7;変わること、変わらないもの(5)
午後10時を廻り、東北方面自動車道には輸送車両と軍関係、警察関連車両ばかりが目立っていた。
兼田は無音で赤い回転灯だけを回していたが、次第に彼らの四駆以外にも回転灯が目立ち始め、隼人たちに対向する上り車線は正しく回転灯の洪水だった。 サイレンを鳴らし優先道を疾駆し一瞬の内に消え去って行く緊急車両。 左側車線を行く4トンや11トントラックに混ざって青い回転灯を点けて走る自治軍の兵員トラック。
そして見物だったのは延々と続くのではないかと思う様な異様な車列。 暗いオリーブ色の防水シートに包まれた巨大な『塊』を乗せた戦車輸送車の車列が12輪を軋ませ、途切れることなく1キロに渡って連なって行く。 その横を並走する八輪の偵察装甲車には、ハッとする様な美人士官がハッチから上半身を覗かせ、規定ギリギリに伸ばした髪をヘルメットから靡かせ、思わずスピードを緩める下り線の車に笑顔を向けていた。
緊急車両の赤い回転灯、ブレーキ灯の赤、軍や自治軍車両の青い回転灯。 これらが入り交じる様子を眺めていると隼人は、何か政治的な祭典のフィナーレでも見ている様な、妙な気になって来た。
サイレンを最大音量で響かせながら、後方から飛ばして来た地方警察の追跡警戒車に道を譲った時には、通り過ぎるナカジマから挨拶代わりのハザード点灯を受ける。
隼人には、その黄色の点滅が、辺りに溢れる赤と青の中で唯一、真実を伝える信号の様な不思議な光に見えた。 その魔術的な暗示は、何かが起こる前兆の様にも思えて来る。 精神は鋭く尖って行き、視界は益々澄んで行った。
こうして隼人の五感は夜が更けるに従い、どんどんと研ぎ澄まされて行く。 その力強く頼もしい安定感、全てを見通す事が出来そうな程の自信が隼人を満たし、精神は六感に訴え、能力は見るもの聞くものに全て意味がある事を教え、光り輝くそれらが放つ詞が全て『こころ』の一点に集約して、そこで眩しく爆発的に光輝き、目を細めないと見ていられない金文字を浮かび上がらせている。
シ・ノ・ダ・エ・イ・コ、と。
「もう直ぐだ。 次のインターで降りる。」
エンジン音に負けまいと声を張った兼田の声を認識した隼人は、さっと現実に戻る。
車は左に寄って斜路を降りて行き、赤と青の競演から一転、ナトリウムのオレンジと水銀の白だけの世界に入る。
インターは空いていて、彼らの前には3台の貨物トラックだけが並んでいて、それらは料金ゲートを出るとそれぞれの目的地へと消えて行く。 彼らはゲートに隣接した四車線の国道に入り、中央線に沿って疾駆した。
15分過ぎて停まったのは、頑丈なフェンスとぎらぎら輝く水銀灯の光が目立つガソリンスタンドで、隼人が問い掛ける前に兼田は、
「ここじゃない。 車が腹減ってるんだ、ついでにこちらはタンクを空にする。 あんたもそうしろよ。」
武警の四駆に給油するのには少々手間取った。 管轄外の車両へ給油するに当たり、スタンドの職員 ―― ガソリンスタンドは公立なので公務員だ ―― は兼田の出張許可証だけでは満足せず、押し問答があった。 中年の職員は、地元の武警の許可がいると言い張り、仕方なしに兼田がある電話番号を教え、職員がそこに掛けてから漸く満タンにして貰ったのだ。
「くっそ、漏れるところだったぜ。」
と、これはトイレから出て手を洗いながら隼人へ、
「後20分といったところだ。」
兼田の予告通りに20分後、4階建てアパート風の白い官舎群が彼らの目の前に広がっていた。
どこの施設でもそうだが、有事に備えて出来る限り標識・看板類を省略する国の方針のため、ここにも看板やサインはない。 しかし隼人は、たちまちこの場所に通い慣れた親近感を覚え、ざっと捜索しただけで正確に彼女の居場所を特定した。 彼女は起きている。 その存在がまるで遠くの焚き火の様に、その方向から微かな熱としてはっきりと感じられた。
今まで、あの橋にいた時からサーチはやらなかった。 兼田を信じていたせいもあるが、探ってもし彼女がいなかった時、そこで夢が覚めてしまう様な、そんな非現実な感覚に怯えていたのだ。
夢でも構わない、そこで彼女に会い、相手が理解しようがしまいが、さようなら、と言ってしまいたかった。 夢なら、夢が覚めるのはそれからでいい。
隼人が拳を握り締め、立ち尽くして官舎を眺めているのを兼田は黙って見ていたが、やがて、
「いいか、ここでおとなしくしていろよ。 今、段取りを付けて来る。 いいか、あんたは臨時に武警へ派遣された特殊部隊の士官だ。 木更津のIDは持って来ているよな?」
「ああ。」
「なら今夜はそっちの顔でいて貰おうか。」
「分かった。」
「それと、接見中は彼女にアクセスなんかするな。 その途端、色んな所からわんさと保安関係者が押し寄せて来るからね。 誇張はしてないぜ?」
「分かった。」
「じゃ、どこにも行かず、ここで待っていろよ。」
兼田は制帽を被り、真夜中なのにサングラスまで掛けると、官舎の正門へ消えた。
隼人はタバコを取り出すと火を付け、空を見上げる。 首都圏より澄んだ夜空に白鳥や蠍、鷲や竪琴などが煌びやかに瞬いていた。 この辺りにはこの官舎群位しか明るい場所がない。 星を見るにはちょうどよさそうだ。
11の歳、初めてキナ臭い土地へ送られ、今一つ信用出来ない現地軍と共にゲリラと戦った。
その時隼人が所属した『軍事顧問団』の軍曹が、こうして空を見上げ、様々な星座の形や星の物語を聞かせてくれたものだ。
もはや遥か昔に思える。 あの空とこの空では随分違う。 勿論、緯度が違うので、あの時見えていた十字架や伝説の冒険船は見るべくもないが、そんな実存ばかりでなく、心象も全く違って見える。 もう遥かに遠い昔の話だが・・・彼は車の脇、車体が官舎を照らす水銀灯を遮る位置に腰を降ろし、タバコをゆっくりくゆらせながら、天を仰いで星を眺め続けた。
10分後、兼田がもう一人、制服姿の警備員を伴って帰って来ると、
「新開中尉、待たせたな。 では頼む。 『参考人』を集会室に呼んで貰った。 用意はいいかな?」
「ああ、いいよ。」
「では、行こうか。」