表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Reboot(再起動)エピソード"ゼロ"  作者: いきし
小学生中編(医大・工大編)
20/35

怪物と巨人の邂逅

【土曜日】


午前9時。

都内の高級ホテルのエントランス。 朝食のビュッフェでしっかりとエネルギーを充填した環は、一台のタクシーに乗り込んだ。


「運転手さん、この子をお願いします。」


母・裕子が、行き先を書いたメモと、多めの現金を運転手に渡す。


「行き先は……えっ? 東都工業大学?」


運転手は、後部座席にちょこんと座る少女と、メモを二度見した。


「……お嬢ちゃん、一人で? 見学かな?」


「いえ。仕事です。」


環は短く答え、シートベルトを締めた。


「……は、はぁ。(最近の子役はすごいな……)」


運転手は困惑しつつも、アクセルを踏んだ。


「じゃあね環! お父さんとお母さんはスカイツリー行ってくるから、夕方に駅か空港でね!」


「……うん。楽しんできて。」


両親の手を離れ、環は再び「開発者モード」へとスイッチを切り替えた。


今日の予定は、手術支援ロボット『阿修羅アシュラ』の全体ミーティング。

鳴和の医大と東京の工大のメンバーが一堂に会する、重要な局面だ。


30分後。

タクシーは、日本の理工系大学の最高峰・東都工業大学の正門に到着した。


「……広い。」


環は広大なキャンパスを見上げ、スマホの地図アプリを起動した。

加賀見の研究室がある「第3研究棟」を目指すが、古い校舎と新しい校舎が入り混じり、迷路のようになっている。


「……GPS信号が微弱。建物の遮蔽率が高い。」


環は、すれ違う大学生たちの視線(なんで小学生がここに?)を無視し、論理的な推論でルートを割り出し、なんとか目的の建物の前にたどり着いた。



研究室のドアの前。

いつもなら、中から喧噪な声や音が聞こえる筈だが妙に静かだった。


「……?」


環がドアを開けようとした瞬間、中から加賀見が飛び出してきた。


「お、おい環! 遅いぞ!」


「……迷った。……先生、汗すごいよ?」


いつもの飄々とした加賀見が、額に脂汗をかき、ワイシャツのボタンを一番上まで留めている。


明らかに様子がおかしい。


「いいか、環。……中にとんでもない人が来てる。」


「とんでもない人?」


「俺もさっき知らされたんだ。……粗相のないようにしろよ。」


加賀見は、環の背中を押し、研究室の中へと招き入れた。



研究室の奥、ロボット開発エリア。


そこには、異様な光景が広がっていた。


普段、大学病院で我が物顔で振る舞っている二人の巨頭。

「解剖学の鬼」こと鬼頭教授。

「神の手を持つ外科医」こと毒島教授。


この二人が、なんと直立不動で、緊張のあまりカチコチに固まっていたのだ。

鬼頭に至っては、膝の上で拳を握りしめ、冷や汗を流している。

毒島も、いつもの傲慢な態度は消え失せ、新入生のように縮こまっている。


(……あのおじさんが、あんなに小さくなってる。)


