4;スクーターに乗って(3)
注意;
今回、作品中の主人公たちの会話中に性行為を示すものが出て来ます。
本作は性行為を描写する事を主眼としておりませんし、行為の描写もありませんが、
15歳以下の方、及びその手の会話に不快を覚えると言う方は回避をお勧めします。
「意外だな。 初めてじゃないでしょ?」
「うん。 そんなに初心に見えた?」
「まあね。 ああよかった。 初めてかと思ったから・・・最初になるのって、ちょっと重たいから。」
彼は黙ったまま、少し体を引き上げヘッドボードに凭れる。 そして、
「二つの世界って、どういう風?」
彼女は仰向けに寝たままで彼の太腿に頭を預けていたが、暫く考えた後で、
「勿論、あるかどうかなんか解らない。 どんな感じか想像していただけ。」
「行った訳じゃない?」
彼女は苦笑する。
「勿論よ。 貴方、本気で信じているの?」
「別に。 ただそういうのって夢があっていいな、と。」
すると彼女も半身を起し、毛布を引き寄せると身体を覆って、
「本当にあったら、それこそ事実は小説より奇なり、よね。 噂に過ぎないけれど、行く方法があるみたい。 行ったと思われる人もいるらしいけれど、そんな法螺話をしたら人心騒乱罪で保安部に逮捕されちゃうかもね。」
彼女は冗談めかして言うが、目は真剣で、それに本人は気付いていない。 彼が何か言おうとすると、先に彼女が、
「お腹空いたね、何か作ろうか? スパゲッティ位しかないけれど?」
「それじゃ悪いから、何か食べに行く?」
すると彼女はクスクス笑いながら首を振って、
「貴方、やっぱり女を識らないわね。 こんなことした後は外に出るには時間が掛かるものよ?」
「あ、化粧とか。」
「他にも色々とね。」
そこで彼女は膝を抱えて彼の方をしげしげと見ると、
「ふうん・・・一体、このお兄さんはどこでどう学んで来たのかしらね。 かわいい顔して色々と知っている様子だけど、案外人ってものを知らないし、学校に行っていた感じが無いし、若くして軍人さんらしいけれど、なにか軍人さんにしては自由だし。」
そこで彼が微かに眉をひそめたのを感じ取ったのか、
「おばかさんねぇ、本気で詮索なんかしないわよ。 ここへ入れる身分ってだけで十分。」
そこで大きく深呼吸をすると、彼女は突然白状する。
「私は、リバーサーよ。」
彼女はじっと彼の反応を窺うが、彼は無表情のまま、
「へえ、そうなんだ。」
「驚かないね。 知っていたの?」
「・・・そうなんじゃないか、とは思っていた。」
彼はそう曖昧に返す。
「他にもリバーサーを知っているみたいね。 私は違うけど、普通は中々表に出ないものよ。」
彼は黙って彼女を静かに見つめるだけだった。 彼女はため息混じりに笑うと、
「さ、ここまで、ここまで。 食事、作るわ。」
そしてベッドから飛び降りるように降りると、落ちたワンピースの部屋着を拾い、一糸も纏わぬ姿のまま、さっとドアに寄り、するりと出て行く。 彼は、大きく息を吐き出すと、ベッドに寝転がった。
彼女は、例の白とピンク縞の、裾がふんわりと柔らかい線を作る縁取りがレースになった部屋着を着てスパゲッティを作った。 何か手伝う? と聞く彼を押し留め、大人しく座って待ってなさい、とテーブルに座らせる。
出来上がるとダイニングのテーブルで食べた。
不思議な事に、彼女は向い側でなく彼の隣に椅子を動かし、並んで腰掛けた。 そう言えば橋で夕暮れを眺める時も並んでいる。 向き合って話す事は確かに稀だった。
この恋人同士でしかあり得ない、体温を感じるほど近い距離感が2回目に会った辺りからあった、と彼は気付く。 だからこういう関係になったのだろうか?
そんなことを考えながらスパゲッティを一口食べると、彼女が調理をしている時から漂っていた、にんにくの食欲をそそる匂いにほんのりとハーブの薫りがして、ベーコンと何かのハーブ、オリーブオイルだけのシンプルな一品が大層美味しかった。
食べる動作の度に、微かに隣の身体と触れ合い、彼女が冷蔵庫から出した無印の白ワインも手伝い、親密度が増す感じがする。
食べ終わり、来た時に飲んだのと同じ質の高いコーヒーをいれた彼女は、
「どうする? 泊まってく?」
「何の用意もないから。」
「そう。」
彼女は隣でふーっ、と息を吐くと、
「私に幻滅した? おばあちゃんだし。 これでおしまい?」
彼は意地悪く、
「残念かな?」
彼女は彼の髪に手をやってクチャクチャ、とすると、微かに苦笑を浮かべ、
「こんな若い男の子とする機会なんてないからね、普通。 あと5年も若くなったらさすがに出来ないし。」
「好きなんだ、するの。」
「そう好きよ。」
あっけらかんと顔も赤らめずに言い放つ彼女に、彼は初めて揺振られる感じを覚える。
「あ、顔赤いよ?」
「え?」
「嘘。」
笑いながら彼の首に腕を回して顔を横向けると、首筋に唇を押し付けた。 そして彼がドキリとする位、妖艶な声で耳元に囁く。
「じゃ、何処へ帰るか分からない皇子さま。 帰っちゃう前に、もう一回する?」
彼女は帰る彼を、部屋着の上にカーディガンを羽織ってサンダルを突っ掛け付いて来て、棟の入口で手を振る。
「じゃ、ここで。」
彼女はそう言うと、彼の返事を待たず、そのまま足早に中へと消えた。
正門の警備詰め所の時計は十時を回ったところだった。
ゲートの門衛は交替していたが、前任者から耳打ちの引継ぎを受けていた男は、彼が差し出したIDカードに隠された札を抜き、カードの表示をちらりと確認すると、彼の身分に相応しい敬礼を送った。
官舎の塀に寄せて停めていたスクーターは、停めた時のままだった。 夜は、どんな辺鄙な場所でも頻繁に地区の自治軍や警察のパトロールが巡回している。 路上駐車は許可証が示されない限りどこでも違反行為で、当然彼のスクーターにも駐車を咎める張り紙の一つも付けられていそうなものだったが、そういうものは一切見当たらない。 彼が振り返ると、初老の警備の男が軽くお辞儀をする。 彼は、ありがとうと呟くと、スクーターを押して行く。
官舎群の前の道は静まり返り、彼は高い土手に沿う道に出るまでエンジンを掛けなかった。 坂を登り切ると、彼は官舎群を振り返る。 どの部屋も遮光カーテンが引かれていて真っ暗なまま、まるで誰も住んでいないかの様にひっそりとしている。 漸くエンジンを掛けた彼は、ひんやりと肌寒いくらいの夜風に向って走り去った。