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Reboot(再起動)エピソード"ゼロ"  作者: いきし
小学生中編(医大・工大編)
22/38

神様の赤ペン先生

しんみりした空気が流れたのも束の間。


西園寺は「よし!」と手を叩き、机の下から分厚い書類の束を取り出した。



「では、未来の総理大臣(仮)にお願いだ!」


「これは文科省から回ってきた、来年度の『科学研究費助成事業(科研費)』の審査書類だ!」


「あと、政府の『科学技術白書』の草案もある!」



ドサッ!!



環の目の前に、凶器のような紙の塔が置かれた。


「……は?」


環の目が点になる。


「私一人で読むと3日はかかるんだが、君となら3時間で終わる!」


「さあ、デザートの時間だ! 赤ペンを持ってくれ!」


「ここの予算配分がおかしいとか、この研究は将来性がないとか、バンバン斬ってくれ!」


「……詐欺。」


環はジト目で西園寺を睨んだ。


「うな重の対価が、労働基準法違反。」


「まあまあ! 日本の科学のためだ! さあ、やるぞ!」



「……これ、実験計画が杜撰。却下。」


「よし、不採択! 次!」


「……このバイオ研究、リスク評価が甘いけど、化ける可能性あり。」


「ほう、では条件付き採択にしよう! 次!」



学長室から、紙をめくる音と、二人の楽しそうな(そして恐ろしい)会話が響き続ける。


本来なら数ヶ月かけて審議される国家予算の配分が、10歳児と老人の「高速査読ごっこ」によって、次々と決定されていく。


環は文句を言いながらも、その瞳は輝いていた。

最先端の研究案に触れ、国の未来をシミュレーションするこの作業は、彼女にとって最高の知的遊戯でもあったのだ。


「……おじいちゃん。この白書の『IT人材育成』の項目、周回遅れ。」


「書き直すか! 貸してごらん、私が総理に直談判してくる!」


うなぎパワーで加速した二人の頭脳は、夕方まで止まることを知らなかった。



西園寺学長と環による「高速査読レビュー」は続いていた。


机の上には、採択(合格)と判断された書類の山と、却下(不合格)の山ができている。


環は、ある一枚の申請書の手前でペンを止めた。

内容は『有機金属構造体(MOF)による水素貯蔵技術』に関する研究だ。


「……おじいちゃん。これ、採択でいいけど……一言、補足コメントを入れてもいい?」


「ん? 補足かね?」


西園寺は眉を上げた。 通常、科研費の審査は合否と評点をつけるだけだが、審査員からのコメントとして改善点を伝えることはある。


「構わんよ。……未来の総理の『天啓』だ。好きなだけ書きたまえ。」


西園寺は面白がって許可した。


環は頷くと、申請書の余白に、さらさらと数式と化学構造式を書き込んだ。


『配位高分子の合成触媒に、パラジウムではなくルテニウム錯体(Ru-12)を使用すべき。貴殿の2009年の論文「錯体化学会誌」における失敗データは、温度条件が3度低かったことに起因する。再検証されたし。』


