第7話 移り変わった体
第1章 求めるもの求められるもの
第7話 移り変わった体
颯太はランニング後、マリアさんに連れられミスターSの元に行き、儀式という行事をしていた。
あの後の結末はもちろん知っていた。
親父は一週間ほど警察からの事情聴取を受け、またいつも通り酒に溺れ始めた。
鈴を襲うことはなくなったものの......警察は本当に役立たずだ。あんなやつ牢屋に一生閉じ込めてやってほしい。
それでも、親父がいない一週間はとても幸せだった。隣の家の夫妻が手厚くフォローしてくれて、あの時初めて家族の温かさと言うものを兄妹共に味わい尽くしたのだった。
重たい瞼を開くと、頭のある方側から太陽光が鳥柄のガラス越しに目を刺した。
長い間眠ていた気がする。夢の短さに反した体の重さがそう感じさせていた。
日の傾きを見ると、そんなに時間は経っていないようだけれど。
ゆっくりと立てた肘を支えに上半身を起こした。
すると自分の体の上には、眠る前にはなかった大きなバスタオルが体全体を隠すようにあった。
なぜなら全裸だった。制服はどこだろう。
きょろきょろしていると、自分が入り口から見て右側の寝台に寝ていたことに気づいた。
ということは日の傾きは反対方向、もう夕方か。
右を見ると、床に座って読書をしていたミスターSがちょうど顔を上げた。
「おぉ、気分はどうじゃ?」
「頭はクリアだけれど、体が重たい」
「そうかい。なら儀式は無事成功じゃな」
そう言って、護衛者の制服を俺に渡してきた。
全体的に白を基調とした明るくきっちりした服は、海上自衛隊を連想させなくもない。
着慣れないが、セーラー服じゃないし、何より全裸よりはましだ。
さっと着ておいた。見た目の割に動きやすい。
相変わらず最近は変な夢ばっかり見る。
今回はいつも以上に現実的だった。
あれが本当の過去だったら、妹の言葉は真実だっただろう。
嘘だったとしても、目の前で助かったということが見れて良かった。
終わったことに対して、妹の死に対して、頭につっかえていたものを打ち切った。
夢のことが儀式と関係があるか聞いてみた。
「あぁ。まぁ過去を断ち切って体を作り変える儀式じゃからな」
なら幻想だったのだろう。それでもいい。
さっきからどこを向いているのだろう?
じいさんの視線の先が気になる。
じっと見ている寝台の方を見ると、制服姿の俺がいた。
急いで自分の姿を確認したかった。
服を着た時、特に違和感は無かった。
目線はいつも通りの高さだし、脚や腕の毛の量や陰茎の長さ大きさも以前と変わらない。
髪を触っても生まれつきの硬質さは残っていて、顔を触っても毎朝の洗顔の感覚を思い出させる形だった。
「これどういうこと?」
「肉体の複製じゃな」
続けてこう言った。
「君の呪いの1つは以前推測した通りの、"人間関係に真剣になるほど双方が不幸な末路を取る"とぉいうやつじゃが、それは肉体に取り付いた先天的なものでな。他の理由も含め、取り除くにはこの方法が最も良いのじゃ」
「体は元と同じなのか?」
「元の体をベースに、この世界仕様にしたんじゃ。君の魂をその体に移り替え入れた。魂と記憶は大きな線で繋がっておる。それから、筋肉が少し少なめな箇所は付け足しておいたたのじゃが、よいかの?」
終わってから言われてもな。
確かに走ってばかりで腕立て伏せをサボっていたことは認めるし助かる。
これから就く仕事上、必要になると思われて気を使ってくれたのだろう。
自分の元の体を眺めながら、全身を動かしてみた。
動きやすさから体の軽さを実感しながらも、慣れていないという点で重たさも感じる。
早く慣れさせるためにランニングの距離を伸ばそうと考えた。
これで俺も魔法を使えるのかとふと思い、両手を全力で広げ前に突き出し、ありもしない気を集中させてみた。
結果は体にも目の前にも変化は起こらず、建物内はより静寂を極めた。
ニヤニヤしているじいさんに質問してみた。
「魔法ってどう使うの?」
「マニュアルがあるわけでもないし、教科書の内容もわしは分からんからなぁ」
「どんな感覚かだけでも」
「感覚ならば、水と粘土を混ぜたものを心臓から生成して、体の中で永久機関のエネルギーとして循環させるような感じじゃな」
「やってみる」
こういう感覚の教え方は助かる。
人によって感じ方が違うから感想も変わる。
けれど、じいさんは分かる単語で話してくれたし、なにより気に入った。
言われた通りにするために、左右の手のひらを向き合わせ少し空間を開けて目をつぶった。
イメージしてみたところ、変化はなかった。
「そりゃそうじゃよ。まだ魔法覚醒の宝石に触れていないのじゃから」
「何それ?」
「それに触れないとその空っぽの体じゃ魔法も翼も未来はないぞぉ」
なら先に言ってほしい。
出来立ての体なわけね。
「魔法覚醒の宝石というのにいずれ触ることが出来るといいな」
「明日じゃな。ブリッツの玄関口での。その後、訓練の始まりという流れが自然じゃ」
魔法の訓練もあるのか。初めて習う科目は初めが肝心。
やる前から憂うことなく予習復習を欠かさなければ何とかなるだろう。
呪いがもう1つあるかのような言い草が気になったので聞いてみた。
「あぁ、こんなパターンの人間は初めてじゃよ」
「それはよかった?」
「良いか良くないかはお主の生き様や性格やこれから次第よのぉ」
「勿体振らずに言ってくれ」
もしかして俺自身にまだ残っているのか?
