天井をぶち抜きたい。
空中ダンジョン【ドラグティカ】――
文字通り空中に浮かんでいるこのダンジョンにようやく辿り着き、最奥で待ち受けていたドラゴンとの戦いにもいよいよ決着がつこうとしていた。
『殺れ』
「なにを?」
『“光剣ラスリゾーディア”を欲して来たのだろう。我の生命が終わりを迎えるとき、ラスリゾーディアの封印は解かれる』
目の前のドラゴンはそう言った。
いや、言ったというのは少し違う。なぜなら声を発してはいない。直接脳に語り掛けてきているらしい。
自分を殺せと促すドラゴンに対してボクはこう言ってやる。
「じゃあいらない。」
『――なんだと?』
「ボクたちは勇者じゃなくてただの冒険者だから。ここへだって何があるのか見てみたくて来ただけだよ。確かにその剣を売れば莫大な財産を築けるかもしれないが、君の命を奪ってまで欲しいかと問われれば、全く以って要らない」
「ドラゴンさん、あなたはずっとここで剣を護り続けてきたんですよね? その結末が、倒されて武器を奪われるだけなんて悲しすぎます……」
ボクとは違う視点から理由を添えてくれたこの子はスフレ。天使だ。
いや実際には天使ではなく獣人だけど。なんでも、何世代も前の祖母がネコマタだったのだとか。
でもわかる。ネコマタはかわいいからね。そりゃ結婚したくなる人間もいて然るべきというものだ。
スフレは、少し明るめの髪と透き通るような水色の瞳、動きやすさ重視の布が控えめな装備と相まって、女のボクから見てもドキッとしてしまうかわいらしさだ。ボクなんて髪も黒、瞳も黒、ローブもブーツも黒の、黒黒尽くしだ。……装備、もうちょっと考えようかな。
ネコマタとしての血はだいぶ薄まっているはずのスフレの頭にはぴょっこりと猫のものらしき耳が。腰のあたりにはしっぽが揺らめいている。かわいい。
スフレの親御さんたちは普通の人間の姿をしていて、スフレだけが先祖返りのようなもので急に身体的特徴として表れたのだとか。
まぁそれ以外はちょっと力が強いくらいで普通の人間と大差ない。ボクにとって、ただ一人の頼れる旅仲間だ。
「まぁそれにさ。ボクたちには君の頭を切り落とすなんて到底無理な話だよ。見ての通り、ボクは呪術師でこっちは拳闘士。剣なんか持ってないし、持ってても扱えない。仮に剣を持っていたって君のその鋼のような鱗の上から斬りかかったところで、鼓膜を突き刺すような金属音を響かせることにしかならないだろうさ。これでわかったかい? この問答が無駄だということを」
『……可笑しな奴らだ。千年以上ここでこの剣を護ってきたが、ついに我を倒す者が現れたと思えば、まさかこの剣を放棄するとはな……』
「いろいろなモノを見て、聞いて食べて、それが出来るだけのお金が稼げればスーたちはそれで満足だもん、「「ねーっ!」」
『ふっ……もう好きにするが良い。お主ら、ここに来られたということは帰る手段も持ち合わせているのであろう? ここは魔物も断続的に湧いて出る故、もう帰るが良い』
なんとなくスフレを見ると目が合った。同じ気持ちなのだろう。
「ドラゴンさん、このダンジョンって動いてるでしょ?」
『そうじゃな』
「世界を旅するのにうってつけだなー」
『まさかお主ら、こんな場所に居つく気か』
確かに世界を見て回るという点ではアリだろう。
とはいえ正直、薄暗く、魔物がわんさか居るこのダンジョンに居つくのは、かなり危険だし不自由な点も多いだろう。だが……
「だってドラゴンさん、こんな場所に独りじゃ寂しいでしょう?」
スフレがこう言いだすのはわかっている。スフレがね。
『力持つ者が来るまでは眠っている故、考えたことはないな』
その通りなのだろう。
このダンジョンを制覇してここまで来られる人間が千年の間にどれだけいたのかはわからないが、きっとかなり暇だったでろうことは想像に難くない。
それでも“混沌”を倒すべく、自分を倒しに来る者が現れるのを待ち続ける。
だけど、今は魔法の研究や伝播も進んでテレポートを習得しているパーティも増えているはずだし、ここに来られる人間も増えたはず。
このドラゴンが倒される日もそう遠くはないのかもしれない。
だったら少しの間、こいつの話し相手になるくらいはしてあげてもいいのかな、と思う。
それに千年以上生きてるんだからそれなりに面白い話も聞けるかもしれない。
ずっとここに居るみたいだからあまり期待はできないが。……だとしても。
「まぁちょっと乗り物代わりにさせてもらうくらい、いいじゃないか。減るもんじゃないし。こんなに高い所から世界を眺める機会もなかなかないのさ。ボクたちは君たちと違って空を飛べないからね」
もっともらしい理由を並べて打診を図る。
ちらっと横に目を向けると、スフレがキラキラした目でこちらを見ている。ふふ。ご期待に沿えたようで何よりだ。
それからスフレは勢いよくドラゴンに向き直って、
「ということでドラゴンさん! 少しの間お邪魔させてもらってもいいですかっ?」
『……好きにするが良い。これは我の所有物というわけでもないのでな』
「やったー!」と喜ぶスフレはいつになく楽しそうだ。
大体いつでも楽しそうだが、ボクたちは一つ所に長期間滞在することはあまりなかった。
旅の間に友人とまで言えるほど現地の人と仲良くなることはそう多くない。
相手がドラゴンとはいえ、仲良くなれそうな相手が見つかったことがスフレは嬉しいのだろう。そんなスフレを見ているとボクも自然と頬が緩む。
「ドラゴンさん! 私はスフレっていいます! こちらは私の大好きなウィントちゃん! ドラゴンさんのお名前は?」
『名前……ないな。人々からは龍神と呼ばれていた』
「えっ! ドラゴンさん、神様なんですかっ!?」
『厳密にはドラゴンですらないのだ。魔素の塊、魔法生物とでも言うのか』
魔法生物。
なるほど、そういうことだったのか。
何らかの魔法で封印したとして、死んだら解除されるなんておかしな話だと思っていた。
恐らく剣を覆う“あれ”は封印の魔法なんかじゃなく、ただ長年蓄積した圧倒的な魔素で武器の周りを固めているだけなんだ。
脳内に直接語り掛けるようなことが出来たり、さっきの戦闘で使ってきたような多彩な魔法を使えるのも合点がいった。
そんな、魔素の塊で存在しているなんて、実は本当に神様なんじゃなかろうか。
「じゃあねー、スーが考えてあげるっ! うーんと、アレクサンダーでどうかな! 雷の魔法が得意みたいだったから!」
「龍神アレクサンダー。大仰だね」
「えーーーーっ! かっこいいよぉ! ねー、アーちゃん?」
『それは我のことか…… もう好きにしてくれ』
スフレの能天気さは神をも呆れさせた。
こうしてボクたちはここに住み着くことにしたのだ。




