倍返しどころではない殲滅
平和な午後3時。
長閑市役所。
住民票の窓口で、職員がPCを操作していた手が止まった。
「……あれ? 画面が固まった。」
「こっちもだ。再起動しても動かないぞ。」
異変は、庁舎内の全端末へウイルスのように広がった。
数分後。
全てのモニターが一斉に暗転し、そして不気味な赤いドクロのアイコンと共に、メッセージが表示された。
『 YOUR DATA IS ENCRYPTED (データは暗号化された) 』
『 PAY 500,000,000 JPY within 24 hours. (24時間以内に、5億円を支払え) 』
『 IF NOT, ALL DATA WILL BE DELETED. (さもなくば、全データを削除する) 』
「な、なんだこれはぁぁぁッ!?」
職員の絶叫が響き渡る。
住民基本台帳、税務情報、戸籍データ。
市民の生活を支える全てのサーバーが、何者かによって人質に取られたのだ。
「け、警察だ! すぐに通報しろ!」
駆けつけた所轄の警察官2名は、真っ赤な警告画面を見て立ち尽くした。
「こ、これは……サイバー犯罪ですね……。」
「署の生活安全課では手に負えません。県警本部のサイバー対策室に応援を要請します!」
現場はパニックだ。
システム管理を委託している地元のITベンダー数社が呼び出されたが、彼らも顔面蒼白でキーボードを叩くだけだった。
「だ、ダメです! バックアップサーバーまで暗号化されています!」
「ログに入れない! 管理者権限が奪われています!」
「復旧の目処……立ちません!」
夕方のニュースで、長閑市の幹部たちが頭を下げて謝罪した。
「現在、原因を調査中ですが……市民の皆様の個人情報が……。」
市役所の機能は完全に麻痺し、まさに都市機能停止状態に陥った。
その頃。
市役所の下請けでシステム保守の一部を請け負っていた、博の勤める中小ソフト開発会社も修羅場と化していた。
「おい桜庭(博)! どうなってるんだ!」
社長が泡を吹いて怒鳴り散らしている。
「今回の侵入経路、まさかウチが納品したモジュールの脆弱性(穴)じゃないだろうな!?」
「もしウチの責任になったら、損害賠償で会社が潰れるぞ!!」
博は、充血した目で必死にサーバーログ(の残骸)を追っていた。
「わ、分かりません……! 形跡が消されていて……でも、ウチの担当箇所だけじゃない、システム全体が同時にやられています!」
「言い訳はいい! とにかく復旧させろ! 今日は全員帰さんぞ!!」
博は、脂汗を拭いながら携帯を取り出した。
今日は、久しぶりの家族サービスの日だったのだ。
駅前のホテルの「秋のデザート&ディナービュッフェ」。
環が1ヶ月前から楽しみにしていたイベントだ。
(……くそっ、なんでこんな時に……!)
博は断腸の思いで、妻にメールを送った。
桜庭家・リビング。
学校から帰宅し、お出かけ用のワンピースに着替えていた環の横で、母・裕子の携帯が鳴った。
「あ……お父さんからだわ。」
裕子がメールを見て、表情を曇らせた。
『 ごめん。市役所のシステムトラブルで、緊急対応になった。 今日は帰れない。会社が潰れるかもしれない。 ビュッフェはキャンセルしてくれ。本当にごめん。 』
「……環。お父さん、今日はお仕事で無理だって。」
裕子が申し訳なさそうに言った。
環は、読んでいた本(カント『純粋理性批判』)をパタンと閉じた。
「……理由は?」
「ニュースでやってる、市役所のコンピューターが動かない件みたい。」
「……そう。」
環の表情から、感情が消え失せた。
環は、静かに立ち上がり、自分の部屋へ向かった。
その背中には、どす黒いオーラが立ち昇っていた。
(……今夜のビュッフェには、期間限定のシャインマスカットのショートケーキがあった。)
(……ドリンクバーには、プレミアム・メロンソーダがあった。)
(……お父さんの会社のセキュリティレベルは把握している。父のミスではない。これは外部からの悪意ある攻撃。)
環は自室に入り、自作のハイスペックPCの電源を入れた。
6枚のモニターが一斉に起動する。
「……私の楽しみを奪った罪は重い。」
環は、眼鏡を掛け直し、キーボードに手を置いた。
その指の動きは、ピアノのヴィルトゥオーゾ(達人)のように速く、そして冷酷だった。
「……犯人を特定する。」
「……5億円? 1円も渡さない。」
「……地獄を見せてあげる。」
カタカタカタカタカタッ……! ッターン!!
