大艦巨砲主義の遺産
大鑑巨砲主義の遺産とも呼ばれる戦艦“播磨”
設計は日本海軍。
主砲は五一センチ連装砲四基、副砲二〇センチ連装砲四基の重武装であり、対空火器多数搭載し全世界のどの戦艦でも三〇キロ先から一撃で撃沈破できる威力を誇っていた。
戦艦“大和”よりも巨大な船体を持っていたことで敵の航空機の標的となりやすく、海軍首脳は大和型と共に後生大事に戦力温存させられていた。
活躍の場は無く、ようやく最前線に出たと思ったら航空機の護衛もないレイテ沖海戦が初陣となった。
この戦いで、対艦戦闘を実施。
予定していた通りの威力を発揮した。
この時の戦果は戦艦三隻撃沈。うち一隻は播磨が一撃で沈めたもの。
この海戦以降、艦隊戦は勃発せず。
大和型二隻と播磨は呉の柱島に係留されそのまま終戦を迎える。
日本の交渉の結果。この三隻はアメリカで使用されたのち四〇年後に日本に返還された。
現在は記念艦として三隻とも現存している。