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第1話:香りのない少年

風見ユウは、今日も校舎の隅でひっそりと過ごしていた。黒髪のくせ毛が額に垂れ、垂れ目の奥は何かを探すようにぼんやりしている。存在感の薄さは、彼自身も自覚していた。誰にも気づかれず、誰にも触れられず、ただ香りのない空気の中に溶けていた――そう思っていた。

だが、その日、教室の窓際に差し込む光とともに、ふとした香りがユウの鼻をかすめた。それは微かで、でも決して消えない強さを持つ匂い。思わず胸の奥がざわつく。暖かく、甘く、そして切なさを孕んだ香り。幼い頃、母が笑いながら振り向いた瞬間に嗅いだあの香り――その感覚が一気に蘇った。

胸の奥が締めつけられ、意識がほんの少し揺れる。息が浅くなり、肌の感覚まで敏感になる。まるで香りが指先や肩先をそっと撫でるかのように、全身の神経を刺激するのだ。ユウは自分の反応に驚き、思わず手を胸元に添える。

「――香りって……その人が、生きてきた証なんだと思う」

声に出すと、自分の言葉が震えているのに気づいた。心臓の鼓動が耳に届くほど大きく、掌の温もりまで感じる。目の前の空気が光と影で揺れる中、香りが彼を包み込み、幼い記憶と現在の自分を繋げていた。

放課後、ユウは決心して近くの調香室に足を運ぶ。師匠の香坂トウマが、白衣の裾を揺らしながら彼を迎える。

「香りは嘘をつかない。嘘をつくのは、人間だけだ」

その言葉に、ユウは背筋がピンと伸びるのを感じた。師匠の瞳は飄々としているが、どこか核心を突く光を帯びていた。ユウの胸の奥で、香りと期待が絡み合い、熱を帯びる。初めての調香。手に触れる液体が、指先にひんやりと広がる感触。その瞬間、香りが心に、そして体に染み渡る。呼吸のたびに、胸の奥で熱が揺れるようだ。

作業台の向こうに、銀髪の少女・白雪ミオが立っていた。彼女の存在は光のようで、柔らかく、どこか吸い込まれそうになる。ユウの作る香りが、ミオの頬を淡く染める。微笑む彼女の吐息が風に乗り、ユウの意識を揺らす。肌の感覚と心の鼓動が絡み合い、思わず顔を逸らしたいのに、目が合ってしまう。

「ユウくんの香り、あったかい……帰る場所みたい」

その一言に、胸の奥がじんわりと溶ける感覚。香りは、単なる匂いではなく、存在を伝える力を持つ。触れ合うことも、言葉を交わすこともないのに、互いの心がそっと重なったような感覚があった。

ユウは手を動かし、再び香りを混ぜる。香りの一滴一滴が、幼い頃の母の温もりや、初めてミオと心が触れた瞬間を呼び覚ます。胸の奥が熱くなる。肌にまとわりつく微かな感覚に、思わず息を飲む。香りが彼の心を揺さぶり、体も知らず知らず反応しているのを感じた。

その時、師匠が静かに呟く。

「よし、その感覚を大事にしろ。香りは、人の心と体に触れるんだ」

ユウは小さく頷く。胸の奥のざわめきが、これからの道の証のように感じられた。香りは、ただの香料ではない。人の記憶と感情を解き放つ力――それを、ユウは初めて実感したのだった。

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