第6話 儀式の記憶
第1章 求めるもの求められるもの
第6話 儀式の記憶
颯太は大通りの市場探検後、食堂でドルと河渕と護衛者について話した。
朝5時ちょうど。
持ってきた安い電子時計がリズムよく鳴り、2ループ目が鳴りそうなタイミングでスイッチを切った。
早い時間に起きた理由は、勿論ランニングである。
ジャージに着替え、準備体操をしてから階段を駆け下りた。
この世界にも四季があるようだが、ランニングの際はそれに関係なく年中長袖長ズボンにしている。
理由は単純。汗をかきたいからである。
5階まで降りると、河渕さんとばったり会った。
「おっ!おはよう、颯太」
「おはようございます、河渕さん」
「走るのか?」
「はい、敷地外に出てもいいんですよね?」
「全然問題ないぜ」
「河渕さんはどちらへ行くのですか?」
「おりゃ素振りだ」
河渕さんは、護衛者のシンボルマークの翼が小さく添えられた運動服を着ていて、右手には片手剣を持っていた。
「それ本物ですか?」
「そうだな。颯太も明日から扱うと思うぜ。なんせ仕事の半分は武力行使だからな」
「天界は平和ですけどね」
「案外何もないことはないぞ。昨日は運搬車同士のトラブルがあったしな」
「それ以前に何かあったのはいつですか?」
「んー。4か月前か」
「平和ですね」
「平和だな」
けれど筋トレや自主トレーニングに無駄はない。
強さの維持や上昇を実感し、充実感を得るとともに、脳の無意識領域にイメージトレーニングを施すことが出来る。
体を動かし鍛えることは、自分の成長を一番自覚しやすい方法である。
俺も足ばっかりじゃなく腕も鍛えないとだな。
河渕さんとは寮の出口でお別れになった。
「じゃあ俺は訓練場の方に行くから、気をつけな!」
「はい、河渕さんもお気をつけて」
お気をつけて。このフレーズがどうもおかしくて、2人とも変な笑いをこぼした。
ランニングコースは昨日の探検で見たコースだ。
大体5万歩分くらい。走る際の歩幅が大体1mだとすると5km。
実際には俺の歩幅は走ると1.3mほどである。
少々曲がり角が多いが、景色が変わってこれはこれで楽しい。
景色に飽きたら別のコースを走ればいい。
舗装されていない道を走るのもまたよし。
あの独特の雲の感触は足腰を鍛えるのにぴったりだと思う。
店はまだ開いておらず、市場は前日までの食べ物の香りが充満しいる。
空腹をより刺激し朝食を求めてスピードを早くする。
肉を焼くにおい。朝から反則だなこれは。
通りがかった人には軽く笑顔であいさつする。
しばらくこのコースを走るつもりなので警戒心を解くためには、このちょっとした挨拶の継続が必要だ。
寮に戻って、昨日入らなかった大浴場に入り、でかい風呂を独占した。
こちらにも風呂があってよかった。
娯楽が無い分、熱いお湯がこれからの楽しみだろう。
かといって以前は色んな娯楽に手を付けていたわけではない。
少なくとも妹がいなくなってからは、読書ぐらいだろう。
それ以前は、いろんな場所へ行ったか。
だめだ、風呂の時ぐらいは無心になろう。
風呂から出たころには6時になっていて、1階に少しずつ人が増えてきた。
大体の人が食堂か大浴場に向かっている。
朝練から帰ってきた河渕さんも大浴場に向かっていた。
人が混むことはないだろうが、一応邪魔にならないよう朝飯をさっさと胃に突っ込み、部屋に戻った。
特にやることもなかったので、ドストエフスキーの初恋を読んで時間をつぶすことにした。
7時半頃、部屋のドアがノックされた。
「颯太、マリア嬢が呼び出しに来てるみたいだぞ!」
「承知しました!」
同じ階のおっちゃんの声だろう。
ドアがやたら分厚いので、ドア越しには必要以上に声を出す必要がある。
壁も分厚いみたいだし、ここの耐久力は強すぎる気がする。
迅速かつ丁寧に身なりを整えた。
ここでの洗濯は、担当の人に渡すと半日で戻ってくる便利仕様。
今日も昨日と同様制服で出かけることにした。
服に困ったら制服、という習慣は私服を着なくなってしまう。
お金が入ったらいい感じの服を探しに行こうと考えた。
マリアさんは寮入り口で数人の男性に囲まれ話していた。
マリアさんが既婚者であることが知られているからか、皆かなり友人感覚みたい。
いや、卑しい目をしていないのは、元々分け隔てなくフレンドリーに話す人ばかりだからだろう。
にしても若干引き気味なリーナさん、何を話していたんだ?
