観劇のあと2
「私は襲われたんです!そんな事言うなんて酷い!酷い!」
今度は急に火が付いたように怒りを丸出しにしている。
「きっとこうだ。君は万有通りを歩く僕達を見つけてしばらく後ろをつけてた。そこで僕達の関係性を知りカフェに入ったのも見ていた。来た方向は知っている訳だからカフェを出て向かうであろう先で、運命のお導きを演出する為酔っ払った男を騙してあの場所へ誘い込んだ。前を通るタイミングで声をあげれば完成だ。あの男性が言ってた事は本当だったんだ。悪い事をしてしまったよ」
「嘘です!そんなの嘘です!私は襲われたんです!」
この後のミアは何を問うても嘘だ酷いと答えにならない言葉を繰り返すだけだった。
そんな不毛な問答に痺れを切らした時、向こうから二人の女性がこちらへ走ってきた。
「ミア!やっと見つけた!」
「公演の時間いつものって聞いてたから、いつも通りこの集合場所で待ってたのに全然来ないんだもん!何してたの?」
かなりの時間走り回ったのか額に汗を浮かべ疲れているのが見てとれる。
二人は怒った表情で詰め寄るとミアは烈火の如く怒りに染めた顔を急に青ざめさせた。
「えっと、あの、チケットをスリにあっちゃって犯人を探してたの。あっ!この人は私の恋人だから」
そういうことか。
動機だけが理解出来なかった。
この女は自分のしたい事の為なら平気で嘘もつくし他人も友人までも騙すんだ。
「もういい、君がどういう人間か分かったよ。あのチケットも友人との約束を反故にしたものだったんだね。さっきから言ってるけど、君の思いに応える気はないよ」
「あんたまさか、この男の人と観に行ったの?!私達に何も言わず?いい加減にしてよ!」
「何で言うんですか!ここは普通合わせるでしょ!」
チェックメイトされたキングはとうとう逆ギレという形で盤外へ駒を進めた。
「ごめんなさい、お兄さん。この子ったら外見が良いから昔からチヤホヤされてて、気に入らない事があるとすぐ癇癪起こすんです」
二人の女性の内一人が私の方へ向き会釈程度に頭を下げた。
「アーサーさん!遅くなってすみません!って、この女性達はどうされたんですか?」
「ネロ、丁度良いところに。果実水を彼女達にあげたいんだ。たくさん走って疲れただろ?ネロも休んで」
「え?!そんな良いんですか?ありがとうございます」
「ちょっと!何であんた達がアーサーさんから貰ってるのよ!私だって貰ってないのに!でもまあいいわ。アーサーさんはこれから私と忘れられない夜を過ごすんだから」
何故か勝気にフンッと鼻を鳴らしている。
事態を飲み込めていないネロが驚愕の表情で私を見る。
「では僕からも君に送ろう。"この阿婆擦れが"と」
侮蔑の念を隠す事なく吐き出した。
「酷い!何て酷い事言うの?!アーサーさん!もう!どうして思い通りにならないの?!皆大っ嫌い!!」
段々と声を張り上げていき最後の方は叫び声に等しかった。
ミアは唐突にマジェステに似た髪留めの、先端が鋭く尖ったスティックを引き抜いた。
綺麗に纏められていた髪が乱れ落ちる。
正面にいた友人の一人を押し退けると私の正面に立ち、スティックを強く握った手を振り上げた。
「ッ!!!」
その鋭い先端が私の鎖骨目掛けて振り下ろされる。
驚きと恐怖で体が固まって動けない。
目を見開いたまま受け入れ難い痛みに備えていると視界の端に何かが飛び込むのが見えた。
バシィッ!!!!
「痛っ!!何するのよ!」
「麗しいお嬢さん方が何やら愉快なお話をしていたものだから気になってね」
私とミアの間に黒い外套を羽織った長躯の男性が割って入るように立ちはだかったのだ。
宝石の付いたステッキを持っている事から貴族もしくは裕福層の人間なのだろう。
ミアはスティックを落とした方の手首を反対の手で庇うように掴み、悶絶しそうな表情を浮かべている。
そのステッキでミアの手首を叩いたのだろうか。
「誰よ!アンタには関係ないでしょう?!どっか行ってよ!」
「関係があればいいんだね。彼は私の旧友の息子なんだ。さあ、アーサー君。私の馬車で屋敷まで送ろう。乗りなさい」
これ以上騒ぐなら、と剣でも持つようにステッキを構えた。
見下ろす眼光は飛ぶ鳥を射殺す程威圧的で、流石のミアも「ヒッ」と悲鳴を漏らすと体を縮こませた。
当然、私は彼の旧友の息子などではない。
助けてくれたのだとしても知らない人の馬車に乗る気などなかったのだが、長躯を遺憾無く活かした眼光の余波に当てられて従わされてしまう。
乗り込んだ馬車は紋章など無く地味でありふれたグレードの低そうな印象であったが腰掛けた瞬間柔らかで上質な座面の感触にそれが誤りだと感じた。
私とネロが隣り合わせで座り、対面に助けてくれた男性が乗り込む。
そのまま止まっているのは不自然だからと御者に街中を適当に走るよう指示を出していた。
予想に反して、馬車が動き出しても男性から話しかけてこない。
自分から声をかけるか逡巡し伏し目がちに彼を盗み見る。
長躯でガッシリとした身体付き。
年齢は…二十代後半だろうか、先程の堂々たる振る舞いからみても歳上のように思う。
濃い茶髪で深海のような青黒い瞳。
貴族名簿目録に載っている人物であれば全て記憶しているので彼がその中にいないということは分かるのだが、既視感に似た違和感を覚えるが気のせいだろう。
それよりも、彼のとても広い背中、先程庇ってくれた外套を思い出す。
私は誰かにあのように守ってもらえた事などなかった。
慰めてもらえたのですら幼き頃、公式の顔合わせ以前に王城の庭園でレイモンド王子殿下と偶然お会いした時のみ。
私はあの時からずっとレイモンド王子殿下をお慕いしていた。
それなのにこれまで感じた事のないこの胸を締める甘苦しい痛みは何?
こんな何も知らない、今だって助けておいて何も喋ってくださらない、紳士ならばそちらからお声をかけるのがマナーでしょうに。
そこであっと気付く、今私は男装しているのでした。
「あ、あの。先程はありがとうございました」
「ああ、無事で何よりだ。そちらの彼女も」
「貴方様がいなければアーサーさんがどうなっていたか想像するのも恐ろしいです。感謝の念に堪えません」
二人揃って深々と頭を下げる。
すると彼は少し慌てた様子になった。
「礼には及ばない。私が勝手にしたことだ。さあ、もう良い頃合いだろう。目的地まで送ろう」
それだけ言うと彼はまた黙ってしまい、名を聞いても教えてはくれなかった。