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二話 熊の正体

 あと一歩で城という地点で、熊は夜営を始めてしまった。

 確かにずいぶんと夕闇が広がった。

 今日こそ城に到着するかもしれないと期待していただけに、私は落ち込んだ。

 煮炊きを始めたのか、煙があがる。

 一日中、動き続けたのだ。

 ようやく腰を落ち着けて、腹ごしらえをしているのかもしれない。

 そう思うと私のお腹がぐうと鳴った。

 もうずっと何かを食べるという行為を、していないというのに。

 思い出してしまったのだ。

 スプーンですくって口の中に入れたスープから感じる野菜の甘さや、ソースを絡めて肉汁ごと咀嚼する赤身肉の旨みを。

 食べたい。

 何かを食べたい。

 猛烈な欲求に私は居ても立ってもいられず、屋上から城の玄関ホールまで駆け下りた。

 私の力では扉が開かないことは知っている。

 それでも扉の向こう、すぐ近くまで熊は来ている。

 叫べば聞こえるのではないか。

 およそ叫ぶという行為も、私はしたことがなかったかもしれないが、それでも精一杯叫んだ。


「そこにいるのだろう!? どうか、あと一歩、踏み出してはくれまいか! 扉には何の仕掛けもない、開けてくれるだけでいいのだ! 頼む、私を、助けてくれ!!」


 茨を押しのけ、熊が扉の傍までやってきた気配がした。


「……」

「なぜ黙っているのだ?」

「私は部族で一番の功を上げるため、ここへ来た。この城には長らく隠された秘宝があると聞いて。しかし日も落ち、体力ももう限界だ。ここで身を休め、また明日、城に挑むつもりだった」


 なんと、声は女性のものだった。

 あんなに荒々しく刃物を振り下ろしていたから、てっきりむくつけき男ではないかと思っていた。


「この城には秘宝と呼ばれるようなものはない。あらかたの金銀財宝は、召使いたちに退職金の代わりに持たせてしまったのだ。わずかでよければ私の手持ちの宝石が残っている。それでは駄目か?」

「……今から扉を開けることはできる。明日、改めて城を探索したい」

「構わない! いくらでも探索してくれ!」


 私は城から出られるかもしれない興奮で、やや涙声になっていた。

 ギギッと扉が軋む音がした。

 どうやらあちら側から取っ手を引いているようだ。

 数百年間、開かずの扉だったのだ。

 すんなりとは開くまい。

 そう覚悟していた私の目の前で、バキンッと音を立てて扉が蝶番から外れた。

 茨を押しつぶし砂埃をあげて倒れていった扉より、私の目が釘付けになったのは、夕陽を背に逆光の中、威風堂々と立つ少女だった。

 灰色熊の毛皮を身にまとい、日に焼けた肌と黒髪、鋭い黒目が神秘的な少女。

 目の周りと頬には、赤い塗料で戦化粧のようなものが施されている。


「……金色」


 私の髪を見て、少女は確かにそう呟いた。

 

 少女に招かれ、私はたき火の傍に寄らせてもらった。

 なんの用意もなく城を出てきてしまったので、着のみ着のままな私に、少女は毛布を貸してくれる。

 地べたに腰を下ろすとヒヤッとしたので、毛布はありがたかった。

 毛布を貸してしまって、少女は大丈夫なのか気になって見てみると、あの灰色熊の毛皮がいい仕事をしていた。

 なるほど、あの毛皮は敷くこともできるのか。

 万能だ。

 火にかけられた平らな鍋で、ほかほか湯気を上げているのは芋粥だそうだ。

 保存食として持ってきていた乾燥芋を湯に溶かして、塩をかけて食べるのだとか。

 私がお腹を空かせていることが分かると、少女は私にも芋粥をすすめた。

 木をくり抜いて作ってある器に、芋粥をなみなみと入れてもらう。

 スプーンを渡されるのを待っていた私だったが、少女が器に直に口づけて芋粥をすすり出したので、慌てて真似をした。

 熱々の芋粥が五臓六腑にしみた。

 噛む必要もないほどドロドロしていたが、私はよく噛んで味わって食べた。

 美味しかった。

 王族であったころ、当たり前だが誰かがこうして料理を作ってくれていたのだ。

 温かいうちに給仕されたのも、食べる時間に合わせて調理してくれたからだ。

 飽食の時代に生き、魔女に傲慢と言われて戸惑っていた自分は、何もわかっていなかった。

 ひと口ひと口、感謝して食べた。

 それは私にとって、初めての経験だった。

 

 夜は冷える。

 よければ城の中に入らないかと少女を誘ったが、初めて足を踏み入れる場所には、明るい時間帯に行くものだと言われた。

 警戒心が野生の獣なみだ。

 私はおとなしく少女と野宿をすることにした。

 私だけでも城に戻ればいいと言われたが、あの城に戻りたいはずがない。

 邪魔でなければ一緒にいさせて欲しいとお願いして、たき火の傍で寝転がった。

 どうやら少女は火の番をするつもりのようだ。

 私はぽつりぽつりと話しかけた。

 そして少女の名前を教えてもらう。


「ツェレン?」

「そうだ、私たちの部族の言葉で、長寿を意味する」

「私は、ライリー。勇敢という意味だ」


 私も自己紹介をした。

 そうしたらツェレンは私を見て、ふふっと笑った。

 色白で細身で、とても勇敢には見えないということだろう。

 私もそう思う。

 だから私も笑った。

 私たちは笑い合い、少し心の距離が縮まった。

 

 次の日、私はツェレンを城へ案内した。

 数百年前の建造物だ、今となってはとても古めかしいだろう。

 しかしツェレンは興味深そうに隅々を見ていた。

 なにか欲しいものがあれば遠慮なく持って行って欲しいと伝える。

 私の手持ちの宝石も見せた。

 召使いたちを逃がしたあと、私に残されていたのはそのときに身につけていた服と宝飾品だけだった。

 耳につけていたダイヤモンドのピアス、腕に嵌めていたルビーのバングル、服につけていた真珠のカフス。

 すべてツェレンにあげるつもりでいた。

 秘宝の代わりにもならないが。

 しかしツェレンが欲しがったのはそれらではなかった。


「え? 私の血?」

「そうだ、お前の血には価値がある」


 血と言われておののいたが、どうやら詳しく話を聞くと複雑な事情があることが分かった。

 ツェレンは部族の族長の座を賭けて、一族の兄たちと争っている最中らしい。

 族長だった父が亡くなった今、部族に一番の功をもたらした者が次の族長に選ばれる。

 ツェレンたち部族の集落から東にあるこの城には、秘宝が隠されているという噂があった。

 毎朝、日が昇ると屋上で黄金が光り輝くという。

 ツェレンはその黄金を持ち帰ろうと、ここまでやってきたのだそうだ。


「それってもしかしなくても、毎朝、屋上で見回りをしていた私のことかな?」

「きっとそうだ。実際に私も見に行ったが、屋上には何もなかった。毎朝、ライリーの金色の髪が朝日を浴びて、黄金が光っているように見えたのだろう」

「じゃあ、私の髪の毛を持ち帰るの?」

「いや、私が欲しいのは血だと言っただろう。ライリーの中に流れる数百年前の王族の血、これこそが部族にとっては名誉であり、功になるはずだ」


 ツェレンは私に、部族の集落へ一緒に来て欲しいと言った。

 どこにも行く当てのない私に否やはない。

 むしろ心惹かれたツェレンと離れずに済んで、私はホッとしていた。

 これからの旅路の険しさも知らずに。

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