環は目を丸くした。


その二人の視線の先に、一人の老人がいた。



手術ロボット『阿修羅』の試作機の前。 白衣ではなく、仕立ての良いツイードのジャケットを着た、小柄な白髪の老人が立っていた。

彼は、ロボットのアームを愛おしそうに撫で、アクリル板の向こうの基盤を覗き込んでいた。



「……ほほう。このアクチュエータの配置、美しいね。」


「あえて剛性を落として、生体の粘弾性に近づけているのか。……素晴らしい発想だ。」



穏やかだが、深い知性を感じさせる声。

環は、その顔を見て息を呑んだ。 教科書やニュースで見たことがある。




東都工業大学。学長。


西園寺さいおんじ博士。




数年前、素粒子物理学の分野でノーベル物理学賞を受賞した、生きる伝説。


日本の科学界における、正真正銘のトップである。



「……の、ノーベル賞の人。」



環がポツリと呟くと、西園寺学長がゆっくりと振り返った。


「おや? 君が噂の『小さなCTO(最高技術責任者)』かな?」


西園寺学長は、柔和な笑みを浮かべて環に歩み寄った。


鬼頭と毒島が、ビクッと反応する。


「が、学長! 彼女が、開発のコアを担当している桜庭環です!」


加賀見が慌てて紹介する。


環は、緊張する大人たちをよそに、ペコリと頭を下げた。


「……初めまして。桜庭環です。」


「うん、いい目だ。」


学長は腰をかがめ、環と目線の高さを合わせた。


「君が書いた制御アルゴリズムの論文、読ませてもらったよ。」

「既存の制御理論に囚われない、生物学的なアプローチ……。実に独創的で、感動した。」


ノーベル賞学者からの「感動した」という言葉。

それは、科学者にとって最高の勲章だ。

鬼頭と毒島は、あまりの事態に泡を吹いて倒れそうになっていた。


「……ありがとうございます。」


環は冷静に答えたが、その心臓は早鐘を打っていた。


目の前にいるのは、自分が目指す「真理」の頂に立った人間。


圧倒的なオーラ。


「さて、見せてもらおうか。」 西園寺学長は立ち上がり、『阿修羅』の方を向いた。


「医学と工学、そして君という新しい才能が融合した結晶を。」



こうして、ノーベル賞学者による『阿修羅』の特別査読レビューが始まった。



「……君、このマニピュレータの制御周期は?」


「1ミリ秒。……それ以上遅れると、術者の『触覚』とズレが生じる。」


「ほほう。では、生体組織の粘弾性モデルは?」


「ケルビン・フォークト要素を用いた非線形モデル。……ただし、脂肪層の厚みによって係数を動的に変えている。」


「なるほど。……では、通信パケットの損失ロス補償は?」


「カルマンフィルタによる予測補完。……過去0.5秒の軌道から、次の座標を確率的に推定している。」


速い。


質問と回答の間に、コンマ1秒の隙間もない。


西園寺学長が矢継ぎ早に繰り出す、物理学・制御工学・情報科学の複合的な難問に対し、環は呼吸をするように即答していく。


後ろで見守る加賀見と氷室は、冷や汗を拭うのも忘れて見入っていた。

(……すげぇ。学長の思考速度についていってる。)


一方、医学界の重鎮である鬼頭と毒島は、内容は半分も理解できていないが、この「空気が薄い」状況に胃がキリキリと痛んでいた。

(頼むから失礼なことは言うなよ……相手は日本の科学の神様なんだぞ……!)



一通りの質疑応答が終わった。 西園寺学長は、満足げに頷いた後、ふと思い出したように環を見た。



「そういえば、桜庭くん。」


「……はい。」



「君は、私が先月『ネイチャー』に発表した、『非平衡系における相転移のゆらぎ』に関する論文は読んだかね?」



その瞬間、室内の空気が凍りついた。


それは、彼がノーベル賞を受賞した理論をさらに発展させた、世界中の物理学者が注目する最新論文だ。 10歳の子供にする質問ではない。


しかし、環は平然と答えた。


「……読んだ。先週の図書館で。」


「ほう! それは嬉しいね。」



西園寺学長は、試すような目で環を見つめた。


「どうだった? 感想を聞かせてくれないか?」



鬼頭と毒島は、心の中で叫んだ。


(「凄かったです」と言え! 「難しくて分かりませんでした」でもいい! とにかく波風を立てるな!!)



環は、少し考えるように視線を宙に漂わせ、そして真っ直ぐに学長を見た。


「……美しかった。数式展開のエレガンスは、芸術的。」


(よし! そのままだ!)


