小さな櫻守〜500歳の老木・桜の精と5歳の少女の友情は、奇跡の移植を実現させた
この物語は、実在する「荘川桜」と、御母衣ダム建設によって湖底に沈んだ荘川村の歴史をもとに描いたフィクションです。
失われた場所と、そこに生きた人々の記憶が、どのように受け継がれていくのか。
小さな少女と一本の老木・樹齢五百年のエドヒガン桜の交流を通して、静かに語り継がれます。
【ペルソナ】※モノローグはさくら
・さくら(500歳/CV:岩波あこ)=荘川桜の精。移設直前の春、咲良と出会う
・咲良(さくら:6歳/CV:岩波あこ)=荘川村中中野地区に住む少女。澪桜の娘。
・リョウ(CV:岩波あこ)=御母衣ダム開発の責任者。荘川桜移植に奔走する
・祖父(咲良の母の父)=名古屋へ引っ越した咲良母娘とは別に荘川の新淵に残った
【荘川桜物語/JPOWER電源開発】
https://www.jpower.co.jp/sakura/story/
【荘川桜物語】
https://www.youtube.com/watch?v=PU1DQH3WtzU
【プロローグ:昭和29年4月/光輪寺】
■SE/小鳥のさえずり〜赤ちゃんの笑い声
「まあ、可愛い」
私は思わず口を開く。
その声は、桜吹雪となって、幹に寄り添う母娘の頬を撫でていった。
1954年4月。
荘川村中野の光輪寺。
薄紅色が舞い踊る、満開の桜。
赤子は、まるで開花に合わせるように、桜の季節に生まれた。
母の腕に抱かれた、瑞々しい命の蕾。
私が落とした花びらが小さなほっぺに貼りついていた。
私は、光輪寺のエドヒガン桜。
樹齢は500年・・・
って、いやあね、女性に歳を言わせるもんじゃないわ。
■SE/赤ちゃんの笑い声
その娘の笑顔は、春の陽だまりのように
私の心の奥に居ついてしまった。
【シーン1:昭和34年秋/光輪寺】
■SE/小鳥のさえずり〜人々のざわめき
それからというもの
母娘は、何かあるたびに、私の元へやってきた。
お宮参り。
節句。
七五三。
入園式。
言葉が話せるようになってわかったんだけど、少女の名前は咲良。
そう。私と同じ名前。
”咲けば、すべて良し”
と、漢字で書く。
■SE/虫の声
1959年11月。
5歳になった咲良は、一人で私の根元にしゃがんでいる。
母親は、光輪寺の本堂で住職と話していた。
私はいつものように咲良に話しかける。
「どうしたの?小さな櫻守さん」
「ねえさま。
この村が水の底に沈むってほんとけ?」
「へえ、そうなんだ・・
誰が言ってたの?」
「あたしのかあさま。
昨日、反対同盟ってのがなくなって、決まったんだって。
かあさま、まいにち寄り合いに行ってたの」
「まあ。
おつかれさま」
「ねえさまは悲しくないの?」
「う〜ん。
私はいままでずう〜っとこの村を見守ってきたから・・」
「だってねえさまも沈んじゃうんだよ。
水の底は息ができないんだよ。
苦しいんだよ」
「そうねえ。
でもきっと、それって荘川にとっていいことなんでしょ」
「あたしとも会えなくなっちゃうじゃない」
「咲良と離れるのは寂しいけど。
村の人がそれで幸せになれるなら構わないわ」
「いやだよう。
ねえさまがいなくなったら・・
あたし・・あたし・・どうすればいいの?」
「咲良は、いくつになったんだっけ?」
「5歳。
来年桜が咲いたら6歳だよ」
「そうかぁ。
六つになれば、もうお姉さんだ」
「まだお姉さんじゃないもん」
「咲良はそれでどうするの?」
「あたしは・・・
かあさまは引っ越すって言ってるけど
あたしはいや」