天才少女・桜庭環 VS 国際サイバー犯罪組織。
メロンソーダの恨みを晴らすための、仁義なき電子戦争が幕を開けた。
◇
午後4時。
東京・東都工業大学。
氷室教授は、研究室でニュース速報を見ていた。
「長閑市で大規模サイバー攻撃」のテロップ。
(……この市役所、環の住んでいるところじゃないか。)
そう思った瞬間、PCに着信が入った。
環からだ。
『 ……氷室先生。今のニュース、見た? 』
「ああ。ランサムウェア(身代金ウイルス)だな。最近流行りの。」
『 ……私の分析では、使用されたのは新型の暗号化ワーム。攻撃元は東欧を経由した多段プロキシ。……合ってる? 』
氷室は舌を巻いた。
「……恐らくな。数分でそこまで解析したか。」
『 ……で、相談。』
環の声が、氷点下まで下がった。
『 ……東都工大のスパコン『TSUBAME』の全ノード、30分だけ貸して。』
「はぁ!? お前、国の資産だぞ! 目的外使用で俺の首が飛ぶ!」
氷室が叫ぶと、環は淡々と言った。
『 ……貸さないなら、今からセキュリティホールを突いて乗っ取る(ハックする)。……どっちがいい? 』
『 ……どっちにしろ私が使うのは確定事項。 』
氷室は天を仰いだ。この子は本気だ。
「……分かった。俺のアカウント権限を渡す。……『学術研究』という名目にしておけ。絶対に足跡を残すなよ!」
◇
桜庭家・環の部屋。
6枚のモニターが、目にも止まらぬ速さで文字列を吐き出していく。
環は、日本の科学技術の結晶であるスーパーコンピューターの演算能力を、全て自分のPCに直結させていた。
「……計算資源、確保。」
「……反撃開始。」
環の指が叩くエンターキーの音が、銃声のように響く。
1.逆探知: 世界中に分散されたボットネットの踏み台サーバーを、スパコンの暴力的な計算力で総当たり解析。
ロシア、ブラジル、東南アジア……何十もの偽装を経由し、ついに本丸(C2サーバー)を特定した。
場所は、東欧のとある国と、アジアの無政府地帯にある雑居ビル。
2.データ奪還: 「……データ、まだオフライン(テープ等の外部媒体)に隔離されてない。」 「……クラウド上のストレージにある。……パスワード解析、完了。」
環は、犯人グループのサーバーにバックドアから侵入。
長閑市から盗まれた住民データを完全に削除し、逆に市役所のサーバーを復旧させるための「暗号化解除キー」を抜き取った。
「……人質は取り返した。」
「……次は、お仕置き。」
犯人グループの口座には、世界中から巻き上げた身代金が唸るほどプールされていた。
「……汚いお金。洗浄してあげる。」
環は、ブロックチェーンの取引履歴を解析し、彼らのウォレットの秘密鍵を特定。 数百億円相当の資産を、一瞬で送金した。
送金先は以下の通り:
•赤十字、ユニセフ等の国際慈善団体: 40%
•東都工業大学・研究支援基金(寄付者:匿名希望): 40%
•スパコン『TSUBAME』電気代および利用料: 10%
•環の秘密口座(研究費): 10%
「……これで、世界中の子供たちが救われる。……感謝してね、泥棒さん。」
犯人グループの残高は、瞬時に0.000となった。
だが、環の怒りは金では収まらない。
彼女は、犯人たちが使用しているデバイス(スマホ、PC)のMACアドレスを特定していた。
「……私のショートケーキを邪魔した罪。」
ッターン!!
その瞬間、世界数カ所のアジトで悲劇が起きた。
犯人たちが持つスマホ、タブレット、PCが、一斉に高負荷熱暴走を起こした。
バッテリーが膨張し、OSがクラッシュし、強制的に初期化される。
「うわあああ! 俺のスマホが!」
「熱っ! PCから煙が出たぞ!」
「データが消えた! バックアップも全部だ!」
彼らの商売道具は、ただの文鎮と化した。
仕上げだ。
環は、彼らの正確なGPS座標付きの匿名メールを送信した。
【 法治国家のアジト向け 】
送信先:インターポール、FBI、現地警察。
内容:『大規模サイバー犯罪組織の拠点および証拠データ(復号済み)を送付します。直ちに急襲されたし。』
【 無法地帯のアジト向け 】
送信先:犯人グループと敵対するマフィア、武装勢力。
内容:『お宅のシマを荒らしている連中の居場所と、武器の保管庫の鍵(電子ロック)を開けておきました。ご自由にどうぞ。』
◇
午後7時。
長閑市役所。
突如として、死んでいたサーバーが再起動を始めた。
画面のドクロマークが消え、通常のログイン画面に戻る。
「……な、直った!?」
「データも無事だ! 暗号化が解けてる!」
奇跡だ……!」
職員たちや外部の技術者たちは、抱き合って喜んだ。
「よかった……本当によかった……!」
◇
午後8時。桜庭家。
博が、大量のケーキ(コンビニスイーツだが)を買って帰宅した。
「ただいま! 環、裕子! 直ったよ! 奇跡的にシステムが復旧したんだ!」
博は興奮して語ったが、環はリビングで静かに本を読んでいた。
「……おかえり、お父さん。」
「ごめんな、ディナー行けなくて。埋め合わせは今度絶対にするから!」
「……ううん。いいの。」
環は、父が無事に帰ってきたこと、そして「敵」が今頃、警察とマフィアと破産に追われて地獄を見ていることを想像し、薄く微笑んだ。
「……メロンソーダより、スッキリしたから。」
その夜、ニュースでは「国際的ハッカー集団、一斉摘発」「謎のホワイトハッカーによる制裁か?」という報道が流れたが、その正体が、ケーキを食べ損ねた鳴和の小学生であることは、誰も知る由もなかった。
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次回は明日19時ごろ投稿予定です。