大人たちが安堵しかけたその時、環は続けた。



「……でも、4章の『エントロピー生成率』の近似式。……あれ、不完全。」



ピキッ。



部屋の時が止まる音がした。



「……え?」



加賀見の声が裏返る。


鬼頭の顔から、完全に血の気が引く。



環は止まらない。



「あの条件下で線形近似を使うと、境界領域で誤差が発散する可能性がある。……特異点近傍の挙動を無視してる。」



「論理の飛躍がある。……詰めが甘い。」




シーン…………。




体感温度、マイナス273.15度(絶対零度)。



工大の学長でありノーベル賞学者の最新論文に対し、10歳の小学生が「詰めが甘い」と言い放った。


それは、科学界における「神殺し」に等しい暴挙だった。



鬼頭と毒島は、あまりの恐怖に意識が飛びかけ、直立不動のまま白目を剥きそうになっていた。



(終わった……俺たちのキャリアも、大学の予算も、全部終わった……!)



沈黙は、永遠のように感じられた。


西園寺学長は、ポカンと口を開け、環を見つめていた。



そして。



「ブッ……ワハハハハハハハ!!!」



学長は、腹を抱えて爆笑した。


研究室の窓ガラスが震えるほどの豪快な笑い声だ。



「い、痛い! そこを突かれると痛いなぁ!!」



学長は涙を拭いながら、膝を叩いた。


「その通りだ! 君の言う通りだよ!」

「あそこの近似は、私も執筆中に『ちょっと強引か?』と悩んだ箇所なんだ!」

「査読者たちですらスルーしたその『ごまかし』を、君は見抜いたのか!」


西園寺学長は、環の肩をガシッと掴んだ。

その目は、子供を見る目ではなく、対等な「同志」を見る目になっていた。


「実はな、今まさに、その『特異点近傍の非線形項』を修正する補正論文を書いている最中なんだよ。」 「いやぁ、参った! まさか小学生に一番痛いところを刺されるとは!」


「……やっぱり。」

環は、安心したように小さく笑った。


「……先生なら、気づいてないはずがないと思った。」

「あそこを埋めれば、理論は完璧になる。」


「ああ、約束するよ。完成したら、真っ先に君に送ろう。」

西園寺学長は、環に右手を差し出した。


「桜庭環くん。君は、本物の科学者だ。」


環は、その皺だらけの大きな手を、小さな手でしっかりと握り返した。

「……楽しみにしてる。」



その後ろで。

魂が抜けかけた大人たち4人(鬼頭・毒島・加賀見・氷室)は、壁に寄りかかりながら、ズルズルと崩れ落ちていた。


「……心臓が止まるかと思った……。」(鬼頭)


「……メスを持つ手が震えるわ……。」(毒島)