「ねえ、咲良。聞いてくれる?」
「うん」
「咲良の人生はまだ始まったばかりなの。
かけっこで言ったら、
ようい、どん。って言い終わったばかりよ」
「うん・・」
「これから先、い〜っぱい、楽しいことが待ってる。
絶対にね。
今日みたいに、ちょっぴり悲しいことがあっても
幸せがそれを塗り替えちゃうから」
「わかんないよ、そんなの」
咲良は私の腕の中に顔を埋める。
溢れ落ちる涙は、夕日に照らされて琥珀色に輝いていた。
【シーン2:昭和35年春/光輪寺】
■SE/小鳥のさえずり〜人々のざわめき
「さようなら・・・」
1960年4月。
6歳の咲良が、私の根元にしゃがみこんで声をかけてきた。
境内は、最後のお花見を楽しむ村人たちで賑わっている。
かつてないほど見事に咲き誇る桜。
命を燃やすような狂おしい薄紅色に輝く。
花を見上げる村人たちは、誰もが無口だった。
本当はみんなもっとはしゃいで、陽気な風景のはずだったのに。
消え入りそうな声で「荘川節」を口ずさむ老人。
カメラを借りてきて、記念撮影をする若者たち。
黙って手をつなぐ老夫婦。
覚えてる。
彼ら、確かここで祝言を挙げたんだよね。
あのときも同じポーズで写真を撮ってた。
「ねえさま、さようなら・・・」
私は、500年間の風景を思い出しながら
優しく咲良に声をかける。
「どうしたの?咲良」
「明日、お引越しになったの」
「あら、そう。
どこへ引っ越すの?」
「名古屋、っていうところ」
「ふうん。
そこにも桜が咲くといいわねえ。
今日はお母様は?」
「かあさまは、準備で忙しいから、ひとりできたの」
「えらいわねえ」
「名古屋って、すっごく遠いんだって。
ここからバスで6時間もかかるの」
「まあ、大変ね。
気をつけて行くのよ」
「ねえさま。
もうねえさまに会えないかもしれないんだってば」
「大丈夫よ。
私たち、心でつながっているもの。
名古屋でも、桜が咲いたら思い出してね」
「いやだ。
行きたくない・・」
「いいの。
私は大丈夫だから」
「ねえさまは、寂しくないの?」
「咲良や村の人たちと会えなくなるのは寂しいわ。
でもね、みんなが元気でいてくれれば、全然悲しくなんてない」
「あたしは・・・」
「そうそう、咲良。
面白いお話、してあげる。
去年の解散式のあとにね、リョウっていう男の人が訪ねてきたの」
「リョウ・・」
「彼も私を助けたい、って。
いまもいろんなところへ走り回ってるみたいよ。
おかしいでしょ?」
「あたし・・ずっとねえさまといたい。
荘川にいたい」
「咲良。
今までありがとう。
最後に私のそばにいてくれたのが、あなたでよかったわ。
元気でね、
ちっちゃなちっちゃな櫻守さん」
やがて、いつまでも帰らない娘を心配して、咲良の母がやってきた。
泣き疲れた咲良は、私に抱かれて眠っている。
母親は、優しく咲良を抱き抱えると、
私に向かって、深く頭を下げ、帰っていった。
散り急ぐ花びらは、村人たちの肩や頭に容赦なく降り注ぐ。
それはまるで”忘れないで”と囁いているように。
”もう十分だよ”、”ありがとう”と優しく諭すように。
最後の桜は美しく、でも残酷なまで静かに、村の終焉を彩っていた。
【シーン3:昭和35年12月/荘川桜】
■SE/小鳥のさえずり〜人々のざわめき
「さくら・・・」
1960年12月24日。
誰かの声に導かれるように・・・
私は長い眠りから目覚めた。
夢の中には、
青い水底でゆっくりと枝をゆらめかせる老木・・
でもいま、
目の前には、今まで見たこともない、大きな湖が広がっていた。
ここは・・どこ?
