寺は高らかに笑った。

その胸には、誰にも言えない、しかし誇らしい「国家機密」が温かく輝いていた。


鳴和の小学校では、何も知らない環が、給食の揚げパンのきな粉をこぼして床掃除をしていた頃。

東京の皇居では、彼女の運命を守る最強のセキュリティ・システムが、静かに稼働し始めたのであった。

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