プロローグ
病院の応接室で、初老の男女と白衣を着た白髪の男性と40才過ぎの男性が向かい合ってソファに座っていた。
「上野先生、どうにかならないんでしょうか……」
初老の男性、九十九里 高源は、この病院の病院長である白髪の男に向けて悲痛な声で言った。
隣には、妻の玲子が高源の手を握りしめ、緊張した眼差しを向けていた。
「息子さん……大地くんの容態を鑑みますと、残念ながらもって一週間が限界かと……」
高源の対面に座る老医師の上野が、心苦しそうに語る。
その言葉を聞いた玲子は、
「あああああっ! 大ちゃん! 大ちゃん! 大ちゃん!」
テーブルに突っ伏し、息子の名前を連呼して大声を上げて泣いた。
高源も天を仰ぎ見て、悲しみを堪えるようにギュッと目を閉じ、息子のことを思い巡らした。
息子の大地の異変を感じたのは、ちょうど3年前の高校入学の時だった。
新しく買った通学用自転車で転倒し、左腕を骨折した。その時は、慣れない自転車だったせいだと気にも留めなかった。しかし、左腕の骨折が治り再び自転車通学が始まると、また自転車で転倒した。それが、2度、3度続き、さらに何もない状況で階段から転落したことで『これは変だ!』と思い、病院で検査を行った。
結果、大地の脳に五センチ大の悪性の腫瘍が見つかった……。
脳外科のゴッドハンドと呼ばれる名医に手術をお願いしたが、脳幹の奥にできた悪性腫瘍は、さすがの名医をもってしてもすべてを取り切ることができなかった。
切除できなかった悪性腫瘍は、日を追うごとに肥大化し、現在では脳神経を圧迫して、自立呼吸ができないまで症状が悪化していた。さらに、悪性腫瘍が全身に転移し、余命いくばくもない状態になっていた。
高源は、真剣な眼差しを病院長の上野に向けた。
「あともう少しなんです……もう少しで、私が研究している”医療用ナノマシン”が実用化するんです。実用化できさえすれば、私の手で息子を助けることができるんです! それまで、なんとか息子を生き延びさせることができないでしょうか!」
九十九里高源は、元々はロボット工学でその名を轟かせた天才的科学者だった。小型化した量子コンピューターの電子頭脳を開発し、人と見間違えるほどに精巧に作られたアンドロイドに搭載させ、人手不足といわれる日本に働き手として送り出してロボット革命を引き起こした人物だった。
息子の病気の発覚後は、わが子の病気を治すためにナノマシンの開発していたベンチャー企業を買い取り、3年で医療ナノマシンを動物実験で一定の成果を上げるまでになった。
「私も息子さんをお助けしたいのはやまやまなのですが……」
高源の願いに、病院長の老医師も言葉を濁す。
高源も無理を承知しているがゆえに、それ以上老医師を問い詰めることはなかった。
絶望的な状況に、誰も言葉を発せられなくなっていた。
「あの、いいでしょうか……」
それまで無言を貫いていた40過ぎの医師が口を開いた。息子・大地の主治医である大崎だった。
「現在の医学では、息子さんの病気を治すことは不可能です……。ですが、延命させるだけなら可能かもしれません」
「それは、どういうことですか!」
大崎先生の言葉に、健三郎が飛びつくようにして尋ねる。
「私の友人で、アメリカでコールドスリープの研究に携わっている者がいるのですが、特殊な電磁波による冷凍保存法を開発し、実際に動物実験で成功したとの報告を受けました。今までコールドスリープが成功しない第一の理由は、体から体液を抜いて冷凍保存しても、冷凍の際に細胞内の水分が膨張し細胞を壊してしまうのが一番の原因です。ですが、特殊な電磁波を浴びせながら冷凍すると、細胞内の水分が膨張せずに細胞が壊れません。これは、日本でマグロなどの高級魚を鮮度を保ったまま冷凍する技術として以前からありました。これに改良を施し、生きたままの状態でも冷凍&解凍することができるようになりました。最終的に生きたチンパンジーで実験し、1週間後に解凍しましたら生きていたそうです」
そこまで話すと、大崎先生は、目の前に置いてあった冷めたお茶を飲んで喉を潤した。
「先生、では、その技術を使えば、うちの息子の延命も可能であるというわけですか……?」
高源の問いに、大崎先生が頭を横に振った。
「チンパンジーも生きていたというだけで、解凍後数分で死んだそうです。解剖結果では、眼も見えず、耳も聞こえず、体が動かせず、鳴き声しか上げられない状態だったらしいです。現時点では、動物実験の域を超えられない状況です」
「それでは、息子の延命は無理ではないですか!」
大崎の一瞬でも希望を持たせた言葉に、高源は苛立ちを覚えた。
「はい、現時点では、冷凍技術は及第点だとしても、保存技術・解凍技術は未熟であると言わざるを得ません。ですが、現時点においてということです。もし、将来に九十九里さんが研究している医療用ナノマシンが完成して、被験者の解凍時に使用できるなら延命する確率は上がるのではないでしょうか? 大地くんは、このままの状態ですと確実に死にます。ですが、最新の冷凍技術と将来の医療用ナノマシンがあれば、大地くんが助かる確率は”0”ではないはずです」
そう言って、大崎は、ジッと高源の目を凝視する。
「大崎くん、さすがにそんなあやふやな研究結果で患者様の命を委ねるはおすすめできませんよ。そもそも日本では、そのような延命措置自体が認められてないのですから」
それまで横で黙って聞いていた病院長の上野が口を挟んだ。
「それはわかっております。ですが、私たちにこれ以上患者さんを救う術がないのであれば、ごくわずかな希望でもそれを提示する義務があるのではないでしょうか。今回の提案は、九十九里さんの持つ技術の成功が前提ですが…。もし了承してくださるのであれば、すぐにアメリカの友人に連絡して、日本の法律が及ばない日本の米軍基地で延命治療を施せる環境を整えさせます。どうでしょうか、九十九里さん」
しばらく大崎の言葉にジッと考え込む高源だったが……。
「そうですか……。すべては、私が作る医療用ナノマシンにかかっているということですね……。わかりました。その方向で進めてください」
大崎に頭を下げる高源の横で、妻の玲子が驚きの声を上げた。
「あなた! そんなあやふやな希望で大地を危険にさらせないでください!」
「じゃあ、どうすればいいんだ! 大地は、数日以内で死んでしまうんだぞ!」
泣きじゃくる玲子の背中をそっとさすりながら、
「玲子、我慢してくれ……これしかないんだ、これしか……。医療用ナノマシンは、絶対に成功させる。私の命をかけてでも成功させてみせる! 玲子、私を信じてくれ……」
玲子は、苦渋の決断にしばらく黙り込んでいたが、コクリと頷いた。それを確認して高源は、再度大崎に頭を下げた。
「先生、コールドスリープの件、よろしくお願いいたします……」
そう言って、健三郎は玲子を抱きしめ共に泣いた。