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件の牛  作者: なめし革
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件の牛

丑三つ時を孤独に過ごす少年が一人、橋の下でカキツバタを手に取り眺めている。その傍らでは黒い毛に覆われたウシが河の水を静かにすする。星空が映し出された水を飲む姿はまるで夜空を飲み込む悪魔のようだった。少年は親に言われウシを隣町まで売りに行く最中だった。少年の家は牛やら豚などの家畜を売り買いして家族を養っている町一番の家畜商だった。だがしかし決してその暮らしは裕福とは言えなかった。それでも少年はその暮らしに対して不満を口にすることはなく、自分もゆくゆくはこの仕事を受け継いでいくとわかっていた。だがしかし今少年はその人生を悔やんでいた。少年はウシを恐れていたのである。皆が思う泥水を啜り茶色く汚れた牧草を貪る何の変哲もない牛ではなく、今傍らで異様に澄んだ水を口に含みこちらを睨みつけるこのウシを恐れていたのだ。このウシは見てくれはただの牛にすぎないが一つだけ他の牛とは違う大きな違いがあった。それは人の言葉を喋るのである。しかもただ言語を喋るだけではなく不幸が起きる未来を語るのである。少年の両親はこのウシを当然ながら気味悪がっていた。しかしそれと同時に未来を語るウシならばたいそうな金になりこの貧相な生活も多少を楽になると思った。そうして少年にウシを売りに行かせたのだ。そして今その仕事を押し付けられ気味悪さに耐えきれずどうしようもなく橋の下で立ち往生しているのが少年であった。今すぐウシを捨てて逃げ帰ったとしても家には入れて貰えないだろう。だからといってウシと一緒に隣町まで行こうにも自分が恐怖に飲まれ正気を保てないような気がしてならない。少年はこの板挟みに悩まされるくらいなら本当の板で潰され死んだ方がマシだと思ってさえいた。するといきなり低い声が聞こえた。

「売りに出しても戻らんが、手放したならやがて戻る。さすれば死のみぞ。」

ウシが喋ったのだ。しかし言葉の意味は少年には死ぬという意味以外理解できなかった。少年はその言葉に恐怖するしかなかった。恐怖を紛らわすようにさっさとウシの鼻輪を掴んだ時今度は枯れ木のような嗄れた声が聞こえた。

「もしよければ、その足を止めて話を聞いてください」

見れば老婆が橋の上に立っていた。その姿はおかしなもので、灰色のほうきを無理やり束ねたような髪のあいだから今にも落ちそうほど大きな目を光らせ、彫刻家の見習いが作ったかのような歯を無理やり引き裂いて笑わせたような口から見せていた。しかし着物は菖蒲色の華やかでこの老婆には不釣り合いな物であった。綺麗な着物も老婆が着ると酷いボロ切れに見えた。見た目だけならウシよりも気味が悪かった。眉を顰める少年を気にせず老婆は話を続ける。

「さっきの会話を橋の上で聞いておりました。わしはある家に務める召使いでございます。生憎今は一文無しなのですが、その牛をお譲りいただけないでしょうか?主の仕事にはその喋る牛が必要なのです。その牛が貰えなければ私は主人に罰されてしまいます。」

しかし老婆は当然誰かに使えてるようには見えない。それに仕事に喋るウシを使う事があるのだろうか?いや、無いだろう。少年は老婆を鋭く睨みながら

「私はこのウシを売るために引き連れている。一銭も貰わずで渡すことはできない。それに仕事柄喋るウシが必要なことがあるのだろうか?是非一度そのような仕事も見てみたいものだなぁ。」と聞いた。

すると老婆は顔を曇らせた。やはり誰かに使えていると言うのはデマカセなのだろう。少年は老婆を見下し始めた。このような嘘をついてまで人から物をとりたいか。恐らく老婆も喋るウシは高くで売れると思ったのだろう。見た目だけでなく中身までもまた妖怪のようだ。このような人間ならどのような仕打ちを受けても良いと思った。そして菖蒲色の着物がより一層青く美しく見えた。少し間を置き少年はわざとらしく、同情するように口を開いた。

「しかし、あなたの主人もまた困ったものだなぁ。あなたのようなご高齢に罰を与えるとな、そんなことが許されるのか、いいや許されない。もしその着物で良ければ交換してもいいのだがなぁ。」と

すると老婆はこれ以上開きようが無さそうに見える目を更に見開かせ喜んだ。そして急いで着物を脱ぎ捨て少年にむんずと着物を渡した。

「このご恩は忘れません。」

そう言うと老婆は乱暴に鼻輪を引っ張り裸でウシを引き連れて去って行った。その姿はまるで悪魔を引き連れる山姥のような姿だった。わたしはその滑稽な姿を鼻で笑い隣町に着物を売りに足を運ばせた。その時にはもう日の出が見えていた。

それから数日がたった。菖蒲の着物は高く売れウシも山姥と共に消え去り豊かで平和な日が続いていた。

しかしある日少年の元にあの山姥が訪れた。

その姿は前よりも酷く形容できなかった。

驚きを隠せず動揺していると山姥は顔を引き攣らせ同情を誘うように語った。

「件のあのウシは酷いものだった。口に出すこと全てが全てを不幸にする。売ろうにも皆が気味悪がり日銭すら稼げない。もう随分前に隣町に置いてきた。着物を返して欲しい。さもなくば。」と

しかし少年は老婆の話など聞いていなかった。少年の目の前には黒い悪魔が見えていた。少年はかつての言葉を思い出た。

「売りに出しても戻らんが、手放したならやがて戻る。さすれば死のみぞ。」

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