初めての街
「へいらっしゃいらっしゃい!今日も良いの入ってるよー」
「ここでしか食べれない!肉厚牛串焼きたて上がったよー」
「素敵なアクセサリーいかがですかー」
「イケメンのあんちゃん!ウチの買ってきな!安くしとくよー」
ここは城下町に位置する町ケルプ、いつも行商人や街商で賑わっている。
区画整理の為城下町近辺は賽の目状に道が走っており、中でもこの通りは道幅が一番広い。
飲食店もおおく、食料はもちろん日用品から生活雑貨、花や宝石、馬車に用いる荷台なんかも売っている。
未登録の露店を含めるとその店数はゆうに300を越えるという。
通称、万有通り。
庶民から下位貴族までもが一日中過ごしても退屈しないほどバラエティーに富んでおりデートコースには打って付け、らしい。
資料でしか知らなかったこの街に私は初めて降り立った。
「とってもお似合いですよ、アーサーさん」
「あなたにこんな特技があると知った時は驚いたよ」
「ふふっ。先程から周りの女性から熱い視線を感じますね」
「そうなのかい?なんだかすごく擽ったい気持ちだな」
今の私は商家の子息に扮している。
コルセットは胸当てに変わり、華飾とも思えるヒールはカジュアルなブーツに変わった。
まだ数度しか被った事のない鬘の装着感に違和感を拭い去れず、時折り眉を顰めて店のガラスを鏡代わりに覗いても、そこには憂い顔にもとれる青年が映るだけだった。
事の始まりは何の気なしに発した冗談からだった。
自室に篭って早二週間が経過した頃。
やるべき事もなくやりたい事もない私は日がな一日外の景色を観て過ごしていた。
これまでの私は勉学やレッスンやお茶会にと目紛しい日々をこなすことに必死になっていた。
全てが白紙になり開催が予定されていたお茶会も中止の連絡があった。
友人と呼べるような気心知れた人は一人もおらず立場上の打算的な付き合いでしかなかった為、公の場で婚約破棄された哀れな性悪氷面女に関わろうとする人なんていない。
疲れは取れたはずなのに体が重く食欲も湧かない。
そんな時、
「アネッサ様、お願いがございます。お叱りは後ほどお受けしますので、どうか、私に御身を任せて下さいませんでしょうか」
恭しく頭を下げたネロが頼み事があると言ったのだった。
普段そんな事を口にしない彼女が緊張をはらんだ声色で言うので何事かと思いつつも快諾すると、あれよあれよという間に変身させられたのだ。
「この手際の良さは何?もしかして貴方は男装を嗜む趣味があるのかしら」
「い、いえ。ただ…その、ちょっと…」
「随分と歯切れが悪いのね。とやかく言うつもりはないのよ?」
ネロはガッと頭を垂れたかと思うとゆっくり息を吸いバッと顔を上げ真一文字に結ばれた口を開いた。
「実は、ずっと以前からアネッサ様がお似合いになるのではと、そんな機会に恵まれる事などないだろうとは思いつつも思いやむ事が出来ずいつかの折にと準備を整えておりました。ああ…ですがやはり、いえ、想像以上です。とても見目麗しく…アネッサ様だと分かっていながらも早まってしまう鼓動を鎮める手段が見つかりません」
己が罪を懺悔する信徒よろしく、ネロは膝をつき顔の下で手を組み合わせ、頬を紅潮させ瞳も潤ませながら告白した。
これまで秘密にされてきた衣装ケースにはずらりと様々な種類の男性用の服が掛けられてあった。
自費と自作で全てコツコツ溜めたものらしい。
一体いつから私の男装姿を想像していたのだろう。
何故だかほんの少し、身震いした。
「そう、貴方がそんな風に私を見ていたとは知りませんでした。でも不思議と嫌な気はしないわ。寧ろ逆よ、何だか違う人間になれたようで私も楽しいわ。ありがとう。ふふっ、これなら例え街で知り合いに会っても気付いてもらえないでしょうね」
「そうです!街!街へ行きましょう!今まで一度も行かれた事は無かったですよね?!是非とも行くべきです!勿論!私もお供致します!」
「ええ?!それはいけないわ!お父様のお言葉に反してしまうもの。行けないのよ」
その瞬間、気付いてしまった。
行けない…自分が発した言葉が頭の中で回る。
一瞬だけど想像した、街中を自由に歩く自分。
いつもの如くお父様の顔に声に掻き消えてしまったけれど、私は確かに外の世界を望んでいた。
「アネッサ様?」
突然固まった私を案じて声をかけてくれた。
ああ、本当に私は愚かだわ。自分の気持ちにすら気付いてなかったのだもの。…こんな有様では他人の心など分かるはずもないわね
私は知りたいと思った。
私が今まで気付かなかった事、知らなかった事、見てこなかった事、想像も及ばない事象も全てを、知りたいと思った。
「ネロ、色々と教えてもらうわよ。まずは男性らしい所作と言葉使いから」