とある中堅敏腕外科医
都内の総合病院・消化器外科。
真壁36歳は、医局のデスクでコーヒーを飲みながら、充実感に浸っていた。
彼は脂の乗り切った中堅外科医。
かつては「俺の手技が一番」と自負していた時期もあったが、手術ロボット『阿修羅』が導入されてから、その鼻は見事に(そして良い意味で)へし折られた。
(……俺の鉗子操作、あんなに無駄が多かったとはな。)
『阿修羅』のログ解析機能は残酷だ。
「結紮(糸結び)の際に2秒の遅延あり」
「左手の剥離角度が組織を傷つけている」
と、自分でも気づかなかった「変な癖」を次々と指摘された。
最初はムッとしたが、AIの推奨通りに直すと、手術時間が20分も短縮された。
さらに、若手指導が劇的に楽になった。
「そこ、もっと慎重に!」と口で言う必要がない。
「ガイドラインを見て。赤くなってるよ」と言うだけで、研修医はAIの視覚支援に従い、安全に手術を進められる。
自分の胃が痛くなる時間が減ったのだ。
「真壁先生。3番オペ室、準備できました。」
「よし、行くか。」
今日の午前中は、高難度の膵頭十二指腸切除術。 膵臓癌に対する、長時間かつ複雑な大手術だ。
ミスは許されない。
真壁はコンソールに座ると、迷わず『毒島・鬼頭モード(標準搭載)』を選択した。
『 オラァ! 気合入れろ真壁ェ!! 』
ヘッドセットから、毒島教授の罵声が響く。
『 膵鉤部の処理だ。門脈の裏側、走行異常に気をつけろ。 』
鬼頭教授の冷静な解剖学的指摘が続く。
(……くぅッ、これだ!)
真壁の背筋がピンと伸びる。
まるで、背後に伝説の二人が仁王立ちしているようなプレッシャー。
甘えが消える。
集中力が極限まで高まる。
「……メス。」
5時間に及ぶ激闘。
毒島の罵声に煽られ、鬼頭の知識に助けられ、真壁は一度のミスもなく、難手術を完遂した。
終わった頃には、スクラブ(手術着)は汗でびっしょりだった。
「……ふぅ。寿命が縮んだが……最高の出来だ。」
この緊張感こそが、外科医を育てる。
◇
夕方。
緊急で入った虫垂炎の手術。
本来なら若手にやらせるレベルだが、今日は人手が足りず、真壁が執刀することになった。
「……ふふ。」 誰もいない手術室(スタッフは準備中)で、真壁はこっそりと自分のIDカードを取り出した。
コンソールのカードリーダーにかざす。
『 決済完了:3,000円(自費) 』
『 TAMA-CHAN MODE : START 』
これは、彼にとっての「ご褒美」だ。
午前の手術で消耗した脳みそを、クールダウンさせるための贅沢な時間。
『 ……準備いい? さっさと終わらせて。』
聞こえてきたのは、冷ややかな少女の声。
毒島のような熱血も、鬼頭のような圧もない。
あるのは、絶対的な「正解」のみ。
『 ……そこ。迷走してる。最短ルートはこっち。』
画面上に、針の穴を通すような、極細のガイドラインが表示される。
それは、毒島・鬼頭モードよりもさらに洗練された、AI特有の「無駄のない動き」だった。
真壁は、そのガイドをトレースするだけでいい。
思考停止? いや違う。 「純粋な論理」と一体化する快感だ。
(……あぁ、気持ちいい。)
(感情のない、完璧なアルゴリズムに身を委ねる、この浮遊感。)
『 ……1ミリずれた。修正して。』
「はい、すみません……。」(心の中の声)
真壁は、年下の(というか子供の)AIに叱られながら、恍惚とした表情で鉗子を動かす。
このモードを使っている時は、自分がただの「精密機械の一部」になったような、不思議な安らぎがあった。
手術は、わずか10分で終了した。
完璧だ。傷口すら芸術的に美しい。
『 ……ん。悪くない。』
『 ……お疲れ様。』
最後にボソッと言われた、少女のデレ(?)。
その一言を聞いた瞬間、真壁の脳内でドーパミンがドバッと放出された。
(……くぅ〜っ!! これだよこれ!!)
(毒島先生に褒められるのとは違う、この……なんというか、選ばれし者感!)
「真壁先生? ニヤニヤしてどうしたんですか?」
麻酔科医に怪訝な顔をされ、真壁は「い、いや!」と慌てて表情を引き締めた。
3000円。 高いランチ代程度だが、この精神的充足感はプライスレス。
真壁は「明日も頑張ろう」と心に誓い、軽やかな足取りで更衣室へと向かった。
日本の医療現場では、今日もどこかで「オラァ!」という罵声と、「……遅い」という冷徹な声が響き、患者の命を救っているのだった。
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次回は明日19時ごろ投稿予定です。