「おはようございますマリアさん」
「あっ、おはようございます、ソウタさん!」
「おっ、ちっこいのじゃん!」
「よう!小さいの!」
「元気かちびっこ!」
「はいどうもちっこいのです」
180以上のガタイの良い男からすれば、170の細いやつは小さく見えるか。
特にいら立つ理由もないし、むしろ話しかけられるだけで良い。
まだ護衛者になっていないのにこの距離感だからな。
「マリアさん、ご用件はあれですか?」
「はい、少しだけ遠くに行きます。さっそく行きましょう」
「はい」
「みなさんお元気で。」
「「「おっす!マリア嬢いってらっしゃ!」」」
また苦笑いをするリーナさん。なるほどな。
正門側から2人で出ていくと、例のごとく護衛者1人とリャマ車が止まっていた。
移動時間は現在およそ1時間弱。
方向は、便宜的に元世界と繋がった扉を南、王宮敷地が中心の少し北東寄りだとすると、西の方である。
緑が多く、というかほぼ森である。
なぜほぼと言っているかというと、林というほどスカスカではないし、森というほど茂ってもいない。
茂っていないと判断した理由は、木々の隙間から入ってくる光が森より眩しかったからだ。
それにこうして揺れなく木々の間を縫っているし。
今日は天気が一段と良い。冬の寒さと太陽の熱さが体の内外の温度を不安定にさせている感じが心地よい。
マリアさんは、薄手の割に平気そうだ。カイロを渡す必要は無いみたい。
少し経つと、教会のような建物が木々を押しのけて静かに立っている姿を見つけた。
頂上や角が丸っこく灰色の建物で、木々と相まって未来の建物だけここに降り立ったような異質感を漂わせている。
同時に、リャマ車と護衛者を置いていき、マリアさんと教会の扉をゆっくり開いた。
内装のカラフルなガラス張りよりも、出待ちしていたミスターSことおじいさんに目が奪われた。
「どうも」
「よぉ颯太、10日ぶりじゃなぁ!」
「ミスターS、ソウタさんにとっては昨日ぶりですよ」
「おぉすまんすまん、遠くに行ってたからのぉ。んでこっちでの生活はどうじゃ?」
10日って時間間隔ひどいな。導者というのはそういうものなのだろうけど。
感想を言うほど暮らしていないし、もしかしてまだボケの続きをしているのだろうか。
その線ではなく、不具合はないかという問いだろう。
こういう時は、どんな人に聞かれても大丈夫と言っていればいい。
その言葉を相手も望んでいるからな。
「今のところ問題はない」
「ほんとぉかぁ?」
「そりゃじいさんを見つけてすぐに、元世界にある欲しいものを言わない位には大丈夫」
「なら"不安"なことはあるようじゃな。言ってみ?」
「......。護衛者の仕事が面倒だ」
「あっはっはっはっは」
とっさに以前言われたことを思い出した。
言い分の筋にできると思ったのだが、やっぱこの人変に鋭い。
別に隠していたわけではないが、嬉しさや悲しさや不安をわざわざ言う必要がないと思ったのだ。まあいいや。
「やる前から憂うのは程々になぁ、わしがこうしているように、あの仕事にゃ面倒さの対価があるから安心せい」
給料が良いのだろう。
「言っておくが金じゃないぞぉ?」
「はいはい」
居心地の良さとか、その他何かあるのだろう。
色々考えても仕方ない、明日になればわかる。
颯太は上手に子ども扱いをされた。
眩しい朝日が色んな鳥模ったカラフルなガラスを透過し、教会内に映し出される。
基本はレンガで建築された建物で、元世界にあった教会と違って椅子は無く、正面には麻の葉模様を思い出させる形の銀色のオブジェクト。
その手前には、取って付けたように置いてある真っ白な寝台が2つ。
見事な線対称の建物だと思ったが、微妙にガラスの模様が左右で違った。
