第1話 空虚な少年
第1章 求めるもの求められるもの
第1話 空虚な少年
同じものを見て、同じものを聞いて、同じものを感じて、それでも人によって感想や捉え方が違う理由は、それまでの人生で培う価値観が違うからだとよく言われる。
なら、同じ個体2体が、地球の同じ座標平面上に、同じ時間に生まれて、同じ方向を見て、同じ物を食べて、同じ行事を同じようにこなし、同じ時間に寝る。
そうした2体は全く同じ価値観を作り上げるのだろうか。
もちろん仮の話だ。
全く同じ場所に2つの個体が存在することは不可能だ。
こんな実験をするには、一切のずれのない世界が2つ必要になる。
要は普通に考えると、自分と同じ価値観を築くモノはいないと言うことだ。
だが、もしそんな被検体2体がいるとするならば、同じ価値観を作るだろう。
そう、以前の自分なら言うだろう。
◇
一瀬颯太、高校1年生。現在本屋の帰り、電車に乗っている。
「ねぇねぇお家まだ?」
「まだよ、もう少し待ってね」
少し大きめの声で話す幼女と、それを戒めるように静かに話す母親らしき人。
目の前の二人の会話が耳に入る。
「電車が家まで繋がってたらいいのにね」
その言葉を聞き、子どもの頭の柔らかさに少々関心したと同時に、目的の駅に着いたので笑顔で二人に席を譲り、電車を降りる。
最寄り駅の1つ前の駅に着いた。最寄り駅で降りなかったのは、隣町のイルミネーションを見るためだ。
特別にイルミネーションが好きだとか、綺麗な光景を見たいとか、そういうのではない。
ただ、都会の高校生という"自由の身"になってから半年、自分が何もしていないことに気づき、勝手に足が動いたのだった。
昔から徘徊癖があるといえば、自然な行動なのだろう。今日も見えない何かを探すように彷徨う。
外は静けさと賑わいが充満した甘ったるい匂いがしたのだった。
人生において、楽しみを見出して生きるということが上手な生き方なのだろう。
彼氏彼女を作ったり、旅行したり、好きな教科の勉学を追及したり。
はたまた仕事が趣味のように楽しかったり。
人と関わることができるなら楽しい。
ありがとうを言えたら楽しい。
生きているだけで楽しい。
本でそのようなことを言っていた人がいたような気がする。
しかし、今の俺一瀬颯太には、そんな価値観はおとぎ話の中である。
というか、実際に楽しさなんてものがとても空虚な概念に聞こえてしまうのだ。
そんなこんなで、この1つ1つの木に大量に絡められたLEDが輝き、文字通り光の並木道が出来上がっているわけだが、行き交う家族やカップルたちにとって、これらは楽しみの1つなのだろうと呆然と歩きながら考えていた。
こういうものは誰かと見ることが重要で、景色は人が作る雰囲気の背景に過ぎないのかもな。
自分が楽しさというものを探しているのだろうか。そうだとしたら1人で来た時点で、ないものねだりということか。帰ろうかな。
いつものように虚しさが漂う。ただ"半年前"なら、右手に、傍に、あたたかさがあったのだ。
こんな周りにいる似非カップルとは違う、固いつながりがあった。
今はポケットの中の固くて冷めたカイロを握りしめている。
羨ましいとは思わない。確かな繋がりと言うものを知っていたから。
周りを見落とすような考えではなく、だれにも負けない確かがあったと軽く意地を張っているだけだ。
勝手に怒って、まるで子どもみたいだ。意地ではなく意固地かも。
今ではその虚しささえも消えかけている。
最近、自分というものを全て無くしている感覚に陥る。
いっそ、このまま。
浮遊感漂うこの空間に吐き気がしたわけではないが、居心地がいいわけでもなく、なによりお楽しみを邪魔することはよろしくないと思い、重い足を音を立てず運んだ。
何をしに来たんだったか。イルミネーションはやけに眩しいなと思うのみだった。
歩いて帰ろう。
6畳1間の安いアパートに着いて、すぐにベットへ転がった。
天井の模様を眺めながら、今日あったことを思い出した。
学校へ行って、本屋で立ち読みして、必要以上に眩しいところへ行った。
本屋はともかく、最後のは必要だっただろうか。
週2日の放課後の休みの使い方を間違えたような気分で心が蔓延りそうになる。
生活保護のお金があるといっても、食費は自分で稼ぐ必要があるので、焼肉屋の厨房とブライダルのバイトを掛け持ちしている。
ちなみに、焼肉屋は水曜以外の平日、ブライダルは土曜日に行っている。今日は水曜日というわけだ。
よって、自分にとっての休日は、一般の学生にしては少ない方なのだ。少ないだけで、貴重というわけではない。貴重というほど重い事がないからである。
「どんなことにも意味がある。ないなら意味を作るか探すべき」
枯れた声で他人事のようにつぶやいた。
気分転換になったのなら良いことだ。転換される方向はともかく。
学校行ってバイトに行って寝る毎日に、心がすり減っていたのかもしれない。
綺麗なものを見れてよかったではないか。
自身への簡単な言い聞かせは積み重ねが大事。これは誰の言葉だったか。
本当につまらないことを考えていると、素早く寝落ちしていた。
他人の価値観を知りたい。
たった1つの欲望。
別に、それを知らなくても生きていくことは可能だ。
相手の仕草態度を見れば、処世術は誰でも扱えるものだからだ。
よって、この願望は自分に残された唯一のものであるとともに、掴むことが不可能で意味のない願望である。
いや、意味はある。知れたなら絶対に世界を見る目が変わるだろう。
なぜ知りたいのか。
今はその理由を一言では表せない。
知らないことへの不安。
人との関わりをしていくうえで、発言や行動1つ1つに間違いがないか確かめたいから。
異性の考えていることを知りたいから。
他人から見る自分の姿を見たいから。
こんな理由だけでは僕が納得しない。
少なくとも、悪い事を避けるためだけに他者の価値観を知りたがっているわけではない。
掴みたいそれは、まさに可能性の塊なのだ。
ふと、目の前に懐かしいシルエットが見えた。
すらっとした小さな少女の影。
あまりに朧気で、そよ風どころか水滴の落ちる音1つで消え失せそうな、そんなもや。
「大丈夫だよ」
優しくなでるような声。
頭と体の中に、心地よい空気を通してくれているようだった。
俺の半身のような存在。声を聴くだけでかつての自信と勇気が沸き上がる。
今までの不安や重りや杞憂といった負の要素を全部取っ払い、投げ出したくなるような声。
だがそれよりも、その声に身を任せるよりも、早く取り戻したいという考えが勝った。
もやに包まれたそのシルエットに手を伸ばす。
手の届く距離なのに届かない。正確には距離感がわからない。
彼女と自分が1m離れているのか1km離れているのか。
掴めず、見えず、感じられず。掴みたい、見たい、感じたい。
もどかしさに久々の苛立ちを覚えたが、諦められない。
「生きていれば、人はいつか会えるよ」
嘘だ。嘘だ! 君は死んでしまったんだ!