「……おい、ちょっと待て。」


横から覗き込んだ西園寺の手が、ピタリと止まった。


彼は老眼鏡の位置を直し、環の書き込みと、申請者の名前(地方大学の准教授)を見比べた。


「……君は、この研究者の2009年の……しかも『失敗したデータ』を覚えているのか?」

「さらに言えば、その失敗の原因が温度条件だったことまで、特定しているのか?」


それは、当の本人ですら忘れているかもしれない、過去のマイナーな論文の些細な記述だ。

それを、あたかも昨日の日記のように引き出し、現在の研究案とリンクさせている。


「……環くん。まさか君は……。」


西園寺の声が震え出した。


「世の中に星の数ほどある論文を……『全て』記憶しているのか?」


それは、人間の脳の容量を超えている。 インターネットそのものが服を着て歩いているようなものだ。


環は、キョトンとして答えた。


「……全部じゃない。」


「ゴミ論文ノイズは、読んだ瞬間に脳から削除デリートしてる。」


「……ゴミ、とは?」


「実験データの改ざん、既存研究の焼き直し、論理的整合性のない考察、p値ハッキング(統計のごまかし)……。」



環は冷徹に言い放った。


「世に出る論文の9割は、科学的価値の低いノイズ。」


「私は、『美しい論理』と『再現性のあるデータ』だけをフォルダ分けして保存してる。」


「……だから、この准教授の2009年の論文は『失敗』だけど『美しい』から覚えてた。」


「ただそれだけ。」



ヒュッ……。


西園寺は息を呑んだ。

この少女は、世界中のナレッジを、独自の審美眼でフィルタリングし、脳内に最強のデータベースを構築しているのだ。


「……カカッ! 参った!」

「君の前では、どんなごまかしも通用せんな!」

「よし! 全部の採択案件に、君のコメントをつけろ! これは国家的な『コンサルティング』だ!」



数ヶ月後。 全国の研究者たちの元に、審査結果の通知が届いた。

そこには、見慣れない筆跡(子供のような丸文字)で、衝撃的なアドバイスが記されていた。


【 ケース1:北海道のバイオ研究者 】

「なんだこれ……。『酵素Aの活性化には、マグネシウムイオン濃度を0.5%下げろ』?」

「ふざけるな、そんなことで……あっ!?」

「……成功した!? 3年間止まっていた反応が、一瞬で進んだ!?」


【 ケース2:九州の物理学者 】

「『貴殿のシミュレーションコード、128行目の変数が間違っている』……?」

「嘘だろ、デバッグは完璧に……うわあああ! 本当だ! 凡ミスしてたぁぁ!」


【 ケース3:東京の医科学者 】

「『このアプローチは10年前にドイツのチームが否定済み。参考文献○○を参照し、逆転写酵素の阻害剤を変更せよ』……。」

「……知らなかった。このまま進めてたら、数千万円をドブに捨てるところだった……。」


日本中で、研究の停滞ボトルネックが次々と解消され、画期的な成果が連発する怪現象が起きた。

研究者たちは歓喜し、そして戦慄した。


「一体、誰だ?」

「俺の専門分野の、しかも誰も気づかないようなミスを指摘してくる審査員……。」

「西園寺先生か? いや、先生の専門外の分野だぞ?」


学会では、「正体不明の神の赤ペン先生」の噂で持ちきりになった。 その助言のおかげで、日本の科学技術指標はV字回復し、数年後には複数のノーベル賞候補者が生まれることになる。



「……ふぅ。全部終わった。」


夕方、環はペンを置いた。


「ありがとう、環くん! これで日本はあと10年は戦える!」


西園寺は、山のような書類を愛おしそうに撫でた。


「……おじいちゃん。肩凝った。」


「おお、すまん! マッサージ機を用意しようか? それとも甘いものか?」


「……メロンソーダ―。」


「安い御用だ!!」


________________________________________


東都工業大学・正門前。


西園寺学長は、自ら手を挙げて流しのタクシーを止めた。

後部座席のドアが開く。


「……羽田空港まで。高速を使って、一番安全で早いルートで頼む。」


西園寺は、環をエスコートして乗せると、運転席の窓から顔を覗き込んだ。


「へ、へい! かしこまり……ひっ!?」


運転手の中年男性は、客の顔を見た瞬間、素っ頓狂な悲鳴を上げた。


「えっ、あ、貴方は……テレビで見る、さい、西園寺博士……ッ!?」


国民的な有名人であり、ノーベル賞学者が、なぜか女子小学生を見送っている。

運転手の脳内はパニックだ。


「……私の大切な友人だ。揺らさないように頼むよ。」


西園寺は、懐から一万円札を数枚取り出し、運転手の手に握らせた。


「釣りはいらん。取っておけ。」


「は、はいぃぃッ!! 記念にしますぅッ!!」


運転手は震える手で紙幣を押し頂いた。


「……じゃあね、おじいちゃん。うな重、美味しかった。」


「ああ。また来るんだぞ、環くん! 待ってるからな!」


西園寺は、タクシーが見えなくなるまで、満面の笑みで手を振り続けていた。

車内で環は、遠ざかる日本の頭脳を見送りながら、シートに深く沈み込んだ。


(……ふぅ。疲れた。あのおじいちゃん、体力が無限大。)



羽田空港。

環は出発ロビーの時計台の下で、両親と合流した。


「環ー! こっちこっち!」


母・裕子が大きく手を振っている。

父・博の手には、「東京ばな奈」や「ひよ子」の紙袋がいっぱいだ。


「お帰り、環。迷子にならなかったか?」


「……うん。タクシーだったから。」


「へえ、タクシー? 贅沢したなぁ。自分のお金で乗ったのか?」


博が驚くと、環は首を横に振った。


「……大学の人が出してくれた。」


「そっかそっか。親切な先生がいるんだねぇ。」


両親は、まさかその「大学の人」が、教科書に載るレベルの偉人だとは露ほども疑わず、娘の頭を撫でた。



帰りの飛行機。

シートベルト着用サインが消えると、裕子がワクワクした顔で聞いてきた。


「で、環。大学はどうだった? 難しかった?」


環は、機内サービスのリンゴジュースを一口飲み、ぼんやりとした目で答えた。


「……ううん。順調。」

「あと……ノーベル賞の人、見た。」


「えっ!?」

両親が声を揃えて驚いた。


「すごいじゃないか環! ノーベル賞学者って、あの西園寺博士か?」


「……うん。」


「へぇ~! 大学の中を歩いてたの? それとも講演会か何か?」

「運が良かったわねぇ。拝めただけでもご利益がありそう!」



両親の脳内イメージ:

•『キャンパスの遠くの方を歩いている老学者を、環が「あ、有名な人だ」と眺めた』

•『もしくは、学長室の前にある銅像か肖像画を見た』


現実:

•『学長室に拉致され、うな重を奢らせ、国の科学予算を一緒に査定し、激辛なダメ出しをして大爆笑し合った』


この天と地ほどの認識のズレを訂正する気力は、今の環には残っていなかった。



「……うん。……ご利益、あるかも。」



環はそれだけ言うと、急速に睡魔に襲われた。


今日は朝から、手術ロボットの制御理論を論じ、半導体の謎を解き、国家予算の審査まで行ったのだ。

10歳の脳の糖分は、完全に枯渇していた。


「あ、寝ちゃった。」


「疲れたんだろう。昨日はディズニーではしゃいだし、今日は大学だしな。」


博は、環にそっとブランケットを掛けた。


「ゆっくり寝かせてやろう。」


機内の照明が落とされる。

安らかな寝息を立てる環の横顔は、日本の未来を背負う天才科学者ではなく、遊び疲れて帰路につく、ただの可愛い一人娘だった。


(……来週は、学校の図工で版画の続き……。)


(……彫刻刀、研いでおかないと……。)


夢の中で、環は国家プロジェクトと図工の授業を等価に処理しながら、深い眠りへと落ちていった。


東京への家族旅行は、こうして平和(?)に幕を閉じた。

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