体を入れ替えれば快活する話ではないのか。
「後天的で1番目である君の魂に根付いたものでな。我々導者にもどうにもできん。取り除き方がイマイチ分からんのじゃ。解決は君の意識次第かもしれんの」
「だから、どんな呪いなのかを言ってほしい」
少し腹が立ったように言ってしまった。遠慮なく言ってほしい。
「性別を考慮した視線や意識から逸らされる呪いじゃ」
嬉しくも悲しくもなく、この時はただ俺らしく原因は何なのだろうと記憶を漁っていた。
「原因ではなく理由は何?」
「さっき後天的と言ったじゃろ? わしはそこの寝転がっておる呪いと魂の2つに関係があると考えておる。君は異性に対して何か妙な意識を持つような事件があったじゃろ」
じいさんも後天的な呪いは知らなかったようだが、流石に俺の過去は調べているようである。
原因は何か。何があったかと言えば2つはあった。
「小さい頃に義母にレイプされたことと、生きがいの妹が死んだ。取り上げるとしたらこの2つかな」
かといって、どちらの事柄にも根に持つことは既に止めていて、忘れようとしても忘れられないから、意識をせず記憶にも入れず集中力を別のところに置くように心がけている。
付け加えて言うと、別に俺は異性が嫌いではない。
男に生まれた以上、生理現象もあるし、美しい女性を目に留めると良く思う。
何がいけないのかと考え始めると、そもそも魂を構成している元素の種類から調べ始める必要がありそう。
目に見えない概念のようなものの話になってしまうならば考えの余地なく俺の思考の領域を超越しているので、これからどうするかを考えることにした。
その手のプロであるミスターS様が知らないことは俺には分からないだろうからね。
後天の呪いによる影響で良し悪しの点を考えたところ、バランスは良かった。
良い点は、男女批判をする視野の狭い私的な感想を主張する面倒な人間から無視されるということ。
それからなるべく平等な視点のもとに居られるということだろうか。
まあそもそも男女平等なんて不可能。役割が違うのだから。
そう考えると、新しい視点に居られるというのは面白いのかも。
悪い点は、この世界の女性と恋愛が出来ないかもしれないということ。
子孫繁栄は流石に難しいことだろうが、これは別に構わないかと考えている。
子を親に見せるという行事は俺にとっては皆無であるとともに、特別子どもが好きというわけでもないからだ。
そもそも、意識次第で治るかもしれないから、これから男女に関わらず色んな人と関わることにしよう。
護衛者になると嫌でも関わることになるだろうだけれど、それで呪いが悪化するなんてことになったらどうしようもない。
颯太は、自分に引っかかった重りの浮かせ方より上手く振り回す方法を考えようと思った。
学校の制服姿の俺を触ってみると、まだ少し温かかった。
薄い胸板の左の方を触り、心臓が動いていないことを確認した。
随分と間抜けな顔で寝ていやがる。
俺の顔じゃなきゃ水性ペンで値段を書いているくらいだ。
これが俺の顔か。鏡で見るのとは随分雰囲気が違う。
お疲れさん。心の底から心の底で呟いた。
楽しかったこと、辛かったこと、妹の死、空虚な自分、お世話になった人たち。
地球であったことをたくさん思い出した。
そんな記憶は今、移り変わった体の脳にある。
けれど体験した体はこの目の前にある体。年齢不相応に疲れた体。
細いながらも俺を守った両腕、鍛錬を絶やさなかった両足。
最後まで消えることのなかった瓶で殴られた傷跡、妹に軽くキスされた右頬。
死んだ母の遺伝を受け継いだのだろう剛毛な髪の毛。
嫌いだった自分のことも、対面して客観視すると考え方が変わってくる。
「これで全部お別れなんだな」
真の意味で以前の自分と今の自分を切り離した気になった。
しんみりしていると言いたげなじいさんが追加した。
「まだじゃな」
「まだ?」
「そこに寝ている死体もどきを地球の1番目の世界に戻す仕事があったの」
必要性や理由がわからなかったので黙っていると、じいさんは続けてこう言った。
「以前、全部の世界を預かっているという話をしたじゃろ?」
「うん。呪いによる運命の縛りが強くて10個の世界の相互作用がどうのとか」
「"あの止めた時空間"以降の1番目の世界に君の体を戻し、10体の君の運命力の分散を行うんじゃ」
「オリジナルである1番目の俺がいなくなると10体全部死ぬのだったかな」
「全ての世界は依存しあっているからの」
にしても前世界の俺が突然死んだところで何なのだろう。
生まれ変わった俺にとってはどうでもいい事なのだが、このじいさんがそうしなければならないと言い張るので、専門外の知識もあるのだと配慮して従っておいた。
以前言っていた地球の平行線の世界について、主観ではあるが粗く理解できたような気がする。
この考え方と言い草だと、今地球は昨日の4時50分で止まったままなのだろう。
呑気に世界止めていてもいいのだろうか?
