突然の婚約破棄
初投稿です。
完結目指して頑張ります。
最後までお付き合い下さると幸いです。
「お前は王妃になる為に産ませたのだ、必ずやレイモンド殿下を籠絡し寵愛を受けろ」
それはもしかしたら私が最初に覚えた文章なのではないかと思うほど、深く頭に焼き付けられた言葉だった。
第一王子レイモンド殿下との正式な婚約期間も四年経ち、成婚ももう時期だろうと囁かれていた。
それなのに今、私はとある夜会の会場で婚約破棄を言い渡されている。
バークーヘン公爵家の長女アネッサは、自然豊かなマリンクォーツ王国で第一王子レイモンドが生まれた二年後に生を受けた。
この国で宰相を務めるローンディ・バークーヘン公爵を父にもち、物心ついた時には淑女教育・王妃教育が始まっていた。
全てはこの国を手中に治める為。
アネッサは碌な休みも与えられず、同年代の友人を作ることも許されず、屋敷の敷地内から出ることも許されず、ただひたすらに父の命令通り生きることを強制された。
幼少期から幾度となく発せられた命令の終わりにはいつも「お前はレイモンド王子から愛されなければならない」で締め括られていた。
アネッサはそれを解放の呪文のように感じていた。
その言葉が始まれば、長く辛い御指導や鞭撻の終わりを知らせてくれる。
畏まりましたと言えば楽になれるのであった。
それは染み付き、いつからか、レイモンド王子から愛されないお前には価値が無いと脳内で変換させるようになったのは無理からぬ事。
アネッサには一つ歳下の妹ティナがいたが、妹の前では氷像と喩えられるローンディですら笑顔を見せる。
バークーヘン家では月に1度は家族団らんの時間を設けており、観劇や買い物ピクニック等模範的な家族らしい姿を周囲に見せていた。
お前には必要ないと言われアネッサが参加することは一度もなかったが。
それはアネッサに家族愛を与えず、ただ一人レイモンド王子からの愛を自ら欲するように仕向ける為なのだろう。
アネッサは両親からの愛を一身に受けのびのび生活する妹を見る度、寂しさで胸を締め付け嫉妬で喉の奥が焼けつくような感覚を押し殺しながら過ごした。
父の言う王妃になればきっと父からも愛してもらえる。私にだって笑顔を向けてくれる。
その為にはレイモンド王子に愛されなければならない。
――――私は彼に愛されなければならない――――
血を吐くほどの努力を積み重ねた結果、アネッサは無事レイモンド王子の婚約者の座を得た。
愛されなければならないという強迫概念もあったのだろうが、昔王城の庭園の隅で偶然会ったレイモンド王子の印象は良く、アネッサは彼の婚約者になる事に意欲的であった。
嫌われないように甲斐甲斐しく世話を焼き、彼とはトラブルなく順調に進んでいるように思っていた。
「アネッサ・バークーヘン!貴様との婚約を今この時をもって破棄する!」
そうした中での婚約破棄である。
ダンスホールの中央で、少し離れたところに人垣を作りその中心で声高らかに宣言したのが私の婚約者であるレイモンド第一王子殿下。
彼の隣には私の妹ティナが彼の胸元に手を当てもたれ掛かるように寄り添い、彼もまたティナの細い腰を抱いている。
二人がただならぬ間柄なのだろうと私は今初めて察した。
「理由を、お聞かせ願えますか?」
震えそうになる声を悟られぬように押し殺して問いかけた。
殿下とは今ティナとしているような密接な距離感で接したことは一度もない。
でも婚約を破棄されなくてはならないほどの失態は何も犯していないはず。
どうして?
「私が何も知らぬとでも思ったか?お前の姑息で陰険な嫌がらせや妨害工作の数々、よくもまあ実の妹にそんな事が出来たものだ!」
「何のことでしょう。全く身に覚えがございません!何かの間違いではないでしょうか」
突然降って湧いた悪行の濡れ衣を払拭したく、大きくはっきりとした声で返した。
王妃教育の中で王妃として相応しい威厳ある声の出し方は習得している。
ここで狼狽えれば言い分を認めるのと相違ないように思われてしまう。
事実がどうあれ、周りからそう思われてしまえば公爵家の名に傷がつく。
それは絶対にあってはならない。
父の顔が思い浮かび血の気が引く感覚がする。
私の顔は父上によく似ており顔つきもどちらかといえば男顔寄りである。
表情豊かに振る舞うのは苦手で、アネッサ・バークーヘンは氷の仮面で出来ているのだと、良く思わない人は陰で私の事を氷面女と呼んでいるらしい。
「この期に及んでまだしらを切る腹積もりか?流石は血も涙も流れない氷面女というところだな」
そこでとうとう妹が口を開いた。
「お姉さま…申し訳ありません…。殿下にお話ししてしまいました…。ですが私はもう耐えられぬのです…」
ティナは母上によく似ており私とは正反対な雰囲気を醸し出している。
庇護欲のそそるような弱々しい声色で涙を浮かべながらこれまで私から受けたという非道の数々を訴えた。
時折我慢できないというように両手で顔を覆ったりもした割には、その声は物語を読み聞かせるようにゆっくりと会場内に響いた。
群衆と化した貴族たちが口元を手や扇子で隠しながら周囲の人とどちらにのるかヒソヒソと盛り上がっていた。
そのほとんどがティナ、レイモンド王子側だ。
その理由は簡単、王族には影と言われる優秀な密偵を懐に抱えている。
分かる人が言うにはレイモンド王子は第二王子と比べ劣るところが目立つらしいが、第一王子たるものが確たる証拠もなく、ましてやこのような面前で晒し挙げるはずがないという先入観からだ。
忍び声は次第に大きくなり中心にいる彼らの耳にも届く。
ティナがレイモンド王子の胸元に顔を埋め小さくほくそ笑んだがそのことは誰も知らない。
アネッサは動揺から背中にジットリと汗をかきながらも悟られることのないよう自信を叱咤し身体の震えを抑えた。
その努力も虚しく推定有罪の雰囲気の中夜会は幕を閉じ、屋敷へ帰ることとなる。
そう、屋敷には父がいる。
指先が凍ったように冷たく無意識に肩に力が入る。
意識しないと呼吸もままならず頭の奥ではあの言葉が永遠と繰り返される。
このまま死んでしまった方が楽なのではないかと思いながらも迎えられた玄関ホールの扉を進むことしかできなかった。
ああ、私は今日死ぬのかもしれない。