観劇のあと
カーテンコールが鳴り止まない。
地響きのように沸いている喝采がこの身を震わせているのか。
今私はちゃんと息を吸えているだろうか。
「すっごかったですね!私もう何回も観てるのに涙出ちゃいました!月姫様最高です!」
ね?と首を小さく傾けながら私の顔を覗き込んでくる。
思わず勢いよく顔を背けてしまったが気にならない様子だ。
舞台に再び現れた役者が手を振って歓声に応えてくれている中、徐々に談笑する声が増した。
「この劇ってあれだろ?レイニード王ってのはレイモンド王子のことだろ?」
「実話を元にしてるんだって!ほらレイモンド王子、こないだ婚約破棄して妹に乗り換えたって話じゃない。こういう事だったのね〜」
「ヒデェ王子だと思ってたが元婚約者の方だったってか。名前は何て言う奴だ?」
「ほら、バークーヘン公爵家のアネッサ様よ」
突然名前を出されて肩がびくつく。
早くここを離れなければと脳内で警鐘が鳴らされているのに思うように動けない。
「想い合う二人の仲を引き裂いて無理矢理婚約者になった挙げ句妹虐めまくってりゃあ牢獄行きも納得だな」
「今まで悪い噂も聞いた事なかったけど、バークーヘン公爵様っていうと宰相様じゃねえか。権力使って好き勝手してたんだろうよ。月の影ってんだ、きっと性格通り陰湿なツラしてんだろうな」
その観客達はハハハハハッと大きな口を開けて笑い合う。
街中で見た、気持ちの良い笑い方で彼らは今、私の悪口で盛り上がっている。
勝手に作り上げていた虚像に亀裂が入り、笑い声に溶けて崩れ落ちた。
ああ、見た事のある光景だ。
何も変わらない。
「とりあえず、ここから出ましょう」
半ば放心状態だった私をネロがそっと寄り添ってくれて立ち上がらせてくれる。
「あ!じゃあまたカフェに行きませんか!そこでいっぱい語りましょう!」
会場から出てもしばらくは同じく観劇を終えた人々が熱の入った口調で感想を言い合う音が聞こえた。
もしかしたらその人達も私の事を非難してるのかもしれない。
きっとそうだろう。
私の頭では先程のやり取りが何度も何度も繰り返し流されていた。
人の多い所には行く気が起きずカフェはやめて待ち合わせでよく使われるという大きな噴水のある公園に寄った。
気分直しに果実水でもとネロが買いに行ってしまったので今はミアと2人きり。
噴水の縁に腰掛けたが何故だかミアがソワソワとしていて落ち着きがない。
何でもいい、違う話をして頭の中を切り替えたい。
「どうかしたのかい?」
「やっと二人になれました。ずっと言おうと思ってたんです」
するとミアは急に立ち上がり私の正面に来る。
頬を赤く染めて
「好きです!付き合って下さい!」
「え?」
とんでもないことを口にした。
「僕達は今日出会ったばかりだよ。お互いの事を知らないのに好きとか言っちゃいけないよ」
「一目見て運命の人だって感じたんです!お互いの事はこれから知っていけばいいじゃないですか。人を好きになるのに時間なんて関係ないんですよ」
一目見て?時間なんて?
その言葉は私の中で無意識に封をしていた感情をこじ開けるきっかけになった。
私が殿下の御心を欲して幾重にも重ねた時間を無駄だったと貴女は言うの?
「気持ちは嬉しいけど、応えられないよ。ごめん」
脳と口が離れていく。
貴族として未来の王妃として腹芸は長けたものだ。
それを押してもなおこれほど心が痛むものなのか。
「そ、そんな。でも、今日出逢えたのは運命のお導きじゃないですか!きっと相性バッチリですよ」
私が今日こんな仕打ちを受けるのもこんな気持ちにさせられるのも全て運命のお導きだとでも言うわけ?