日本の知の頂点と、未来の知の頂点が共鳴した瞬間であった。



西園寺学長は、満足げな笑みをスッと消し、真剣な眼差しで環を見下ろした。


その背後に、どす黒いほどの覇気オーラが立ち昇る。


それは、ノーベル賞学者としての顔ではない。霞が関の官僚や政治家たちをねじ伏せ、巨額の研究予算をもぎ取ってきた、「政界のフィクサー」としての顔だった。



「……桜庭くん。単刀直入に言おう。」

「今すぐ、工大に入りたまえ。」



「……え?」


後ろで聞いていた加賀見たちが声を上げる。


西園寺は、低い声で続けた。


「君の才能を、義務教育ごときで腐らせるのは国家的損失だ。」


「ここにいる加賀見くんや氷室くんは、私よりも優秀な現場の研究者だ。彼らと対等に、24時間研究に没頭したいとは思わんか?」


「……でも、日本の法律では……。」

環が口を開きかけると、西園寺は鼻で笑った。


「法律? 文科省? 教育委員会? ……そんなものは、私が捻じ伏せる。」


ゴゴゴゴゴ……。


鬼頭と毒島が震え上がった。


本気だ。

この老人は、電話一本で大臣を呼び出し、特例措置を作らせるつもりだ。


「環一人くらい、裏口だろうが超法規的措置だろうが、どうとでもなる。」


その顔は、科学者ではなく、完全に「魔王ラスボス」のそれだった。



最高の環境。 最強の仲間。

そして、面倒な学校生活からの解放。

どの研究者も喉から手が出るほどのオファーだ。



しかし。 環は、ポーカーフェイスのまま、即答した。


「……お断りする。」


「……ん?」


西園寺の眉がピクリと動く。


「……なぜだ? 予算か? 設備か? 好きなだけ用意するぞ。」



環は、キッパリと言い放った。




「……制服スキンが、着たいから。」




絶対零度のさらに向こう側



「……は?」



西園寺が、初めて間の抜けた声を出した。



環は真顔で説明を続けた。


「……地元のの中学と高校の制服はセーラー服。」


「……あれを着て通学するのは、10代の女子にしか許されない特権(期間限定イベント)。」


「……大学は私服。……面白みがない。」


「……私は、セーラー服を着て、青春という名のデータ収集がしたい。」





シーン…………。




プツン。




その場にいた大人たち(鬼頭、毒島、加賀見、氷室)の思考回路が、完全に切断された。



絶対零度による凍結を超え、宇宙の彼方へ意識が飛び、「無」になった。



(……こいつ、国を動かすレベルの特別入学を……。)


(……「服が着たい」という理由だけで蹴った……。)


(……セーラー服 >>>> ノーベル賞学者の権力。)



あまりのスケールの落差に、誰も言葉を発することができなかった。



静寂を破ったのは、またしても西園寺だった。



「カッカッカッカッ!!! 痛快!! 痛快すぎるわ!!!」



西園寺は、天井を仰いで手を叩いた。


「日本最高峰の研究よりも、セーラー服を優先するか!!」


「いいぞ! その『譲れない美学』こそが、研究者には必要なんだ!!」



西園寺は、屈み込んで環を力強く抱きしめた。



ギュウゥゥッ!!



「……く、苦しい。」



「あっぱれだ、桜庭環! 君の勝ちだ!」



西園寺は、最高の笑顔で環の肩を叩いた。


「よろしい! ならば、気が済むまでセーラー服とやらを着て、青春を謳歌したまえ!」

「だが忘れるな! その『イベント』が終わったら、必ずここに来い!」

「君のポストは、私が死んでも空けておくからな!」



「……じゃあな、諸君! 良い研究をしろよ!」



西園寺は、嵐のように笑い、嵐のように去っていった。



バタン、とドアが閉まる。



残されたのは、魂の抜けた大人4人と、ケロッとしている環だけだった。


「……ふぅ。おじいちゃん、握力強すぎ。」

環が肩を回す。


ようやく再起動した鬼頭が、ガクガクと震えながら環に掴みかかった。

「お、おま……お前ぇぇぇッ!!」

「相手が誰だか分かってんのか!? 日本の科学界のドンだぞ!?」

「それを『セーラー服』だとぉぉぉ!?」


環は、不思議そうに首を傾げた。

「……だって、事実だし。」

「……飛び級なんてしたら、修学旅行も文化祭もない。……人生の損失。」


毒島と加賀見は、顔を見合わせて脱力した。

「……勝てん。」

「……あの子、ある意味で学長より大物だわ。」


こうして、東京での「阿修羅」開発会議は、日本のトップを巻き込んだ大騒動の末、環の「セーラー服への執着」という伝説を残して幕を開けた。

解説しよう!

Reboot本編(R18)の「ep.5 体勢整う」で登場した西園寺学長が今回初登場。

今後のストーリーや環の人生に大きく関わる傑物だ!

100年後の怜の研究所も、西園寺の素粒子研究所が起源だったりするのだ!


モチベーションの維持のため評価だけでも。

できれば感想を頂ければ幸いです。


よろしくお願いいたします。


次回は明日19時ごろ投稿予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