終;深い霧の先へ(2)
広く平坦な公園は、植え込みや芝生以外細かい砂利が敷きつめられている。 砂利は中佐が一歩踏み出す度にジッジッと湿った音を立てた。 霧はひどくなる一方だ。 複雑な濃淡を付け、渦を巻いて足に絡み、足元すら霞んで見える。
辺りは静寂が支配している。 中佐の足音以外音もない。 否、あるが、霧が音まで包み込んでしまい、伝わらないのだ。
真実まで包んでしまう様な濃霧・・・この世とも思えない白い世界。 いいや、真実は霧の中の方が素直だ。 一体実際の世界と何処が違う? 見えていようが、いまいが、僕らはお互いどんな姿をしているのか、どんな顔をしているのか常に探りあっているのだから・・・そんな事を思った瞬間、
<中佐は詩人でいらっしゃる。>
頭の中で女の声がする。 と、同時に複数の人間が砂利の上を歩く音がすると、ぼんやりとした人影が大小4つ、並んで中佐の前に現われた。 中佐が立ち止まると影も歩みを緩め、霧が棚引くと4つの影は4つの男女となる。
20歳位の男、30代に見える東洋系美人と言ってよい女、70程だが背筋の伸びた老女、そして・・・
「暫らくだったね。」
中佐は少女を見ながら感慨深げにそう呟くと、まずは視線を男に向け、さっと敬礼する。
「お久し振りです、准将。」
男は何故か戸惑ったが軽く答礼し、
「呼び出しに応じて貰えてうれしいよ、わざわざありがとう、隼人君。 活躍振りは色々と聞いているよ。 立派なものだ。」
隼人は首を振ると自分の略綬に触れ、
「飾りですよ。」
「ああ、同感だな。 全くだ。 どうだ、今はお互い階級は忘れないか?」
「賛成です。」
そして隼人は東洋美人に、
「お初な感じがしませんね、光蓮。」
「私もよ、隼人。」
流暢だが微かにイントネーションが違い、外国人と知れる。
「連絡をありがとう。 でもあなたたちは僕が通報する可能性は考えなかったの?」
光蓮は笑い、
「あなたに限っては、ないわ。」
「すごい自信だね、この国では光蓮、あなたは抹殺リストの1ページ目だと言うのに。」
「そう言えば隼人も私のトコロのリストに載っていたわね。 あなた、トップ10内みたいよ。」
光蓮はそう言って笑い飛ばす。
「ところで、アスカは元気?」
「この前会った時はね。」
「あなたも話してないの?」
「最近はね、ほら、そろそろこっちは大変な仕事があるでしょ?」
「そうだね。」
「その準備が大変らしいよ。 彼女を始め、9.29(サイキック)部隊も海外組以外予備調査とかで総動員だ。」
「それで隙があったから、こうしてやって来る事が出来た。」
若い准将はそう言って割り込むと、
「時間を有効に使おう、周囲は警戒させているが、危険に変りない。」
「済みません。」
准将は頷くと、
「隼人。 こちらを見て誰だか当てて御覧。」
と老夫人を示す。
4人は霧を意識して全員、軍用の雪中用ポンチョを羽織っている。 10歳位の少女は、勿論、篠田瑛子だ。 くりくりとした目は幼くなった事により更に強調されている。 その目は彼に注がれたまま動かない。 大きめの口も開いては閉じ、何かを言い掛け止める、その繰り返しをしている。 しかし彼女の隣のこの老女は・・・その時突然彼は覚る。
― ドッペルゲンガーか!
「気付いた様だね。」
准将は満足そうに、
「そう、『彼方』の篠田瑛子さんだ。」
老女は黙って頭を下げる。
「私がお願いし、彼女を、ああ、『此方』の瑛子さんのお世話をお願いした。 光蓮の国が場所を提供する。」
「そうですか。」
「新開さん。」
老女は、戸惑ってはいるがしっかりした声で、
「事情は丁寧にタケサキさんから伺いました。 何と申しましょうか、こちらの『私』に色々尽くして頂いたそうで、ありがとうございます。」
「・・・いえ、何も出来ず申し訳ありませんでした。」
老女は隼人の言葉に首を振り、
「あなたのお気持ちを頂けた事で、『この人』も、いえ、私も幸せだと思います。」
「そんな・・・」
隼人は言葉に詰まった。 間違いなくリバースしなければこちらの彼女はこの老女の様に、溌剌としたお婆さんになったことだろう。 そう思うと何か込み上げてくるものがある。 すると突然、10歳の篠田瑛子が、
「私は・・・・・・事情を聞きましたが、ごめんなさい、やっぱりあなたの事は思い出せません。 でも、10年前、確かにあなたと愛し合った、それは事実だと信じます。 今、貴方を見て・・・分かったもの。」
幼くなったとは言え物腰、その話し振りは変わらない。 隼人は息が詰まった。
「私の記憶が奪い去られた事は憎むけれど私は信じる。 あなたは私を愛してくれたのね。 私は記憶を無くし、そのまま日常を受け入れて平凡に暮して来たけれど、その間、あなたは危険な戦いに身を投じ、そんな中でも私の事を思って下さった、そう皆さんから聞きました。 ありがとう。」
彼女の目から大粒の涙が一つ、二つ、零れた。 老女の目も涙で潤んでいる。
何時でも冷静で、能力者の中では『ルシファー』と並ぶ実力者の彼。 サイにはコードネームに天使や悪魔の名を付ける習慣があるにも拘らず、隼人が『マスター』と呼ばれる理由も、その沈着冷静・無表情にあったのだが、今はとても平常心には見えなくなっていた。
言葉は途切れる。 声を掛ける者もない。 後はお互い見つめるだけだった。
方や、見上げる目から溢れる涙が頬を伝い、方や、見下ろす目から一滴、涙が零れ落ちて。
彼女が一歩彼に近寄ると、彼は彼女の脇に手を入れ、少女を抱き上げ、そのままきつく抱き締めた。 少女は抗う事も無くそのまま抱きすくめられ、怖ず怖ずとその両腕が彼の首に巻き付く。
隣で見ていた隣国のサイ、光蓮は一瞬、2人が20歳の同い年で幸せそうにお互いを抱き留めている姿がはっきりと見え、はっとした。
サイである彼女は、人の業の深さを知っている。
過去の想いの残滓が、彼の『こころ』に秘めた熱い想いと、彼女に残っていた想いのカケラ、それらが互いに干渉し昇華して、六感のある自分に幻を見せたんだ。 彼女はそう結論し、2人を見ると既に幻は失せ、現実に戻っていた。
現実はとても残酷だ。 光蓮は目を逸らせた。