第5話 大通りのレモン
第1章 求めるもの求められるもの
第5話 大通りのレモン
颯太は王との挨拶と住む場所の確保を確認した後、試しに人の多い通りに来てみた。
店が両脇に連なって、その間を人が通っているということは見て分かるのだが、人のわりにまあまあ静かであることは想像していなかった。
向かいや隣の店との競争を楽しむのもこういった販売店の楽しみの1つだろうと思っていたのだが。
静かといっても、田舎町のショッピングモールの活気の無さとは違うものだと見てわかる。
皆が皆、ご近所付き合いの如く談合している感じ。買い物はついでという感じかな。
様々なフルーツや精肉品があり、さっきの昼飯の消化を加速させる匂いが充満している。
ふと、この世界の規模を思い出した。
おおよそ20万人、日本における大体市町村1個分くらいの大きさ。
これが何を意味するか。狭い場所で生きる。
ご近所付き合いに見えるのは、大体皆の顔を把握することが出来るからだろうか。
常連のことは当然覚えるだろうが、10年近く店番やったり出歩くとクラウド全体の人たちと知り合いになることは十分にありうる。
ちょっとした争いでも街の大きさと相対して考えると厄介だからか、会話1つ1つに顔色を伺うような言動に親近感を感じた。
自分と似たような事をしている人間に違和感を持っているのは、この表面上の付き合いにうんざりしているからだろうか。
目立つものといえば、人外の生物だ。
ここで言う生物というのは、知能を持ち動いているものである。
人間についていくように後や横に居座るものたち。
その種類は様々で、犬型のものが殆どだが、ニワトリや鷹のような鳥もたくさんいる。
一番インパクトがあったものといえば、木だろう。
大体2mくらいの大きさで手足があり、大きな木箱を運搬していた。
木の生き物が加工された木を運搬する気持ちはどんなものだろう。そもそも木がなぜ動く。
とにかく、その人外の生物たちは、荷物運びが主な仕事のようである。
子どもの頭の上に乗ったヒヨコのように、ペットとして扱われているものや、店番をしている忠犬のようなものもいて、役割はそれぞれみたいだ。
一緒に戦うものもいるのだろうか。だとしたら自分にも必要になるかもしれないと颯太は意味もなくわくわくしていた。
500mほどある通りを一度一通り見て、また戻ってきた。
こんなのがいくつもあるなら、しばらく外出の楽しみは減らないだろう。
この辺一帯の市場は、特にフルーツ類が多いようだ。
じっと遠くから見るのも何なので適当な店を近くで見ることにした。
そこは、店名は分からないがレモンらしきものを売っている店である。
レモンは結構好む者好まないものの差が出やすいフルーツの1つだと颯太は考えている。
あるものはジュースに入れられ、あるものはケーキの一部になる。
居酒屋のアルバイトをしているとき、唐揚げに添えられたレモンが原因で激怒された記憶を思い出した。
脇役としての役割が多いフルーツだから、調味料として見るものは多いだろう。
だからそもそも好き嫌いの言い難い物でもある。
だが、レモンを輪切りでそのまま食べることが多かった俺にとって、それはとても近しい存在の食べ物である。
そして目の前にあるものがレモンだとしたら、間違いなく1級品だと俺の経験が呟いた。
値段は日本円にすると1個100円位。そんなに高くないし買ってみよう。
おいしそうだと真顔で見ていると、店番らしき少年に声をかけられた。
「兄ちゃん見かけない顔だな! どう? イエローフルーツ買ってく? うちのは格別うまいぜ!」
「じゃあ、1つください」
これはイエローフルーツという名前なのか。イエローを代表していることに少々感心した。
「1つと言わず、もう何個か買っていきな!」
「じゃあ、この1個を食べてうまいと確信したら、これから何度も来ると約束しますよ」
「わかった! じゃあ1個おまけしとくから、絶対来いよ!」
「ありがとう」
随分慣れた手際の少年、せっかくだし名前を聞いておこう。
「僕は颯太、16歳だ。君の名前を教えてくれるかい?」
「ソウタ? 珍しい名前だな、覚えた! 俺はリキ。14歳だ!」
「覚えた。また来るよ」
「おう! ありがと兄ちゃん!」
しっかりした少年だ。ふらっと立ち寄った先がここだった理由は、レモンだけじゃなくて、あの少年の他の店とはとは違った雰囲気につられたのかもな。
さて、別の通りも見ていこう。この探検には別の目的もあるからな。
別れ際に、レモン屋の奥の扉のさらに奥、暗い部屋にいた少年と目が合った。
別の通りをあと2つ確認すると、そのころには夜になりかけていた。