「導者の特権よのぉ!」
「考えを読むな!」
それに死体を元の世界に戻すとなると、死因は何にするのだろう。
他人に迷惑を負わせない方法としては、窒息か首つりかテクノブレイクか。
自殺は確定だとすると、場所は当然自室だな。
でも匂いで気づかれるまで近所迷惑になるのもな。
どんな死に方をしても人に迷惑を負わせてしまうのか。
忘れていた。海に沈められると誰にも見つからないな。
今考えた死因はどうも納得がいかないと難しい顔をしていると、じいさんに一言添えられた。
「君はこれからどんな風に生きたいかい?」
これからのことを考える。
平凡に暮らしてのんびり日向を浴びることができるならいい。
以前は平たさが1番だと主張していた。
もしも、護衛者の仕事をしながらでもカフェでも経営出来るなら。
もしも、魔法がとても上手でその教師になれるなら。
もしも、翼を持つことが出来るなら。
そんな夢を持ってもいいのだろうか。
護衛者の仕事は重いとマリアさんに忠告された。
けれど、もっと欲を言ってもいいのだとすれば。
今までの我慢をもう押さえなくてもいいのかもしれない。
今の俺は中身が空っぽな独り身だ。
何をしても俺の責任だ。
邪魔になるものは過去の記憶、ならば。
「元の体はどのように処理するの?」
「君が決めていいぞぉ」
「わかった。じゃあ死体も残らないくらい派手な死因をお願いする」
「りょーかい」
俺は過去を切り捨て振り向かずに生きていく。
平凡な暮らしを獲得した後は、夢を叶えたい。
颯太の目標は少しだけ変化したのだった。
教会らしき建物から出ていく前に、護衛者の地図について聞いてみた。
「じいさんは護衛者が持っていた、負を探知するあれ、どういう仕組みか知っているの?」
「あれは導者が管理しちょるトレードペーパーとの契約で探知出来るってわけじゃな」
「初めて聞いた言葉。恐らくこっちの世界特有の何かだろうけど」
「そうじゃな。大概のトレードペーパー通称トレペは、人間がモンスターを倒した際に、その報酬として金を出力するものじゃ。それ以外にもトレードするものは色々種類があるぞぉ」
「モンスター狩りとかあるのか」
「トレペのやり取りのほとんどはブロード大陸で行われとる」
名前から察すると、交換契約の紙だと考えていいだろう。
昨日見た導者の地図の分厚さから想像すると、トレペは薄い半透明用紙ではないだろうな。
じいさんは続けて言った。
「護衛者が持っておる地図には、護衛者としての役割を果たす代わりに人々の危険を探知することが出来るという契約がなされてんじゃ」
トレペといっても色んな種類がありそうだ。
コレクションしたいと思ったが、そもそも天界ではモンスターらしきモノ達はペット扱いされているし、モンスター狩りなんて職業なんて無さそう。
自分の武器になるものがあるかもしれない。今度ドルトンにでも聞いてみよう。
そもそも地上の人はモンスターが悪いものだと決めて倒しているのだとすれば、モンスターとはなんだ。
トレペに期待を膨らましていたところで、衝撃的な聞き間違いをしたような気がしたため、質問した。
「導者がトレペを管理していると言っていたけれど、護衛者の地図について言ったことだよね?」
「ん? それに限らずじゃよ? この世界のトレペは全てわしら導者が扱っておる」
だったらモンスターも護衛者も導者の支配下じゃないか。
もしかしたら本当に目の前にいるじいさんが神なのかもしれない。
もしかして俺だけでなく世界全体をこのじいさんに操られていたりして。
今度こそ帰ろうと思い外に出ると、もうすぐ夜になる時間だった。
冬の夜は早い。平和な天界だとしても、木々の間からモンスターが襲ってくるかもしれない。
迎えに来たマリアさんを待たせず早く帰ろう。
「ソウタさん、顔がすっきりしましたね」
上手い返しを思いつかなかったから、気を抜いて笑っておいた。