閑話
その日の夜中、頭が冴えて寝付けないので食堂で何か温かい物でも入れようと屋敷の回廊を歩いていると母とすれ違った。
母と会うのは久しぶりだ。
母は、国政に掛かりきりの父に代わって公爵領の管理運用を一手に引き受けている。
月の女神と称される程の美貌と広大な公爵領を纏め上げる手腕を併せ持つ。
とても優秀である反面、夫である父を深く恋慕しており、時に暴言や暴力など辛く当たられても我慢している。
父の命令には絶対服従で反発するところなど見た事がない。
私を庇ってくれた事も、慰めてくれた事も一度だってない。
母はいつもすれ違い様に「ごめんなさい」と謝るだけだった。
そんな母が今日は話しかけてきた。
「アネッサ、今回の件は残念でしたね。ですが忘れてはなりませんよ。女の幸せは殿方を愛し尽くす事です。貴女は私の子だもの。いずれ分かる時がくるわ」
それだけ言うと私の返事を待たず去って行った。
翌朝から調べると例の公演、スノードロップの月姫の初日は婚約破棄の次の日であった事が分かった。
あの騒動は前々から画策されていたものだったのだ。
関係者への根回しや準備期間を考えると少なく見積もっても半年は前からだろう。
何と愚かな事か、仮にも次期王妃の座を狙う者がそれすら気付けず見事に悪役に嵌められていたのだから。
私は本当にどうしようもない。
他人の醜聞で盛り上がり好き勝手に自論を展開する様は社交界でよくある光景。
同じ人間だもの、平民だって同じだ。
私は心のどこかで貴族と平民は違う存在なのだと思ってしまっていたようだ。
優しく接してくれていた町民も皆、身なりや話し方が異なるだけで根本は一緒なのだ。
ならば私はどうする。
これからどう生きればいい。
私は何をしたい?
「ネロ、手紙を出したいの。それと用意してもらいたい物がたくさんあるわ。これから忙しくなるわよ」
「何をなさるおつもりですか?」
「続きをやるの。彼らの好むやり方でね」