教会っぽいけど教会じゃないな。そもそも何かを信仰しているような様子を今のところ見ていない。
今日の用件に集中しよう。
「それで、今日は儀式というやつだったはず。呪いの除去以外の目的は何?」
「簡単に言えば魔法適正を体に移す感じじゃな」
「なるほど。あと、この世界の機能上死因は寿命のみみたいだが、そんな体にしたりとか?」
「それらを別々に考えずとも本来は......まあいいか、時間も迫っているからぁ早速始めるかのぉ」
「何か準備するものは?」
「無いの。そのままあの寝台に寝るだけで構わんよ。マリア、ひとまずご苦労さん」
「はい。私はひとまず御暇します」
言われるがままに入り口から見て左の寝台に寝転がってみた。要は今回はちょっとした肉体改造のようなものだ。
低めのマクラの代わりに使っているバスタオルと低反発なマットを準備しているとは。
慣れ親しんだベッドメイキングである。これを好みと言うかは分からない。
天井にもガラスの模様があった。そこには鳥よりもっと大きな、神話で見るような大きな翼をもった龍。
朝日は今頭の方側、教会を入って右手側にあるが、昼頃になるとこの龍は地面に写し出されるのだろう。
「それで、この次は何をすればいい?」
「そのまま眠ってもらったので構わん。あと10秒じゃな」
「ん?」
カウントダウンされると余計な緊張が出そうなのだが、そんな間もなく眠ってしまった。
目をつぶる直前、おじいさんの両手から光が見えた気がした。
俺の周りはかなり朧気だった。
かといって見えないわけではない。むしろはっきり分かった。
分かった理由は、今いる場所が半年前まで住んでいた屑親らの家の1階だったからだ。
リビングのドアを開けると、ソファーに酒で酔った親父が座り、テレビを見ていた。
俺が片付けしなければ、こいつのゴミで部屋がすぐに汚くなる。
言わんこっちゃない。こいつの周辺は既に足場がない。
そんなにゴミと暮らしたいなら、ごみバンカに入っていればいい。
「おい、クソ親父」
テレビの音量に負けない声を放ったつもりだが、聞こえていなかったみたいだ。
こいつは耳もイカれたのか?
ただ妙なこともあった。
周りを見渡すと、親父周辺以外は片付いた様子。普段から掃除していることが分かった。
「おいそうたぁ!酒買ってこい!間違えんなよぉ!」
あぁ、思い出した。これはあの時の記憶。
この後俺は階段を下りてこの部屋に来るんだったな。
リビングのドアが開き、現れたのは12歳の俺、一瀬颯太だった。
互いに俺(16)をを認識していないみたいだ。
「そこのビンのやつだぁ」
「わかった」
とても気持ち悪い。
こいつへの嫌悪感もあるが、これから起こることが分かっているからだ。
当時の俺(12)は、義母が外出中のこの家に、親父と妹の鈴を一緒に置いて行ってはいけないと思い、妹を呼び寄せたのだった。
階段下から声を斜め上に発した。
「鈴、一緒に行こう」
なるべく早く下りてきた10歳の妹と手をつなぎ、玄関に向かった。
懐かしい。鈴はとてもかわいかった。
この感情は、クズ親父のように少女や幼女を求めているものではない。
単純に、兄として、誇りに思う感情だ。
ただ、今思い返すと当時の俺にそんな感情があったかと疑問になる。
かわいいという感情を持つことは、相手を下に見る考え方。
それがわかっていたから、あえてこの感情には蓋をしていた。
そして今もその考え方は変わらない。
先に出たかわいいという言葉を即座に消した。これじゃこのクズと同じだ。
それじゃ愛や誇りとは何なのだろうな。
親父はリビングを出て、玄関まで来ていた。
「おぃ! なんで鈴を連れていく!」
「1人では寂しいし、僕がいないとき、鈴におつかいを頼むことがあるかもだから慣れさそうと」