遠くで、誰かが和歌を詠んでいる。
『ふるさとは
湖底となりつ
移し来し
この老桜
咲け/とこしへに』
「そんな綺麗事を言ったってな、見てくれろ、この無惨な姿を。
手足をもがれ、包帯で巻かれた姿は見るに忍びない。
わざわざこんな山まで連れ出す必要があったんかいの。
こんなもの、救済じゃなく、酷い仕打ちじゃろうが」
あれは・・・
確か・・咲良のおじいちゃん。
そうか。
荘川に・・・
新淵か、町屋か、野々俣に・・・残ったのね。
よかった・・・無事で・・
私は、届かない声で、おじいちゃんやほかの村人に向かって叫ぶ。
「悲しまないで。
私はここよ。
ちゃんと生きてる。
ほら、聞こえるでしょ」
枝や根を伐採されて、幹まで伐られた老木の姿。
きっと見るもむごたらしい姿に映ったことだろう。
それでも、命の鼓動は確実に脈動していた。
荘川の冬はどこより厳しくて美しい。
雪混じりの風が、包帯のように巻きついた荒縄を凍らせていった。
【エピローグ:昭和45年4月/荘川桜公園】
■SE/小鳥のさえずり〜人々のざわめき
「ねえさま!おかえりなさい!」
1970年4月。
懐かしい声が、幹の中まで響きわたった。
「さ、咲良?」
咲良は昔のように、私に抱きついてくる。
「よかったぁ!帰ってきてくれたのね!」
移植から10年。
荘川桜が開花。
村人たちが待ちに待った花を咲かせた。
花びらは、生まれて初めて見る御母衣湖へゆっくりと舞い降りていく。
「大きくなったわねえ、咲良。いくつ?」
「16よ。あれから十年だもの」
「どうやってここまで来たの?」
「国鉄バス。6時間もかかっちゃった」
「嬉しいわ」
「あたしも。
もっと早く来たかったんだけど・・
中学や高校の受験とかあって・・」
「そう。すごいわねえ」
「テレビで荘川桜の開花のニュースを見て、
いてもたってもいられなくて、一人で来ちゃった」
「まあ、大丈夫なの?」
「大丈夫。
車掌さんがすっごく親切な人で、いろいろ助けてもらったの」
「よかったわね」
「ほら、見て。あの人よ。
あそこで、ねえさまのこと、じい〜っと見つめてる」
「あら、ほんと」
「なんだか、ねえさまに恋してるみたい」
「なに言ってるの。
咲良、今日は荘川にいられるの?」
「ううん。帰りのバスで名古屋に帰らなくちゃ。
おじいちゃんももういないし」
「そう・・気をつけて帰るのよ」
「うん。帰りのバスまで3時間くらいあるから、
ここにいてもいい?」
「もちろん。お弁当は持ってきた?」
「持ってきたよ。
最近はね、ちゃぁんと自分で作るんだから」
「おりこうねえ」
「もう〜。子ども扱いしないで。
私もう16歳なのよ」
「あら失礼。
でも咲良は、私にとって、ずうっと小さな櫻守だから」
「ねえさま、
私、どこへ行っても、ここがふるさと。
帰ってくる場所は荘川しかない。
だからねえさまも、ずっとずっとずっと元気でいてよ」
「ありがとう。
ねえちょっと、咲良」
「なあに?」
「あの車掌さん、まだ私のこと見てるけど、大丈夫?
「ほんとだ。
ちょっとぉ、車掌さん!
早く出発して戻ってきてよ〜。
名古屋に帰るの深夜になっちゃう」
「あ、これは失礼、失礼。
では、またのちほど」
そう言って笑顔のきれいな車掌さんはバスを発車させた。
咲良は本当に嬉しそうに、私に抱きついて離れない。
もう〜、ちょっと。みんな見てるわよ。
だけど、嬉しい。
ありがとう、
ちっちゃなちっちゃな櫻守さん。
私は咲良の肩をそっと抱く。
そよ風が荘川に遅い春を告げる。
枝から離れた花びらは、ひとひら、またひとひらと
御母衣湖の水面へ舞い降りていく。
その下にはかつて村だった場所。
かつて家があり、笑い声があった場所。
それは、決して消えることのない、私たちのふるさと・・・
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
この物語はボイスドラマとしても制作されています。
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