第2話 婚約
応接室で、頭の片隅にもここにいるとは思っていなかった人物を見てフィーリアは思考が停止した。
公爵家嫡男であるジークフリード・レイサレル。
成人した今は公爵家が所有している子爵の爵位を継ぎリトラル子爵とも名乗っている。
フィーリアの兄であるレオンと同い年で両家の領地も隣同士、王都にあるタウンハウスも敷地が隣り合うという事もあってジークフリードはレオンとフィーリアの幼馴染であり、幼い頃は頻繁にお互いの家を行来し、よく遊ぶ仲であった。
しかし、ジークフリードとレオンが寄宿学院へ入学した頃から疎遠になり始める。しかしまだ、この頃はフィーリアとジークフリードは手紙のやり取りをしていた。手紙のやり取りといっても日々の様子をしたためる程度ではあったが、ジークフリードが寄宿学院を首席で卒業した後に騎士団への入団が決まると、その頃から囁かれるようになったジークフリードのある噂をフィーリアは耳にし、ジークフリードへ手紙を送る事ができなくなったのだ。
その噂とは───……
『……騎士団で頭角を現している公爵家嫡男でありリトラル子爵のジークフリード・レイサレルには想い合う恋人がいる…普段は滅多に夜会に参加しない子爵が時々参加する夜会では必ずそのご令嬢とダンスを踊る姿はお似合いで…』という───
しかし、手紙を送らなくなってフィーリアは後悔した事もあった。昨年開戦した隣国との戦にジークフリードは騎士団に所属していた事もあり戦地へ赴く事になったのだ。会う事も手紙でやり取りする事もなくこのままジークフリードと二度と会えなくなってしまったらと、ずっと胸が苦しく不安な日々を過ごしていた。無事に帰戦した事を知ると心から安堵した。
ジークフリードの姿は最後に会った彼がまだ寄宿学院に通っていた頃とかなり変わっていた。
座っていてもわかるくらい背も高くなっている様子で、昔は華奢であった体格も騎士団に所属しているからなのか、がっしりと逞しくなっている事が服を着ていてもわかる。顔立ちも以前は丸みを帯びていた頬も絞まり男らしく端正な顔立ちになっていた。しかし、昔の面影の残る表情はあまり変わっていなかった。そして艶やかな黒髪にジークフリードの特徴とも言える金色と赤色のオッドアイを見てそこにいる人物がジークフリードだと久しぶりであったがフィーリアにはすぐわかった。
もう、ずっと会っていなかった幼馴染が何故か目の前にいる。その理由がフィーリアにはわからず困惑した。
扉の前で固まっているフィーリアに侯爵夫人である母親が声をかける。
「フィーリア、そんな所で立っていないでお座りなさい。」
「は、はい…」
(え…座るって…何処に?)
フィーリアはさらに悩む。
すでに応接室に用意してある一人掛け用の椅子には兄であるレオンが座っている。
何故かいつもなら置いてある筈の幾つかの一人掛け用の椅子が今日に限って見当たらない。
テーブルを挟んで置かれた二脚の長椅子…片方には父と母が…
そして、もう片方にはジークフリードが座っていた。
空いているスペースはジークフリードの隣しかないのだ。
そんなフィーリアの心の中を読んだのか兄のレオンはにこやかな笑みを浮かべながらフィーリアに言葉を発した。
「フィー。座る場所ならジークの隣が空いているじゃないか?」
「え…あ、はい…」
ここまで言われてしまうとこのまま座らずにいる方が失礼にあたってしまう。心を決めてフィーリアはジークフリードのもとへ足を進め、礼儀として淑女の礼をし声をかけた。
「リトラル子爵様お久しぶりでございます。お隣、失礼して構いませんか?」
「……ああ…」
「ありがとうございます。失礼致します。」
そんなフィーリアにジークフリードは目を向けると、素っ気ない態度で視線を元に戻した。
フィーリアが座った後、部屋の端に控えていた侍女がフィーリアの分のお茶をフィーリアの前へ置くと応接室から退出し、応接室にはフィーリアの家族とジークフリードだけとなった。
なかなか話が始まらないので、フィーリアは用意されたお茶を一口、口に含むと柔らかなお茶の甘さが口内に広がる。
(…あ、美味しい。私の好きなお茶だわ…)
と、今の状況にお茶の味もわからなくなると思いきや案外自分は自分が思っているより冷静なのかもしれないなどと、思考が現実逃避しつつあったフィーリアに侯爵である父が放った言葉が爆弾のように炸裂した。
「フィーリア。今日お前とレイサレル公爵家嫡男でリトラル子爵でもあるジークフリード殿との婚約が決まった。」
お茶を噴き出さなかった自分を褒めてもらいたいと、フィーリアは思った。
いや、あまりに衝撃的すぎる言葉に理解不能で反応出来なかったとも言えた。
「こ、婚約…ですか?誰と…?」
「誰って、フィーの隣に座っているジークだよ。」
兄のレオンがやけに面白そうな口調で返してくる。
フィーリアは、ジークフリードを含めてこの場にいる人達の様子を見る限り、この事を知らなかったのは自分だけなのだと悟ったが、突然の婚約話に混乱を隠せなかった。
貴族の娘に生まれたからには政略結婚もあると覚悟はしていたフィーリアだったが、その相手がジークフリードだった事に納得がいかなかった。
(どうして相手がジークなの?
……だって、ジークには…想い合う恋人がいるはずでしょう…?)
何も言葉を発する事の出来ないフィーリアに母親である侯爵夫人が声をかける。
「フィーリア、ジークフリード様とお逢いするのは久しぶりでしょう?久しぶりにお庭をご案内差し上げて少しお話なさったらどうかしら?」
「えっ!?で、でも…」
「フィーリア。淑女としての言葉遣いはどうしたのかしら?
くれぐれもジークフリード様に失礼のない所作でね?」
有無を言わせぬ母の言葉に何もフィーリアは言い返せなく、ジークフリードを伺い見ると声をかけた。
「リトラル子爵様…お時間が大丈夫でしたら…少し我が家の庭をご案内致します…」
フィーリアの言葉にジークフリードは一つ溜め息をつくと、素っ気ない返事を返した。
「………わかった。」
(今、溜め息をついた…ジークもこの婚約話に乗り気じゃないんじゃない…
じゃあ、なんで了承したのよ…政略結婚といってもレイサレル家なら別にウェストン家と婚姻を結ばなくたっていいじゃない…
なんで…嫌なのに…私と婚約するの?)
ジークフリードの態度にフィーリアの気持ちは悔しさと悲しさばかりが浮かんできた。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
そして、1話目でまさかのブックマークを付けて下さった方や評価を下さった方がいらした事にとても感謝です!驚きと嬉しさでドキドキでした。ありがとうございます!
余談ですが…
キャラクターの姿のおさらい。
フィーリア・ウェストン :藍色の瞳、プラチナブロンドで腰までの長さの直毛で馬術や武術をする時は結い上げ、普段は下ろしている。
ジークフリード・レイサレル :右目が赤・左目が金のオッドアイ、黒髪で前髪は下し後ろ髪は縛れる程長くはない。
レオン・ウェストン :空色の瞳、ハニーブロンドで前髪は下し後ろ髪は少し長めで縛ったり下ろしたり…
ジークとレオンは夜会の時は前髪も後ろへ撫で付けている。
貴族の嗜みなのでしょうか?
な、容貌でした。
作者の覚書のような形で書かせて頂きました