第25話 記憶
ジークフリードは寝台の傍に座りフィーリアの手をそっと握る。
握ったフィーリアの手は温かく規則正しい呼吸をしている事にジークフリードは少し安堵し、フィーリアの手を握ったまま自分の頬へとあてた。
ジークフリードはフィーリアの顔を見てこのままフィーリアの意識が戻らなかったら…という恐怖に押し潰されそうになった。
もし、意識が戻ってもまた幼い頃のように記憶を失ってしまっているのだろうか、今回は自分の事すらも忘れてしまっているかもしれない。そんな不安が次々と思い浮かんでいく。
どれくらいの時間が過ぎたのだろうか…?もう既に日が傾いてきていた。何度かミアを含めてウェストン家の使用人から休憩をと言われていたがジークフリードはフィーリアの傍から離れなかった。その時、ぴくっと握っていたフィーリアの指先が動いたような気がした。
「フィー…?」
フィーリアの長い睫毛が揺れ藍色の瞳がゆっくりと見えた。
「フィー、気がついたのか?」
そんな焦ったジークフリードの声にフィーリアは目線を動かす。
「ジーク…?ここ…?」
「ああ…良かった……ここは、お前の私室だ。昨夜から今までずっと眠っていたんだ。」
この時の自分の安堵感は何に対してなのだろうかとジークフリードは感じた。
フィーリアの意識が戻った事に対してなのか、自分の名前を呼んでくれた事に対してなのか…様々な思いが綯交ぜになったように感じた。
「フィーリア様…よかった……」
「ミア。フィーリアの意識が戻ったと侯爵と侯爵夫人、それとレオンにも伝えてきてくれ。」
フィーリアの意識が戻り安堵しているミアへジークフリードは家族に伝えるように言う。
そして、意識が戻ったばかりのフィーリアの頬を撫でた。
「フィー、どこか痛む所などないか?」
「大丈夫よ……ジーク…あのね…」
「どうした?」
フィーリアはそっと自分の指先でジークフリードの左腕に触れた。
「怪我…大丈夫?」
「ああ。もう血も止まっているし何ともない。」
「ううん…違うの。昨夜の傷も心配だけど…もっと昔の…花の丘で負った傷の事…」
「え…?」
「ずっと……忘れていて…ごめんなさい…
私を守ってくれた事も。守ってくれた事で傷を負わせてしまった事も。
…結婚の約束も……。大切な二人の約束の思い出だったのに…」
ジークフリードは、フィーリアの言葉に胸がギュッと詰まるような感覚を覚えた。
「フィー…。お前に話さなければいけない事が沢山あるんだ。」
自分の左腕に触れていたフィーリアの手をジークフリードは握ると自分の口許に寄せた。
その後、ジョゼフは王宮へ出仕していて不在であったが、邸内に居たカトリーヌとレオンがすぐフィーリアの私室に来て、呼ばれた医師の診察でも身体には問題はないと言われた。
フィーリアの失くしていた幼い頃の記憶が戻ったようだとカトリーヌとレオンにも伝えジークフリードは一度ウェストン家の邸を後にした。
それから数日が経ち、フィーリアの体調もあれから特に変わった様子もなく過ごしていた時にジークフリードから先触れが届いた。
今日の午後、フィーリアに会いにウェストン家の邸を来訪したいとの事であった。
フィーリアは、自分が目覚めた時に思い詰めたような表情のジークフリードから『フィー…。お前に話さなければいけない事が沢山あるんだ。』と、言われた事を思い出していた。
もしかすると、今日その話をしに来てくれるのかもしれないと思った。
そして、またぼんやりと考え込む。
フィーリアは自分が忘れていた事…こんなに大切な事をどうして忘れてしまっていたのかと目が覚めたあの時からずっと考えていた。そして、忘れてしまった理由がなんとなくわかってきていた。
二人で結婚の約束を交わしたすぐ後に起こった事件。
先日の夜会の帰りのように、幼かった頃のあの日ジークフリードを狙う男達に二人で一緒に居た所を襲われた。二人ともまだ子どもで立ち向かうような力など殆んどなかった。だけども、ジークフリードは自分の身を呈してフィーリアの事を守ってくれたのだ。その際にジークフリードが負った傷の事を、あの日を思い出したフィーリアは鮮明に思い浮かんだ。ジークフリードの左腕から真っ赤な血が止めどなく流れ落ちていった状況を…。