ふざけないで。
「ごめん。本当に駄目なんだ」
私は申し訳ない顔を作って目を伏せた。
もうこれ以上一秒だって見たくない。
「どうしても駄目なら…お願いです。一晩だけ、一晩だけでいいので愛して下さい」
は?
目の前にいる女性の形をしたナニかはおかしな事をその整った唇から生み出した。
…ふざけるのも大概にして。
その時、心のたがが外れた気がした。
「少し、確認したい事があるんだけど聞いてもいいかな」
「はい!何でもどうぞ!」
この女、急にニコニコ上機嫌になった。
私が乗り気だとでも思っているのか?
気にする必要はないと薄靄程度に感じていた違和感の正体を明らかにしてやろう。
「この地区はとても治安が良いようだね。常に警ら隊が巡回を怠らないお陰で皆とても過ごし易いと聞いた。周辺諸国では昼間であっても女性の一人歩きは危険だという所も多いのに」
「そうですね。でもそれがどうかしたんですか?」
小首を傾げ上目遣いで私を見るな。
「だからこそ、日の明るいあの時間に、しかも暗がりの路地裏とはいえあの通りから1本しか離れていない場所で君が襲われて、僕達が偶然そのタイミングで通りかかったっていうのが出来過ぎているように感じられてね」
「正に運命です!きっと神様が私達を祝福してくれてるんです」
今度は祈るように手を組み瞳を潤ませている。
趣味だと言っていた観劇の影響か、身振り手振りでどこか芝居がかった動きをする。
「そういえば、ミアはすごいね、エスパーみたいだ」
「え?どうして?」
「だってさ、今日話をした人達は皆僕とネロの仲を聞いてきたんだよ。ハナから恋仲だと思ってからかったり色々とアドバイスしてくれた人もいる。だけど君は一度もそういう話はしてこなかった。勘違いしてる様子もなかったし、告白する相手に恋人がいるかどうかは大事な事だろう?」
「え!えっと、なんとなく違うだろうな〜って思ったんです!女の感ってやつです」
「それだけじゃない。君は僕達が君と出会う前にカフェに行っていた事を知ってたんだから。劇場から出る時に言ってただろ?またカフェに行こうって」
「え!えっと、あの通りはカフェも多いし一回くらいは行ってるかな〜って思っただけです」
分かり易く動揺してくれる。
元々オツムも弱いようだし簡単にボロを出してくれそうだ。
「それより、暴漢に襲われた時にずっと握られてた右の手首はもういいのか?」
「大丈夫ですよ、ほら。跡が残らなくって良かったです。心配してくれてありがとうございます」
ミアは右腕を少し捲って私の方へ突き出した。
「怖かったよね。掴まれてから一度も離されなかったんだよね、本当に一度も?」
「そうなんですよ〜。凄く強く掴まれて痛かったんです。抵抗しても全然離してくれなくて怖くて怖くて、でもアーサーさんが来てくれたから大丈夫です」
そろそろ少しキツめにいこう。
「それはおかしいな。僕が君の声を聞いて駆け付けた時、君は左の手首を掴まれていた。ねえ、君は何か隠してるんじゃないか?」
「そ、そんな事ないです!疑うなんて酷い!アーサーさんの見間違いでしょ!」
「彼は右手で君の左手首を掴み、左手で君に痴態を働こうとしていたんだよ。そんな状態で君の右手首を掴むなんて不自然だろう?」
「え!えっと、ひ、左手首でした!私の勘違いです。掴まれたのは左の方でした。気が動転してて間違えちゃっただけです。何も隠してなんてないです」
ミアは慌てて右腕をしまい、左腕を突き出した。
左手首にも掴まれた跡は見当たらない。
「その上、友達に急用が出来て都合良くチケットが余っていたと?」
「だから運命なんですってば!」
焦っているのか目はあちこちを泳ぐし手も髪や顔に触れては離してを繰り返している。
「少なくとも今は運命とやらを信じる気にはなれないな」
「君さ、本当は襲われてないんじゃない?」