終;深い霧の先へ(1)
*終
その公園は市街地の真ん中にあり、公式には『人口密集地帯指定公共遊地標準甲型』と呼ばれる。 つまりは在り来りの都市型広場と言う代物。
大体10万都市以上に創られ、ほぼ2キロ四方に一ヶ所の割合で存在する。 概ね200メーター四方、有料男女トイレ2ヶ所、水飲み場3ヶ所、四方は桜か銀杏の立ち木、ツツジや茶の生け垣、芝生の広場を数ヶ所、広さの割に少ない4人掛けベンチ2ヶ所という構成。 遊具などはない。
ただ広い平坦な空間だけがある。 これは人員点呼や集会を催すにはちょうど良い環境と言える。 『およそ800名が起立して指示を受けるに丁度良い大きさとする事。』 内務省の省令にはそうある。
長い冬が漸く立ち去って行く足音が聞こえる様な朝だ。 夜の間冷え切った空気に入り込む、南からやって来た湿った数度高い空気が生み出した霧。 濃霧は春の風物詩、桜が散る頃まで当たり前の朝の光景だった。
明けて間もない午前6時。 その濃霧の中、一台のワゴンが公園前に停まる。 すると続いて後ろからパトカーが徐行しつつやって来て、ワゴンの後ろに停まると、制服姿の2名の警官が降りて来る。
年上で背の低い方がコミュニケーションボード片手にワゴンのバックナンバーを調べると軽く唸って、若く背の高い方に耳打ちする。
「『あ』ナンバーだ。 お仲間か軍か首相か知らんが。」
若い方は幾分心臓が高鳴るのを意識すると、年上が後方に廻り援護の態勢に入っているのを確認してから、ワゴン車の前右側ドアガラスをノックする。 ガラスが下がると若い警官は、
「おはようございます。 地区警察です。 すみませんがIDを。」
運転席に座る男は無言のままカードを警官に渡す。 若い警官はカードの写真と運転席の男の顔を見比べた後、薄い青のカード/政府職員、06で始まる10桁の数字/軍関係、を見てカードを後ろの年上に渡す。 受け取った警官はIDカードをボードの読取りスロットに差し、ペンでエンターを叩く。 小型の液晶表示に、微かに顔をしかめた年上の警官はカードを取り出すと、若い相棒を押し退ける様に窓の横に出て、
「中佐殿、ご出勤ですか?」
運転席の男は差し出されたカードを受け取ると、
「いや、夜勤明けだ。 0500に明けた。 今日は待機でね。 そのまま官舎に帰るのも憂欝だったので、少し走り続けていた。」
「そうでしたか。 お引き止めして申し訳ありませんでした。」
「いいよ。 少し休もうと思ったんだ。 いくらオートドライブと言ったって本当に寝てしまっては君たちを困らせる事になるからね。」
年上の警官はお愛想で笑いながら、
「皆さんが中佐殿と同じ様に遵法主義でいらっしゃれば、私たちも楽なんですがね。」
「それはご苦労様です。」
「いや、お邪魔しました、お休みなさい。」
「お疲れ様。」
2人の警官は敬礼するとパトカーへ帰る。 中佐はそれをミラー越しの目線で追ったが、2人がパトカーに乗り込むと座席に身を沈め、目を閉じた。
「見ましたか? すごいですよ、あの中佐殿。」
パトカーに乗るなり若い警官は年上に呟く。 年上はシートベルトをしながら、
「確かに物騒な目をした旦那だな、朝霞の長官直属だぞ、そりゃ歴戦の勇者だろうよ。」
「当たり前じゃないですか、勲3等瑞宝章の略章、普通退役する将軍が貰う勲章ですよ? それを現役の30そこそこの中佐で貰ってる。 通常の略綬は7種、戦傷章2つ、湾岸にコロンビア、コンゴの参戦記章までありましたからね、昔なら軍神ですよ。」
「マニアだなお前も。」
「憧れているだけですよ。」
「こっちじゃなくあっちに入ればよかったのに。」
「受けましたよ、防大。 落ちたんで警大に入ったんです。」
「やれやれ、お前の様なディレッタントだらけだよな、最近のウチは。」
「悪かったですね、オタクで。」
「さ、油売ってないで行くぞ、次はパターンDで行く。」
「了解。」
若い警官は、ハンドルの横からフレシキブルケーブルで伸びているマイクに、
「パターン、デルタ、実行認証。 なな、ごぅ、はち、はち、にぃ、はち、さん。 エンド。」
≪認証されました。 実行しますか?≫
女性の声が問うと、
「実行せよ。」
≪発車します、お気を付け下さい。≫
オートドライブがブレーキとギアを操作し、ハンドルが右に切られ、それぞれ左右を警戒する2人の警官を乗せて、パトカーは巡邏に戻って行った。
パトカーの回転灯が霧の中へ消えたと共に、中佐はアクセスを解き一息吐いて目を開ける。
― 君が思うほどの勇者じゃないよ、オカモト君。 こんなモノは上の優越感が与えるもの、貰えば貰うほど雁字搦めになるだけさ。
中佐は現れない表情の下、二重防御の奥で苦笑すると
― そんな世界に入れなくてよかったな。
ワゴンのエンジンは掛けたまま、フォグランプとリヤフォグを点灯し、うっかり者の早朝出勤者に追突されない様にしている。 空調は切って窓を少し開け、制服のポケットからタバコを取り出し火を点ける。 煙を吐き出すとフロントグラスに手を伸ばし曇ったガラスを手で拭う。 霧は5メートル先も見えない濃いもので、フォグランプが反射して数え切れない水蒸気の渦が次々に生まれては消えて行く様を見せている。
タバコを銜えハンドルに凭れ、流れては寄せて来る霧の波を眺めている中佐はふと、子供の時の事を思い出す。
あれも深い霧の中、饒舌だが薄情な養育官に手を引かれ、林の中、道を外さぬ様にゆっくりと歩いて行く。 霧は音を吸い、上から聞こえる養育官の息遣いが籠って聞こえる。 ほら、あそこ。 養育官が指差す先、投光器の光が日輪の様に輪を作り、やがて見えて来る人の影。 アノラックに水滴がびっしりとついて、その冷気で身体が震え出しそうな春。 4歳の自分は冷たい手をした中年女性に手を引かれ、物々しい警戒を続ける特殊部隊の兵士の間を抜けて、自分が初めて仕留めた『獲物』を確認するために―――
― 来た、か。
頭の中、チクチクと痛みを感じる。 強力な能力者がシールドを『ノック』する音といったところだ。 中佐はシールドを解くと、
<誰か?>
<中佐。 そこにいますか?>
<ああ、いるよ>
<お一人ですね?>
<一人だ>
<周囲に脅威はありません。 中佐を職質したパトカーは2キロ先、サイは我々だけです>
<分かった>
<今から公園に入ります。 中心に向かって歩いて行きますので>
<私も行く>
中佐はエンジンを掛け点灯させたまま車を降りる。 オートロックの音がすると車は自動的に省電力モードとなり、エンジン音が低くなった。 湿った風に霧が流れるが一向に消える気配は無く、却って白い紗が幾重にも迫って来るかの様な圧迫感と息苦しさを感じる。
中佐はタバコを側溝に投げ込むと芽吹き始めた生垣に沿って歩き、公園の入口を目指した。





