山観音()
オカルト板では最近、あるパワースポットの話題が熱い。
場所は某田舎の山中。山肌というか崖というか、削られた山の一面に走った亀裂が、観音様の顔に見えるのだ。その御尊顔の巨大さと、緻密な線が素晴らしい。通称「山観音」である。
これが少し変わっていて、それで話題になったのだが、この観音様、いわゆるアルカイックスマイルではなく、とんでもない笑顔を湛えておられるのだ。
もう至極ご満悦というか愉快で堪らないというか、それこそ幼児に玩具を与えたときのような。口を大きく開け、眼は三日月の形を作り、こてんと首を傾げて。何がそんなに可笑しいのか、今にも爆笑が聞こえてきそうな笑顔なのである。
珍しいものが好きな俺は、連休を利用して此処を訪れた。
思ったより観光客が多くて辟易したが、観音様は拝めた。
まさに噂どおり。コラ画像にでも使えそうなほどの笑顔だった。
宿へ戻り、一服していると、仲居さんがお茶を持ってきてくれた。
「観音様ですか?」
「えぇ。見事ですね」
世間話がてら、感想を述べる。
「でもパンフレットが微妙かなぁ。地図だけじゃなくて、もっとこう謂れとか歴史とか、いろいろ書いた方がいいんじゃないですか? 高名な僧が魔物を封じ込めるために彫ったとかなんとか」
「うふふ。でもあれ、天然なんですよ」
「え。というと?」
「彫ったんじゃないんです。山を削ったら出てきたんですよ」
手空きだったのだろう。
話好きらしい彼女は、実はと居住まいを正した。
かつて、この村は何もない過疎地だった。
それでも残った者たちは信心深く、山神を祀って暮らしていたという。
そこへ、あるとき唐突に、山の開発計画が持ち上がった。
村人たちは猛反対した。山には神様が御座す。それを削って太陽光パネルを敷き詰めるなんて、とんでもない話だ。きっと祟がある。呪い殺されるぞ。血相を変えて訴えるも、説明会は無慈悲に終わり、すぐさま工事は着工された。要するに反対はガン無視されたわけだ。
初めは順調に進んでいた工事だが、異変はすぐに起きた。
作業員の一人が、重機で山肌を削っていると、断面に妙な模様が現れたのだ。
人の顔である。
描かれたり埋まっていたのではない。刻まれた亀裂がそう見えるだけだった。
だが、あまりにも鮮明で詳細な像に、現場の作業員たちは絶句した。
それは、山肌いっぱいを使った、巨大な憤怒の形相だったのだ。
遺跡や芸術作品の類いとは思えない。完全な自然現象だ。慣れた者たちだから、見ればわかる。なにより、その表情。我を忘れて怒り狂った獣か、はたまた地獄の悪鬼か。世にも恐ろしい激情を宿した観音像が、見開いた両眼を以て、彼等を焼き殺さんとばかりに睨み付けていたのだ。
それを聞いた村人たちは、ほれ見たことかと戦いた。
山神様がお怒りじゃ!
しかし、彼等にも納期がある。工事は強引に進んだ。
ところがその頃から、作業員の怪我が頻発した。倒れた樹の下敷きになったり、ダンプカーに潰されたり、土砂へ生き埋めになったり、通常ありえない事故が後を絶たず、人死にが相次いで、みるみる人数が減っていった。
そしてどういうわけか、そのたびに、山肌の表情が変わった。
憤怒から苛立ちへ、無表情へ、微笑へ……。
一人また一人と死人が出れば、応じて眦が下がり、口角は上がるのだ。
お祓いなど、なんの効果もなかった。
とうとう計画が頓挫し、事業主が撤退した頃には、顔は現在のような満面の笑みを湛えていたのだという。
「今はパワースポットでしたっけ? 言い方一つでお客さんが来るようになって、有難いです。結果的に村は潤ったし。これはこれで村興し大成功っていうか。まぁ山神が観音様なんて、そんなわけないですけどねぇ! ぎゃははは!」
語り終えて、気の良さそうな女性は、笑った。
その顔は、あの山肌の笑顔に、そっくりだった。
了