第七話:神に愛されし者
何時間とも思える時が過ぎた。
いや、もしかしたら一瞬だったのかもしれない。というか、多分一瞬のことなのだろう。
けれど私は、その一瞬の余韻に浸るように、呆然とその場にへたりこんでいた。
もし私が死んだとしても、この感傷だけは忘れないだろう。
心の底から湧くような喜びを。
私は、きっと一生、心の奥に潜めて生きていく。
「……成功、したかな?」
不安そうな神様の声に、はっとなって頭を振る。
いけない、しっかりしなくては。
これからは誰にも頼らずに生きていかねばならないのだから。
「わかりませんけど、何か変わった様には感じません」
とりあえず、思ったことを正直に告げる。
不安に思わせてしまったかもしれないので、多分成功したので大丈夫だ、とも言う。
神様は、ほっとした様に息をついた。
「よかった。人間に施しを与えるのは初めてだったからね、不安だったんだ」
「初めて、ですか」
「僕は執着がないことで有名だったからね」
にこ、神様が笑う。
怖い怖い。何も言ってないのに怖い。
「さてと、恩恵も与えた事だし、早速異世界へ行こうか」
「あ、その事なんですけど、ちょっと待ってください」
異世界に行く前に決めておくことがある。
「最初に異世界へ行くのは、私だけにしてください」
これだけは、絶対に譲れない。
神様は思いっきり顔を顰めた。こんなに顔を歪めても綺麗なんだから、美形は得だ。
「……どうしてだい?」
「私の自立のためです」
多分神様は、私のことを物凄く甘やかす。
私が願ったことならなんでもしてしまうだうし、誰かの手に掛かりそうなら私を助けてくれるだろう。
私が一声かけるだけで、なんでもこの人はしてしまうのだ。
だから、始めの内は一緒にいて欲しくない。
私の心は、甘えられる相手がいるのに甘えずに生きて行く、なんてことはできない弱いものだから。
神様が近くにいたら、きっと際限なく甘えてしまう。
もしそれが、家族とかなら良い。親友でも良い。
けれど、神様だけは駄目だ。
私を殺した、神様は。
端的に言えば、私はまだ神様を信用できていないのだ。
私のために、無害な人を殺してしまうかもしれない。
神様が望む私じゃなくなったら、殺されてしまうかもしれない。
そういう恐怖が、いつだって私に付き纏う。
だから、まだ駄目。
いつか私が、貴方に甘えずに生きられる様になったら。貴方を信用できる様になったら。
また。会いに来てください。
話し終えると、神様は神妙に頷いて、言う。
「却下」
「えっ」
思わず声が漏れる。
驚いた、貴方の事が信用できないからついてこないで下さい、と言って却下されるとは思わなかった。
「僕はね、退屈な日々を何万年……ひょっとしたら何億年も過ごして来たんだ。ようやく、興味の持てる誰かに出会った。出会ってから、また十年と少し経った。僕はもう、あの時の様な、待ち焦がれるだけの辛さは味わいたくない」
えっと、会った事……。ありましたっけ、いつ?
まぁいい、それは置いといて。
私は神様がいると困るのだ、なんとかここにいてもらわねば。
「神様」
「……何だい」
「甘えさせて、くれませんか」
神様は、甘えられるのに滅法弱い。
何故かは知らないけれど、甘えられるのも、頼られるのも大好きな様だ。まぁ大方、そういう性質なのだろうけれど。
誰かに頼られることに存在意義を感じる、みたいな。
だから、そこを突く。
「私は、本当はこんな事を言える立場ではないんです。だって、私に恩恵をくれたのも、生き返らせてくれたのも、この場の主導権を握っているのも、全て神様なんですから」
「……」
「でも、私は貴方に甘えて生きたくはありません。これは私の我が儘です」
「だから? 君の甘えを受け入れろと? 君が、将来誰にも甘えずに生きられる様に」
「そういう事です」
「やっぱり却下」
「何故に?!」
大声をあげて抗議する少女を見て、神は不機嫌そうに頰を膨らます。
少女は何もわかってない。
甘えられたいのは何故? 頼られたいのは何故?
