枕がかたい。
アレクの首を落とそうと近づく剣術士を見て、ボクは姿を隠す魔法を唱える。
「《ダークモーフ》」
「え、ウィンちゃん? どこっ?」
すでに後方となったスフレからボクを探す声が聞こえた。
急に消えたのだから当然だろう。
でもボクは止まらない。
近づきながら剣術士の鎧と剣術士自身に魔法をかける。
「《デテリオレイション》《ルーズグラビティ》」
剣が振り下ろされる前に、剣術士の腹部を全力で蹴り抜く。
普通ならボクのような魔術師が純近接の堅牢な鎧を蹴ろうものなら、足の方がどうにかなってしまうだろう。
だが実際にはそうはならなかった。
先の魔法の効果のおかげだ。
《デテリオレイション》は、物体を劣化させる魔法。
剣術士の鎧にかけさせてもらった。
《ルーズグラビティ》は、対象にかかる重力をほんの僅かな間、消失させる魔法だ。
これにより、ボクの足が当たった瞬間、鎧は脆く粉を撒きながら散らばり、易々と受け入れる。
そして剣術士の体は、まるで水で吸い付いたグラスがテーブルの上を滑るように、一直線に吹き飛んで壁に突き刺さった。
後戻りはできない。
馬鹿なことをしたのはわかってる。
でも後悔はしてない。
こんな奴らのせいでアレクが死ぬなんて馬鹿げてる。
そんな思いで動き出したのだということに気付いたのは、動き始めてからだった。
だけど、気付いても止まる気なんてなかった。
このまま見過ごしたら、それこそ後悔すると思ったから。
「……ごめん、スフレ。ボクが約束破っちゃった」
もしかしたらスフレを敵に回すかもしれない。
その正当性を説いたのはボクだ。
でもできれば、見ているだけに止まっていてほしいと思ってしまう。
勝手な考えだけれど、それでも。スフレとは戦いたくない……。
いけない。考えるのも謝るのも後にするんだ。
スフレが混乱している間に終わらせて、巻き込まずに済めばそれが一番いい。
「え、なに? なに?」と後ろで狼狽えている魔導師を訳が分かっていないうちに潰しておこう。
「《マナドレイン》!」
この魔法は、対象から魔力を吸収する魔法だ。
大魔法を連発させられていたせいで元々枯渇気味だった魔力を根こそぎ吸い取った。
かなり魔力を込めて強引に吸収したので、眩暈からかその場にへたり込んでしまった。まず一人。
と言っても、剣術士はもう鎧もあちこち破損しているし、先ほどの衝撃で意識も飛んでいるらしい。治癒術師のほうの心を折れば二人とも立ち向かっては来ないだろう。
通りすがり様に、倒れている弓術士に近づき、矢をへし折っておく。
……と思ったのだけど、非力なボクには無理だったので矢筒に《ルーズグラビティ》をかけて、反対側に投げておいた。
残るは治癒術師だけだ。
近づくボクを見て恐れつつ後ずさるのは、恐らくこちらに対する攻撃手段がないのだろう。
ゆっくりと近づき、《カーステンタクル》を唱える。
治癒術師の足元から、いくつか黒い木の幹とも蔦ともつかないような太くて硬いのに柔軟に蠢くものが這い出て来る。
治癒術師は足を絡め取られ、膝、腿とそれは巻き付きながら上に登っていく。
顔を青ざめさせながらも、何か言葉を投げかけようとしているようだが、口から洩れる声は最早言葉になっていない。
そうしているうちに、口元を塞がれてしまった。
こうなればもう魔法を唱えることは出来そうもない。
この人から魔力を吸収することはしない。
傷の手当が出来るのはこの人だけだろう。それに恐らく、帰るのにもこの人の魔力が必要そうだ。魔力を吸ったら面倒なことになるかもしれない。
「ねぇ。早く帰ってくれる? 質問は一切受け付けない」
「ん゛ー、ん゛ー!」
「それともぉ~、剣持ってた人みたいにぃ~、壁さんに思いっっっきり抱きしめてもらっちゃう? とーっても包容力に溢れてるからぁ、あなたの全身を包み込んでもらえるよ?」
魔法を解いた途端に《回復魔法》を使われると面倒だから、脅せるだけ脅しておこうと思ったのだけど、本気で泣きだしたからもういいかなと思った。
魔法を解除しようと思ったら、不意に周囲が明るくなった。
後ろから火球が迫っていたのだ。
しまった、魔力を全部吸収しておけば問題ないと思っていたけど、ポーションか何かで回復させて、反撃しに来たらしい。
などと咄嗟にめぐる思考を呑み込んでいると、
ボワンッ
と火球がかき消えた。
そこにはいつもボクの隣にいてくれた少女、スフレが立っていた。
「ウィンちゃん! スーは怒っています!」
「……わかってる」
「でも、アーちゃんを助けてくれたから、許しました!」
「……あはは」
スフレのこういうところが好きだ。
