第一章 第一話
がたがたと音がする。
日が沈んだ戌刻には、あまりに似合わない轟音に、思わず耳を塞いだ。
地響きのごとく伝わるそれは、まるで何かが崩れる音だった。
音の出どころは北から。
備え付けられた窓を見てみれば、夕暮れ時のような、淡いオレンジ色が差し込んでいる。
差し込む光が、窓枠に影を形作っていたが、不思議なことに、それは” 揺れていた "。
手招くようにゆらゆらと、ゆらめいている。
吸い込まれるように窓の外を覗いてみれば、あかい炎が暗い夜空を埋め尽くさんとしていた。
「綺麗......」
橙色に染まった外炎の中、白い芯が煌めく。
火焔はうねるように、渦巻くように舞い上がり、周りに漂う火の粉は星のごとく、現れては消えていく。どこか神秘的で、果てしなく続くその姿にただ見惚れていた。これまで見たことがない、とても綺麗で幻想的な世界が目の前に広がっていた。
「きひろ……!!」
ぼぅーっと見ていたのも束の間。
恐ろしい形相で、お母さんが部屋に来た。
「さあ、早く!」と慌てた様子で、荷物を持たせられ、服を着させられた。
「ねぇ、お母さん。外の炎とても綺麗だよ」
そう聞いてみても、何も答えない。
唇を嚙みながら、大急ぎで準備をしていた。
持たされた荷物を見てみれば、被り物や、薬草、近くの川水を入れた水筒に、危ない時に使う御守りのお札が入っていた。
……なんでこんなのがいっぱい入っているんだろう。
「玄関で待ってなさい。いいね?」
努めて穏やかに、僕に話しかけるお母さんの顔は見たことがないほど怯えていた。
僕はただうなずくままに、部屋を出て玄関に向かった。
家の中は綺麗な外の世界とは打って変わって、とても暗い。
囲炉裏や釜戸、風呂場の火が止められていたからだろう、黒いヴェールに包まれた世界は目を覆われながら歩くようで、とても怖かった。
お母さんは、ずっとこわい顔のままだった。
手に持ったろうそくから見える顔は不安に駆られているようで、部屋から部屋を回って、色んなものをかき集めていた。
玄関口で待っている間もずっと、険しい顔がとけることはなかった。
ドアの外からは、ぼぅぼぅという微かな音が聞こえる。
薪から火が燃えているような、そんな音。
それに加えて、人の叫び声のようなものが聞こえる。
何かから逃げ回っているような、そんな声。
……ここにきてやっと、何かとても恐ろしいことが起こっていることに気づいた。
「早くしろ、巻き込まれるぞ!」
居間から今まで聞いたことがないぐらいの大きな声が聞こえた。
大きな包みを抱えて、お父さんがお母さんを引っ張ってきた。
その一声で切羽詰まった状況だということが分かった。
「ごめんなさい。準備に手間取って……」
「きひろはいるな。避難具も持たせたな?」
「ええ」
「よし、ここから逃げるぞ!」
「きひろ、手を離しちゃだめだからね!」
悲痛な声で、お母さんはそう言った。
◇◇◇◇
外はまるで別世界だった。
火が空高く舞い上がり、角のような黒い煙がぶつかり合っている。
家屋の中から赤黒い火が脱兎のごとく吹き出し、数軒にまたがって燃え移っていく。
肌が焼けるような熱さで視界が波打ち、煤が鼻の中に充満していく。
周りの人は金切り声を出しながら怖い顔で走っていて、中には地べたに横たわった人たちもいた。
部屋から見た世界は嘘だったんじゃないかと思うほど、恐ろしい世界に様変わりしていた。
いろんな人にぶつかった。
ー地面には村の学徒の死体が転がっていた。
色んな人にぶつかった。
ー周りの人たちを押し退けて、果物屋のおじさんは誰よりも早く逃げようとしていた。
いろんな人にぶつかった。
ー村の消火隊は火を鎮火しようとするも、全身に燃え移って悶え苦しんでいた。
誰も彼もが、慌てふためき、互いが互いの体を押し付け合いながら、逃げ道を探していた。
「手を離しちゃだめだからね」
絶叫がひしめく中、何度もお母さんがそう言う。
その約束を絶対に守った。目いっぱいお母さんの手を握って全力で走った。
転びそうになっても。
誰かにぶつかっても。
後ろから押されても、決して離さない。
そう誓った。誓ったはずだった。