ジークフリードが死んでしまうのではないかと思った恐怖…。
幼かったフィーリアにとってそれは物凄く恐怖を感じる出来事で、幼い自分は自分の心を守ろうとして記憶を失くしたのかもしれないと、フィーリアは結論付けた。
(私が約束の事を忘れてしまっていても、ジークは約束を守ってくれた…ちゃんと迎えにきてくれた…
それなのに、私はあんな態度をとっていてジークはどう感じていたのだろう…)
そんなジークフリードの想いの強さにフィーリアは堪らない気持ちになった。
そして、もう一つ気にかかる事があった。
夜会の帰りの襲撃の後もジークフリードは落ち着いた様子で男達は自分を狙ったと話していた。このような事が起こるのは自分が記憶を失くしていたあの日とこの間の二回だけではないのかもしれない…と、フィーリアは思った。
予定通りジークフリードは午後の早い時間にウェストン家を訪れた。騎士団の騎士服のままでの来訪で、仕事を終えて真っ直ぐ来てくれた事がわかった。
応接室にジークフリードを通す。顔を会わせるのはフィーリアが目覚めて以来である。ジークフリードはフィーリアの前のテーブルを挟んだ向かえ側の長椅子に座った。
お茶の給仕が済んだ後二人で居るのにも関わらずイアンが他の使用人を伴って応接室から出ていった事にフィーリアは少し疑問に思う。いつもなら男女二人きりになるのは良くないと誰かしら同席しているのにと…
「その後、変わりはないか?」
「ええ。全くもってこの通り元気よ?ジークももう大丈夫そうね。」
「浅い傷であったからな。」
「それで…今日来てくれたのは……先日言っていた私に話さなければいけない事を話してくれる為?」
「ああ。そのつもりで来た。たぶんお前が知らない事ばかりだと思う。しかし、フィーには全て知っておいてほしいと思った。その上で俺との婚約の事を自分自身で判断してほしい。」
フィーリアはジークフリードの言葉に不安を覚える。
「判断…って?」
「お前が俺の全てを知って、それでもまだ俺と生涯を共にしても良いと思ってくれるなら…と思うが…それが難しいというなら…婚約を解消する方向でという事だ。」
ジークフリードは苦しそうな表情でそうフィーリアに言った。
「なっ、何でそんな事を言うの!?そんな簡単に気持ちを変えられるものじゃないわ!」
「そうか…
俺は…この事をお前に話す事がずっと怖かった。この事を知ってフィーから距離を置かれたらと思うと話せずにいた…だから、お前に伝えずに根元を絶やせばいいんだと思っていた。だが、それも出来ず結局、お前をまた巻き込んだ。
狡いんだよ俺は…外堀を埋めてフィーの身動きを取れなくしてフィーが俺との約束を覚えていない事をわかっていながら婚約話を押し進めた。フィーの気持ちを聞くこともせずに…
どんな事をしてもフィーの事だけは手離したくはなかったんだ…」
フィーリアはジークフリードはずっと心も強い人だと思っていたが、目の前のジークフリードはフィーリアの前で弱音を見せたように感じた。
そして、ふいに先日の夜会でルークから言われた言葉を思い出す。
『あの方と結婚するという事は君もその面倒事を一緒に背負わなければいけないって事だから…』『君も同じように強いの?』『あの方を支えていけるだけ強い?』
(自分が強い人間だとは思わない…だけど、ジークの事を全部知りたいと思うし、私で構わないなら支えていきたいと思う。
だって…ずっと…ずっと大切な人だったの…それは、これからも…変わらないの…ジークが私に言えなかった事を聞いてもこの気持ちは変える事が出来ない自信もある。
もう…再会した頃のようにすれ違ったような関係には戻りたくない…)
「教えて?」
「フィー…?」
「ジークの事、全部教えて欲しい。私はジークの事を全部知りたいわ。」
ジークフリードは座っていた場所からフィーリアの隣に移動するとフィーリアの手を握った。フィーリアの心臓がトクンと波打つ。
「少し…長くなる話だ…俺を生んでくれた母上がまだ生きていた頃の話からになる。
フィーがまだ生まれていない頃からの話だ…」
それは…まだジークフリードが第二王子として王宮で過ごしていた頃に遡る───……
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