この子の発言の真意を読むことよりも、目の前にいるという事実が体を優先して動かす。
そして自分が夢を見ていることを夢の中で確認した。
それでも、夢だとしても......!
微笑んだようなその顔に素早く手を伸ばした。
わかっていても掴みたい、俺の支えだった人を......。
「待っ......」
「......待って!?」
1人部屋で大声を出す自分がいた。
「しんどい......」
あまりに現実的で非現実的な夢を久々に見た気がする。
以前はビルからひたすらに飛び降りる夢だったが、今回も中々のものだ。
眠りながらの夢は、非現実的でも信じてしまうから、質が悪い。
眠りが浅かったように感じ、二度寝を試みようとも考えたが、体に張り付いた汗の不快感がそれを妨げた。
時刻は4時50分、起きた時間はいつも通りみたいだ。
風呂に入り、頭と体をクリアにする。
上がってコーヒーを飲みながらカーテンを開けて、綺麗な朝焼けを見ていた。
冬場のこの時間は、ほんの微かな光が町を照らし、一枚の絵画のように見える。
あまり良い物件に住んでいるわけではないが、それらは景色の良さで帳消しできるほどだ。
動く人工物や人による静けさが、孤独さを示しているような気がして、とても落ち着く。
遠くに見える朝と夜の境界線を、何も考えず眺めていた。
昨日のイルミネーションにはない美しさがあった。
しばらくして朝ごはんを食べようと、調理を始めた。
米とみそ汁と納豆と焼き鮭と梅干しと明太子。
実質作るのはみそ汁と焼き鮭なので、5分も満たず完成させる。
明太子と納豆の組み合わせは特に1日の活動の力を発揮してくれる。
塩分が高めだが、その分昼と夜は薄味だから構わないだろう。
昨日の晩は食い損ねたから、とにかくがっついた。
食器洗いと歯ブラシを済ませた後、少し読書を始めた。
いつもなら早朝ランニングに行くが、昨日の夢のおかげか、体が重かった。
むしろそういうときこそ走った方がいいのだろうか。
思い直し、少ししたら外へ行こうと決めた。
コーヒーの入れなおしをしようと台所に向かう。
ついでに簡易時計を確認したとき、あることに気が付いた。
時刻は4時50分を表していた。
時計はいずれ壊れるものだと思い、気にする必要もないかと思ったが、念のため携帯の時計と腕時計を確認すると、4時50分30秒で止まっていた。
SNSの更新状況もその時間で止まっていた。
全く状況が理解できず困惑していたが、妙に静かがと思った外を見るため窓に駆け寄った。
なぜ、さっきは気づかなかったのだろう。景色が動いていなかった。
部屋の窓から見るそれは、まんま部屋に飾られた一枚の大きな絵画だった。
息をのんで窓を開けると、静寂の中に車のエンジン音が1台分響いていた。
車が動いていることに奇妙さを感じたのは初めてだ。
だがこの状況、世界か自分どちらがおかしなことになっているのかを確認するには、外のすぐ近くにいる車に近づく他ないと、確信に近く考えた。
また同時に警戒心は強まり、味方であってほしいと願うばかりだった。
確かめに行こう。
一応災害用の避難用具と貴重品とお守り2つを持って制服のまま外に出た。
部屋の鍵は念の為閉めておこう。
階段を下りて目の前にあったのは、松葉色のトヨタのクラウンだった。
運転席には白髪のおじいさん、顔ははっきりと見えないが、優しそうな雰囲気を醸し出していた。
しかし、これは自分がそうあってほしいと思っているだけで、無自覚に見る目にフィルターを付けていることを自覚すると改めて気を引き締めた。
恐る恐る近づく。助手席のガラス窓をノックし覗き込むと、ゆっくりスライドした窓からまるで待ちくたびれたかのように、また歓迎するように俺に話しかけてきた。
「おはよう、まぁ乗ってくださいな。少し町を見回りましょう」
こちらから断る理由はなく、また知りたいことがたくさんあったので乗ることにした。
自動で開いた助手席のドアを閉めて、運転席から対角の後部座席に座ることにした。
戸惑う俺を乗せたタクシーはゆっくり発進し、大通りをのんびり走るのだった。
去り際に見たぼろアパートに少し寂しさを感じたような気がしたが、妙に座り心地の良い座席に少々くつろぐ思いをした。