ボクにはない、真っ直ぐで、素直で、純粋で、明るくて、一緒に馬鹿なことをしてくれちゃうところが。いや最後のは欠点だろうか? でもそれすらも愛おしい。後で沢山謝ろう。もう引き返せないところまでやってしまった。巻き込んでしまった。
「ちょっと! あなたたち、何なの!? 人間よね! どうしてこんなところにいて、私たちの邪魔をするの!?」
スフレと話しているうちに、魔導師が近くに来て捲し立ててきた。
「ボクたちが何者かとかそんなことはどうだっていいだろう。どのみち、ボクたち二人にやられるようでは、君たちは“光剣ラスリゾーディア”を手にしたところで“混沌”を倒すことは出来ないよ。ま、そもそも君たちにその気はないみたいだけどね。その覚悟がない君たちに、ボクたちの友人の命を差し出すわけにはいかない。さっさと帰ってくれ。早くしないとその人たち、手遅れになるかもしれないよ」
ボクは治癒術師にかけていた魔法を解いた。
治癒術師と魔導師が一人ずつ抱えて、何とか集まったところで
「《テレポート》!」
帰還の魔法を唱えたのは魔導師だった。
……あぁ、あの魔導師が魔力を回復させる手段を持っていてよかった。
痛めつけた相手と、魔力が回復するまで一緒にいるなんて地獄過ぎるだろう。
今度から追い詰め方を考えないといけないな。
とか考えている場合ではなかった。
ボクたちは急いでアレクの元へ向かう。
「アーちゃん! アーちゃん! ウィンちゃん、大丈夫だよね!? 直るよね!?」
確かに、あの魔法を何発も口内にもらって生存しているかは疑わしかった。
が、魔法生物なら、極論、消滅さえしていなければ大丈夫なはず。
ボクは急いで《リターンステイト》を唱えた。
これは傷の状態よりも、傷を受けてどれだけ時間が経過しているかのほうが重要な魔法だ。その点、時間はさほど経っていない。
いつもなら簡単に直せる程度の経過時間だ。
だが、魔力が尽きてしまった。
ドレインしていたからほとんど万全の状態の魔力だったのに。
アレクの体が大きいから魔力の消耗が激しかったのだろうか。
ギリギリ直しきれたとも思えるけど、もしかしたら直しきれていないかもしれない。
そんな不安に駆られていると、
『……生きているのか。お主ら、よもや勇者を追い返したのではあるまいな』
「アーちゃん! よかったーっ! 無事だったんだね!」
『どうやら、無事になってしまっているようじゃな』
「えへへー、ウィンちゃんが直してくれたんだよっ♪」
『此度は礼は言わぬぞ。馬鹿な真似を……』
言われなくても、馬鹿なことをしたのはわかっている。
「いらないよそんなものは。それにボクは悪くない。あの勇者が悪いんだ。光剣を売っぱらって遊んで暮らすと言っていたよ。あんな見下げ果てた連中にくれてやるなんて、模造刀ですら惜しいよ。」
「ウィンちゃん、『覚悟がない君たちに、ボクたちの友人の命を差し出すわけにはいかない。』って言ってたもん、ねーっ!」
「うぅ……よく覚えていたね……まぁいい。つまりはそういうことだよ。死にたがりの君には悪いけどね。模造刀よりは価値があるということさ。もういいだろう。もしかしたらどこか直しきれてないかもしれないし、さっさと眠りについて回復に努めたまえよ。この万年寝坊助ドラゴン君」
『うむ……そうさせてもらおう。今日は疲れた』
そう言ってそのカーテンのように広い瞼を閉じて眠りにつくアレク。
勇者があんな馬鹿ばかりとは思わないが、アレクも勇者を見定めるには不足に思う。少し抜けているところがあるというか。
仕方がないのでボクも手伝ってやるか。
気持ちよさそうに眠るこいつの顔を見ていると、そんな気持ちになってくる。
ま、どうせもうお尋ね者だしね。
ふと視線を感じてスフレに目をやる。
「……なんだい、その顔。」
「ふふーん。ウィンちゃん、とっても優しい顔してたなーって」
「は、はーっ!? し て な い か ら ! ボクほどの仏頂面なんてそこら辺を探してもそう簡単には見つかるもんじゃないよ。きっと薄暗かったから見誤っただけだね。勘違いというやつさ。大体――」
それから、うんうん言いながら楽しそうに聞いていたスフレにたっぷり三十分ほどボクがするはずがない表情について解説した後、ボクらも程よい疲労感からアレクに寄りかかって眠ったのであった。
ここから数日空けてまた連日投稿になると思います。
書き溜めておきたかったんですけど、書き上がってるものを開くたびにより良い表現が浮かんで、ここ数日修正ばかりしていたせいで新しいお話に手が出なかったので...でもストックもなくなり、直すものもなくなったのでまたじゃんじゃん書いていきますー!応援よろしくです!