ゆったりとした晩鐘がなり、市場は閉まりはじめ、飲食店が活発になり始めた頃合い。
大体の物の相場を確認し終えたし、この時間は有意義だったと思う。
帰りは正門の方、午前中に通った門の方が近かったので、そっちから寮に戻る。
統一された制服を着ている人たちが、帰ってきたり勤務に出かけたりと、何かと昼よりは人が多かった。
多分この人たちが護衛者だろう。男女比は同等、しっかりしてそうな人たちばかりだ。
特に怪しまれる様子もなくこの王宮含めた護衛者の敷地内を通ることが出来るのは、俺と同じように私服で歩いている人もいるからだろう。
セキュリティ大丈夫なのか?と思ったが、クラウドでの争いの少なさを推測していたことを思い出し愚問だと思い直した。
私服の人は訓練期間中の人か休暇中の人だろう。そう結論づけた。
寮についた。荷物を部屋にしてから食堂に戻るのは面倒だと思い、着いてすぐ飯を食おうと思った。
思った以上に人が少なかった。昼よりもだ。まあいいか。
何人かいる先客の中で、河渕さんが筋肉質でガタイの良い人とテーブルで話している姿を見つけた。
向こうもこちらに気づいた。
「よう!颯太、こっちに来なよ」
「はい」
急いで今日のメニューを取り、テーブルに向かった。
晩飯はカレーだった。米の存在は今日の探検で確認していたが、ルーはどこかにあっただろうか。
もしかしたら匂いの強かった粉を売っているあの店だったかもと颯太は今になって気づいた。
「お疲れ様です」
「うん。食べながらでいいから話そう。ドルトン、彼は俺同様異世界から来た一瀬颯太だ」
「ドルトンだ。呼び方はソウタでいいか?」
「はい。こちらは何と呼べばいいですか?」
「ドルでいい、皆そう呼んでるからな」
威圧感たっぷりの低い声を相殺するような笑顔でドルは自己紹介を片付けた。
「颯太、その紙袋の中身はなんだ?」
「今日市場で買ったものです。レモンと果物ナイフと紙とペン」
「あー、レモン。久しいなその言葉」
「レモンとは何のことだ?」
「こっちだとイエローフルーツだな」
「ほう。随分かわいらしい響きだな」
でかい男がかわいらしいと言うと鳥肌が立ってしまいそうだが、ドルトンはそれをさせないくらい愛想がいい。
ひとまず会話の隙をぬってカレーを押し込もう。
「紙もペンも、この寮に来たときゃなかったからな。机が寂しいよな」
「はい。格安で更紙を売っていたようなので、跳びつきました」
「プライベート用には十分だな」
「ソウタ、それにしては結構な量の紙だな。何に使うか聞いてもいいか?」
「簡単に言うと、落書きです。子どもですから」
「ふははっ、子どもか。そういや周りのやつがソウタのことを小さいのって言ってたな」
「相変わらず言いたい放題だなぁ。颯太も言いたいことがあればどんどん言いなよ。護衛者は全員遠慮皆無が基本みたいなとこあるから」
「助かります」
紙の用途は人に言うほど大層でないことは本当なので適当に流した。
井の中に流し込んだカレーを水でさらに流し込み、会話に集中する。
さて本題だ。
「護衛者とは、具体的に何をする役職ですか?」
「ん?まあ気になるよな。ドル、こりゃお前の方が詳しいわな」
「ああ、話そう。少々長くなるからタクヤ、水を持ってきてくれ」
「はいよ」
河渕さんが席を立ってすぐに話は始まった。
一応、念の為お守りを起動しておこう。
「護衛者は、地上天界問わず、人々の命をなるべく絶やさないことを使命として動く」
「はい、そう聞いています」
「具体的には、これだ」
そう言って見せられたものは、2枚の紙。
高級紙とも低級紙とも言い難い、分厚い紙である。
一方は天界クラウドともう一方はおそらくブロード大陸を表しているのだろう。
所々、青色の点が光ったり消えたりしている。
「この地図は、クラウドとブロードに住む人々の、殺意や恐怖といった負の"意思"と"感情"を表す地図だ」
「これをどのように扱うのですか?」
実際殺すことのできない世界にも、殺意という言葉はあるのだな。
ドルはその地図を持って、拡大縮小を見る目だけで扱っていた。
意識の変化のみで扱うと言う方が正しいかもしれない。
そして特に青く激しく光っている部分を拡大してドルは言った。
「犯罪が起こる場所はこのようになる。護衛者は4人1組で、おおよそ横半径70km圏内を守るような形で配属されている」
「配属......。ブロードに住んでいるのですか?」
「正確には、クラウドとブロードの間にある雲の上だ。我々の配属先は常に風に乗せられ動く。されど隙は作らない。そういう職場だ」
空から監視するのか。翼がないとそこへの配属は無理そうだな。