そういう性質なんだろう、とでも思っているのだろうか。
あの時、僕を救ってくれた人だから。
僕が愛した人だから。
頼られたい、信じられたい。願わくば、愛して欲しい。
彼女は、酷く不安定だ。
無防備な割に警戒心ばかり強い。
信用しない人には甘えない。でも、信用しなくても助けてはあげる。
人を惹きつける癖に、自分は甘えないのだからよりタチが悪い。
彼女が甘えるのは、信頼の証だと。
彼女自身でさえ、気付いていないのだろう。
「あの、どうすればいいですか……」
ほら、またこんな事を言う。
甘えないためにはどうすればいいのか聞くなんて、聞いたこともない。
「さぁね。僕に甘えて生きればいいんじゃない?」
そう言うと、少女は嫌そうに首を振った。
僕は君に助けられたのに、僕が甘やかすのは拒否するのか。
「……神様にそうされるくらいなら、」
「ここで死ぬって? 君の生死は僕が握ってるんだよ、人一人操るなんて造作もない」
そう言うと、ぐっと言葉に詰まる彼女。
困った様に眉を下げるが、それでも譲らない。
これは僕の我儘で、君の甘えだから。
「……お願いします」
困惑の末に彼女が出したのは、あまりにも弱々しい懇願だった。
媚びることも甘えることも知らない彼女は、こんな風でしか頼れなかったのだろう。
「及第点、かな」
ここで僕は彼女の側を離れたくはない。
けれど、無理やりついて行ったら、それこそ一生警戒されて終わりだ。それはよろしくない。
だから、ここが妥協点だ。これで彼女は、甘え方を知れただろう。僕相手なら、少しだけ甘えるのが楽になっただろう。
ここから少しずつ慣れさせていかなければ。
「全く、君は変に物分りが良くて、その割に他者に何も求めないんだから。君のその性質の所為で、こんな面倒なことになっているんだよ、わかってる?」
「えぇ……。それを攫った側から言われても」
「黙って」
ぴしゃりと言って少女を黙らせる。納得のいかなそうな顔をしているが、このぐらい理不尽じゃないとこの子は引き下がらない。
一度伸びをして深呼吸。
こんなに大規模な転移魔法を使うのは久々だ。失敗しないといいけれど。
「《世界は廻り》《亡き少女は蘇る》」
ごめんなさい、と誰にともなく呟く。
それは、少女の親友のあの子であったり、少女の家族であったり。
彼女に助けられ、愛して愛された人々に向けた言葉だった。
「《受け入れよ》《魂を》《神の想いを》」
彼女を奪ってしまってごめんなさい。
彼女を殺してしまってごめんなさい。
これから、僕が彼女を幸せにするから。
「《異世界転生》」
ぶわ、と少女の真下に魔法陣が現れる。
青い輝きに包まれ、少女は溶ける様に消えていく。
透明になっていく少女は、僕に何事かを告げようとした様だけれど、もう声が出ないらしい。唇を読むと、ありがとう、と僕に告げている様だった。
全く、お人好しすぎる。殺してここまで連れてきてしまったのは僕だっていうのに。
もう少しだけ、お節介を焼きたくなってしまったじゃあないか。
「《愛を》」
短く詠唱する。これで、最後だ。
思う存分楽しんできてくれよ?
『異世界の放浪者[???]に、称号【神に愛されし者】が追加されました』
なぜ神様を辞めたのに神様の様なことができるかというと、ここがまだ神域の中であるため、辛うじて神の技を使えるからです。
それでも本当に辛うじて、なので、少女を異世界へ飛ばすなどの作業は、魔法を使いました。