とある老年の外科病院理事長
県内の中規模病院・佐伯病院。
理事長兼院長の佐伯(60代)は、休診日の理事長室で、鉛のように重い体をソファに沈めていた。
(……腰が痛い。目も霞む。)
彼は昨日、4件の手術を執刀した。
本来なら若手に任せるべき症例だが、外科医がいないのだ。
せっかく手取り足取り教えて一人前にしても、数年で「症例数を稼ぎたい」「都会に行きたい」と言って辞めていく。
うちはただの「踏み台」だ。
(……もう、潮時か。)
外科部門の閉鎖。
地域住民のことを思えば避けたかったが、佐伯の体力が限界だった。
最近ニュースで、地元の医大が手術ロボット『阿修羅』を開発したと聞いたが、鼻で笑ってスルーしていた。
(どうせ、アメリカの『レオナルド』の劣化コピーだろう。)
(予算のない地方大学が作ったおもちゃだ。導入する金も体力もない。)
彼は目を閉じ、閉院の挨拶文を脳内で考え始めていた。
プルルルル……。
不意に携帯が鳴った。
画面には『県医師会・小山田先生』の文字。
少し年上の、地域の顔役だ。
「……はい、佐伯です。」
『おい佐伯ちゃん! 今家か!? すぐ医大に来い! 今すぐだ!』
「はぁ……今日は体がちょっと……。」
『寝てる場合か! お前の所の外科、畳もうか悩んでるって言ってたな?』
『助かりたいなら来い! 這ってでも来い! じゃあな!』
プツッ。 一方的に切られた。
(……なんだよ、もう。)
佐伯は深いため息をついた。
どうせ、開発予算を正当化するための「動員」だろう。
世話になっている先輩の顔を立てるためだけに、佐伯は重い腰を上げ、タクシーで大学病院へ向かった。
◇
大学病院の講堂に入った瞬間、佐伯は足を止めた。
「……なんだ、これは?」
想像していた「偉い教授が壇上で喋り、客席で医師たちが居眠りしている」光景ではなかった。
そこは、まるで暴動寸前の証券取引所のような熱気に包まれていた。
「おい! この触覚フィードバックの遅延は何ミリ秒だ!?」
「価格は!? リースの掛け率はどうなってる!」
「うちは『レオナルド』を入れたばかりだが、買い替えの下取りはできるか!?」
若手から、佐伯と同じような白髪のベテラン医師まで、誰もが血走った目で、メーカー(大和精機&帝都メディカル)の担当者に詰め寄っている。
冷やかしの客など一人もいない。全員が「獲物」を狙う目だ。
「……佐伯ちゃん! 遅いぞ!」
小山田先生が、人混みをかき分けてやってきた。
興奮で顔が真っ赤だ。
「小山田先生、これは一体……。」
「説明なんていらん! あれを見ろ! そして触れ!」
会場の中央。
人だかりの中心に、4本のアームを持つロボット『阿修羅』が鎮座していた。
見た目は無骨だが、アームの動きは不気味なほど滑らかだ。
「……どうぞ、先生。試技台が空きました。」
スタッフに促され、佐伯は「やれやれ」といった態度でコンソール(操作席)に座った。
(……ハイハイ、テレビゲームみたいなアレね。距離感がなくて疲れるんだよな……。)
彼は、気乗りのしないまま、マスタコントローラを握った。
画面には、模擬臓器(豚の腸)が映し出されている。
「……じゃあ、ちょっと摘んでみるか。」
佐伯が指を動かした、その瞬間だった。
グニュッ。
「……っ!?」
佐伯は、ビクッと手を引っ込めそうになった。
「い、今……。」
指先に、腸管の柔らかく、湿った弾力が伝わってきた。
鉗子で挟んだ感覚ではない。自分の指で直接掴んだ感覚だ。
「……おい、まさか。中に誰か入ってるのか?」
佐伯は、思わずアームの先を凝視した。
「……先生、続けてください。AIガイドをオンにします。」
スタッフが操作する。
画面上に、解剖学的なナビゲーションラインが表示された。
それは、佐伯が何十年もの経験で培った「勘」と完全に一致していた。いや、それ以上に正確だ。
佐伯は、震える手で縫合(結紮)を試みた。
老眼で見えにくいはずの針先が、鮮明な3D映像で拡大され、手元の微細な震え(振戦)が完全に消えている。
(……軽い。)
(……疲れない。)
(……これなら、俺でもあと10年……いや、死ぬまで執刀できる。)
さらに、隣で見ていた若手医師の操作も見えた。
未熟なはずの手つきが、ロボットの補正によって、ベテラン並みの安定軌道を描いている。
(……これがあれば。)
(……経験の浅い若手でも、俺の監督下で安全に手術ができる。) (……外科を、閉鎖しなくて済む。)
「……すげぇだろ?」
小山田先生が、ニヤニヤしながら佐伯の肩を叩いた。
「俺たちの老眼と腰痛のために作られたようなもんだ。」
佐伯は、コンソールから離れられなかった。
握りしめたコントローラから伝わる「確かな感触」が、彼に医師としての寿命を延ばす活力を注入していた。
「……小山田先生。」
「ん?」
「……銀行を紹介してください。」
佐伯の目は、もう濁っていなかった。
「借金してでも買います。……うちは、まだ戦えます。」
その日、佐伯病院の外科廃止案は白紙に戻された。
「阿修羅」という名の守護神は、大学病院だけでなく、崩壊寸前の地域医療の現場にも、確かな希望の光として君臨しようとしていた。
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次回は今日21時ごろ投稿予定です。
本日は短話3連投予定です