地上からその職場までどのくらいの高さか分からないが、現場に間に合ってしまうのが不思議だ。
「犯罪が起きる場所がわかっても、起きる前にそこに行くのですよね?」
「ああ、ちょっと待て、説明不足だったな」
そうして地図は一変し、さっきまであった青い光が消えていた。
「どういうことですか?」
「さっきの光は、護衛者が介入しなかった場合の"30分後"の様子。もう対策が終わったみたいだな。少々仕事が遅いんじゃないか?」
一瞬厳しい上官の目をしたドルは、話を戻そうと目をこちらに戻して言った。
「これは1時間後まで人々の意思感情の負の度合いを様子見できる」
「なるほど」
つまり、1時間前には犯罪阻止の行動が取れるということか。
随分と人間のことを単純に計れるのだなと疑い半分の目でその地図を睨んだ。
ちょうど水が欲しくなて来た時に、河渕さんが戻ってきた。
「スマン遅れた。んでどこまで話しってっ...うおあ!?」
両手にコップを持った河渕さんは、片足を椅子に引っ掛けバランスを崩し、両手をテーブルに乗せ、何とかバランスを保った。
しかし、コップの水は盛大にこぼれ、ドルの地図に盛大にぶちまけられた。
今その地図は床の上に鎮座している。
「あちゃー、注ぎ直しかー」
「あの、水より地図の方は大丈夫ですか?」
「おっと、ドルごめんな」
「大丈夫だ」
ドルは手を開き、じっとしていると、床にあった地図がスルッとドルの手に収まった。
「これは俺と契約した地図だから大丈夫だ。完全防水破れることもない」
心配は無用らしい。
負の意思感情が強いから犯罪を起こす。これはなんとなくわかるのだが、逆は成り立たないだろうと颯太は考えている。
犯罪が生きがいだったり、または洗脳させられた人間の手出しなんてこの地図じゃわからないのではないかと。
そのことをドルに聞いてみた。
「そうだな。今見せた見方は犯罪の見分け方の一種に過ぎない。色んな見分け方がある上に、この地図だけ見ているわけでもない。今もクラウド・フォレストのメンバーが見回りをしている」
随分と大変そうだと他人事には出来なかった。
だが、やることの基本は分かった。
これくらいのやりがいは必要だなと身構えを整えていた。
いや待て、最初ここに来た時、適当に暮らしていければそれでいいと思っていたはずなのだが。
かつてのハードルの低さを確認し取り戻そうとした時、厄介ごとに巻き込まれていることにようやく気が付いた。
水を入れなおしてきた河渕さんが、今度は慎重にコップをテーブルに置いて言った。
「けど、そんな現場直行や見回りは、羽があることが前提だからな。颯太、俺たちは精々事務作業と天界の見回りくらいだな」
飛ぶことに憧れがないわけではないが、割と平穏なこの王国でぬくぬく暮らすことが出来るならば、そちらが断然優先だな。
そういえば、河渕さんの他に日本人は2人いるのだったな。
「河渕さん、我々以外の日本人はどんな人ですか?」
「それが俺も会ったことなくてよ。両方女性らしい。しかも羽貰ってて今遠くに配属中だそうだぞ」
「なるほど。ドルさんは会ったことありますか?」
「あるにはあるが、自己紹介すらする間はなかった。若かったことは覚えている」
「なぜその2人だけ翼を?8歳以降は翼を貰えないと思っていました」
「その決まり自体はあってるよな、ドル」
「そうだな」
「理由は何だろうなぁ?ブリッツと寝たとか?」
「タクヤ、程々にしろよ?」
「勿論だとも!」
変に王に対して畏怖や敬意を重たく持っている様子はないようで、本当に言いたい放題だ。
護衛者になれば会う日はいつかあるだろう。
そんなわけで、何だかんだとその後30分ぐらい話した。
解散後、部屋に戻って備え付けのシャワーを浴びることにした。10階下にまた戻るのは面倒だった。
輪切りにしたレモンを齧りながら、紙とペンを広げた。
娯楽が少ない分、落書きはいつも以上に捗る。
まずは今日歩いた歩数を正確に記した。
元世界で233歩、天界で51156歩。
それらの数字で四則演算、各桁を使って四則演算。
素数を探したり、gcdとlcmを探したり。とにかく数字遊びをした。
殴り書きのように適当に書いているが、頭の中で整理するための整列なくした殴り書き。
いわゆる日記を書くようなものだ。楽しいとか悲しいとかではなく颯太にとって必要な日課となっている。
その日課をこなすと、やっとこの部屋が自分の部屋になったような気がした。
思いつく計算を全てやり尽くすと急に眠気が来たため、そのまま眠った。
1日目から結構張り切って行動したな。
今のところ順調、あと1週間は気を引き締めて頑張ろう。
平穏な生活のためにも。