魔法が解ける瞬間
喫茶店のオーナー、工藤嗣朗とまったりとした時間を過ごす咲。
そんな咲に突然告げられる事実。
こんな時間に女の子が一人で来るなんて珍しいね」
「お母さんから新しく喫茶店が出来たてチラシをもらって」
「チラシ、、?ああ、そういうことね」
白髪の男性は首を少しひねり一人納得した様子。
咲は男性をじっと見つめる。
咲の様子に気が付いたであろう。
男性は「ああ、自己紹介がまだだったね」と口元を緩ませつつ「ようこそ。喫茶ファミリアへ。僕は店主の工藤嗣朗と言います。よろしくね」
夜の闇に吸い込まれていきそうな自己紹介。控えめでどこか心に残るような。
「よ、よろしくお願いします。村田咲です」
「よろしくね。とりあえず座ったらどうかな」
咲は促されるままカウンター席に腰を下ろした。
「とりあえず何か飲むかな?」
「じゃあ、、。カプチーノをお願いします」
「かしこまりました。」
嗣朗はエプロンの結び目を絞めなおしてから、作業に取り掛かる。
咲は嗣朗の作業風景に目を向けつつ、嗣朗自身のことに対して考えていた。
見た目はかなり若く見えるけど、何歳なんだろう、、。20歳ぐらいかな?
「お待たせしました。」
咲がテーブルに両肘を預けて待っていると湯気が立ち昇るカップが運ばれてきた。
「美味しそう、、。」
思わず声に出る。
「あついから気を付けてね」
「美味しい。」
一口カップに口を付けただけで苦みとほのかな甘みが口の中に広がっていく。
「お店の味みたい。」
「そりゃ、お店だもん」
嗣朗は肩をゆっくりと揺らして愉快そうにはにかむ。
「ところでさ。」
咲がカプチーノを味わっていると嗣朗が咲に詰め寄ってきた。
咲の心臓が思わず跳ねる。嫌悪感からではない。どこか懐かしいような感覚。
「キミはどうしてここにきたの?」
嗣朗は鋭い眼光を咲に向ける。
「どういうことですか?どうしてて母親からチラシをもらってそれで、、。」
来る日も来る日も退屈を噛みしめていた夏。母親の綾子から一枚のチラシをもらった。
どうやら咲が住む町に喫茶店ができたらしい。名前は喫茶ファミリア。
どうやら24時間営業の喫茶店らしい。コンビニでさえ21時には閉まってしまう田舎町に住む咲。
そんな彼女にとって24時間のお店は心躍らせるものだった。
「そうじゃないよ。君がここに来た理由はそれだけじゃないはずだよ」
どういうことだろう。私がここにきた理由、、?
「キミはここへ来てはいけない。今すぐ帰るんだ。時計の針が12時を回る前に」
いきなり何を言っているのだろう。まるでどこかで聞いてことがある誰もが知っているおとぎ話みたいだ。あいにくだけど咲はガラスの靴ではなくスニーカーを履いているけれど。
咲は事態を呑み込めずにいた。
私は興味があって、ちょっとした好奇心で夜の田舎道を一人歩いてきた。
この瞬間でしか得ることができない何かを探して。
この瞬間でしか得ることが出来ない何か、、?
あれ、、何かを忘れているような気がする、、。
「思い出してごらん。」
嗣朗は咲の瞼をのぞき込む。
「キミは去年の夏。あれは昼下がりの夏だった。おそらく日本全国の人たちが暑さに苦しむ日。そんな誰もが夏を実感していた日に一人の女の子が冒険に出かけた。
その女の子はお母さんに止められた。当然だよね。気温は38度を超えていたから熱中症警報が発令されていたくらいだから。」
嗣朗は一度口をつぐみ、もう一度ゆっくりと言葉を紡ぐ。
咲へ向かって。言い聞かせるように。忘れないようにと。
「それでも、それでも。女の子はお母さんの反対を押し切って旅に出たんだ。ここではないどこかへ行くために。残念ながら、女の子の好奇心を止めることは出来なかった。」
咲はいつの間にか嗣朗の話に耳を傾けていた。
嗣朗の鬼気迫る表情に目を奪われていると、咲が思っているよりも事態は深刻ではないか。嗣朗が言っていることに現実味を感じて仕方がなかった。
「女の子は白いワンピースに身を包み、お母さんのお下がりの麦わら帽子を被って田んぼ道を歩き始めた。始めは全てが始まるようで、自分が物語の主人公のようで心が沸きだった。
ただ、次第に家を出るときの高揚感は次第に薄れていった。当然だよね。
いくら歩いても田舎の田園風景はちっとも変わらない。田んぼはいつまでも緑色だし、空は僕たちをすっぽり呑み込んでしまうかのような青さだ。
辺りにはこれといったものは何もない。
女の子はすこし落ち込んだ。何も変わらない。このまま日常に戻されて退屈な日々が続くんだってね」
嗣朗が作ってくれたカプチーノは半分以上残っていた。
時計の針は11時を超えている。
「それで女の子はどうしたの?」
好奇心が強い女の子は同じく好奇心が強い女の子の身の上話に釘付けになった。
「女の子は良くも悪くも出会ってしまったのさ。彼女を変えてしまう大きな出来事に」
嗣朗は落ち着いていた。ただ、起こってしまった事実を間違いがないように伝える。
「大きな出来事て、、?」
咲の目の前には大きな扉があった。誰かが咲に対して「絶対に覗いてはいけない。もし、覗いてしまったとすれば元には戻ることは難しいかもしれない。」
それでも、、。そうだとしても咲はこのままではいられなかった。
「教えて。女の子がどうなったのか」
時間がいつもよりもゆっくりと流れていく。辺りは既に静けさと仲良し。
物事は時として知らなくてもいいことが多く存在する。
もし知ってしまえば二度と元には戻れないかもしれない。
緑豊かな何もない町。24時間の喫茶店。女の子と青年がカウンター越しに向き合う。
「殺されたんだ。バラバラにされてね」
何が正しくて何が正しくない。事実は誰にも分らないものです。