こいつはいつも俺に酒を買わせていた。
そもそも、この家庭の冷蔵庫事情は全て俺がやっていた。
酒の補充なんてしてやらない。ある分だけ飲むから。
しかし、そんな俺にも不調な時や不在な時はある。
鍛えていたとはいえ、12歳の体なんていつ壊れてもおかしくないのである。
だから、当時の俺にしては良い嘘をついたと思う。
今ならもっときっちりした言い分を並べることが出来る。
もちろん、親父は俺の言葉に効力を感じず、自分の感情もとい欲望のままに行動する。
「ああ!? とか言って俺が鈴を襲うとか思ってんだろ!」
「思っていない」
睨んできたことに対して不快には思わない。だから睨み返さない。
こいつの言葉や行動はあまりに軽すぎる。
そんなことより、鈴が怯えている。
先よりも握る手に力がこもっている。
多分この時の俺は面倒になったか、撤退を優先したのだったな。
振り返り、靴を履こうとした瞬間だった。
「うっせえぇ!! 黙れクソガキ!!!」
ドスンッ!
今でもその痛さは覚えている。
クソ親父は手に持っていたビンで俺(12)の左のこめかみを勢いよく殴った。
客観的に見れば血の量を見て痛そうに見えるが、当時は傷口よりも殴られた勢いによる脳の揺れが大きなダメージだった。
立てるはずもなく倒れ、何とか意識だけでもと妹の方を見た。
「お兄ちゃん! お兄ちゃん!」
一生懸命に心配している妹の右腕を親父は掴み取り、リビングに引き寄せようとした。
なすすべもなくやられてたまるか......!
俺(12)と妹(10)は賢かった。
妹は親父の力に対抗はできなくとも、なけなしの力で左手を振るい、玄関の棚の上にあったコードレス通話機を俺の傍に落とした。
急いで隣に住む夫妻の家庭電話番号を打ち込んだ。
この夫妻は俺たちの家庭の事情を、深夜の喧嘩の騒音で知っていて、俺ら兄妹にとても優しかった。
困ったときにと電話番号を教えてもらっていて、月1くらいに家へ遊びに行く仲だった。
数字を覚えることが得意な俺にとって、それは容易だった。
「もしもし?颯太くん?」
電話に出たのは婦人の方だった。
「そうた...です。いもう...とが...おそわれ...て......家です。(放して! 放してよ!)」
「颯太くん! しっかりして! お父さん、颯太くんと鈴ちゃんが危ない!」
「颯太くん、今行くから待ってなさい!」
そこから俺(12)は目をつぶった。
今の俺にもこの先の記憶はない。
隣の夫妻への助けを呼んだことを確認したので、リビングを確認しようした。
しかし、足が動かない。誰かに足を縛られたような感覚。だが足を縛りつけている者はいない。
妹の声がだんだん小さくなっている。
嫌な予感を感じ、背中にひどく汗をかいた。
確認したい。この後の真相を俺は確認できていなかったから。
クソ! 脚がビクとも動かない。
突然、俺の体が動き始めたかと思うと、右下にいる俺(12)に吸い込まれ始めた。
あの後病院で妹は大丈夫だったと答えたが、それが本当だったかは目で見ていないから100%ではない。
だから実際のことを......!
ふと考えだけ現実に戻ったような気がした。
実際? 今見ているものが現実にあったことだというのは本当か?
また夢を見ているだけではないのか?
そもそもこの記憶は誰の視点のものだ?
朧気ながらも余りに鮮明で、まるで物語そのものだ。
そんな疑問を発しながらも、どんどんと俺(12)に吸い込まれていく。
完全に体が一致したとき、目の前は真っ暗だった。
家のドアが開く音がした。最後の力で瞼を全力で開いた。
婦人は俺に駆け寄り、お父様はバットを持ってリビングへ走った。
バットは流石に物騒ですよお父様。
「「よかった」」
声が重なった気がして、夢からプツリと切り離された。