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7;変わること、変わらないもの(3)

 


 『こころ』の痛みは中々消えない。


 外科的な身体の痛みはいつかは消える。 残るのは傷であり、場合によってはそれが勲章になり、一生の自慢になることすらある。


 しかし、逆に痛みは去っても、この傷を見る度に思い出す記憶が人を苦しめる事がある。 彼にとって彼女の思い出は傷であり、『こころ』に残った鈍い痛みになった。


 あの武警の中尉はその後、隼人の許を度々訪れ、無駄話をしては突如切り上げて帰って行く、そんなことを繰り返した。 彼が住んでいる多摩制限地帯の保安・警備に責任を持つ制限居住区警護隊に籍を置く訳なので、受け持ち地域内の問題児を不定期に観察すると言う事なのだろうが、あの中尉は彼女の思い出を引き出すキーになっていて、彼と会話を交わした夜は必ずと行ってよい程に彼女の夢を見た。


 時間が癒すと言う。


 人間は忘れる事で新たな情報・知識を貯えるので、不要となった情報や知識は褪せて消える、従って不要どころか害をなす過去のトラウマは時間が癒してくれる、と。

 だが、サイは人の精神を覗き犯すので、その記憶の傷は『こころ』の奥に大切に保管されてしまい、事在る毎に浮かび上がっては、再び本人を傷付ける事を知っている。 サイのお陰で精神医療や医学は飛躍的に向上した程なのだ。 その張本人である彼の『こころ』の傷を癒すものは誰もいない。


 勿論サイは彼だけでない。 だが医者が自身の病気に無頓着であるのと同じで、彼も仲間からカウンセリングを受けようとは思わなかった。 その痛みは彼だけのもの。 彼女の思い出を傷として残すしかないのなら、それでも構わない、とさえ思う。 

 しかし、その痛みにのたうち回る様な思いを抱え、眠れずに天井を見つめる時、彼はこの痛みといつかは決着を付けなくてはならない、とも思うのだった。


 彼女の居所は半年後に解った。 


 最初の喪失感の痛みが鈍いものに変わった頃から、彼は独りになる時間毎にここは、と思った場所を虱潰しに捜索サーチし出した。 手始めに最悪の事態から想定した。 兼田を信用する、しない、というより彼が知らずに狂言回しにされている可能性を考慮した。 彼の言っている事がすべて真実とは限らない。 近隣の警察、武警、公安の施設や刑務所、拘置所を当たる。 こういう捜索は時折やらされるが、今回は目標をよく知っている代わりにどの辺りにいるという情報がない。 1ヶ月ほどで全国の主要な施設は当たり尽くし、彼女が監禁状態にはなさそうな事を確認すると、隼人は次の目標、制限区内にある官舎の類に取りかかった。


 別れの言葉も交わさずに去ってしまった。 


 その想いは日増しに強迫観念に近いものとなり、日課の様なサーチは夜更けまで続いた。

 彼は彼女を見つけるまで止めるつもりはなかった。 彼女に会って、ありがとう、と言い、さようなら、と声を掛ける。 それが自分の痛みにけじめを付ける最良の方法だと考えたのだ。 


 見つけ出す事は簡単な事ではないが、相手が国内に居ればワラ塚の針よりは山の一本の木位にはなるはず。 やがて捜索サーチは人々が寝静まった就寝時に行う様に習慣付けられた。 相手が眠ればますます気配は希薄になり、捜索は困難となるが、逆に寝ていなければ、この制限区の施設の様に闇に輝く印となるからだ。

 彼女も眠れない日もあるだろう。 薬による記憶の改編はその後遺症として、不眠症がその一つに挙げられている。 その僅かな可能性に彼は賭けた。 そして・・・遂に賭けは成功した。


発見コンタクト


 やはり、寝付かれないようだった。 東北の中心都市、郊外にある制限区の官舎。 特に監視はされていないように思える。 しかし、思考潜入は止めた。


 既に彼女の記憶の改造は完成し、彼の事をほとんど覚えていないだろう。 精神だけで会い、別れのメッセージを彼女の精神こころへ置いて行く事は出来る。 しかし彼女が彼の記憶を消失しているので、彼女がどんな反応をするのか、全く予断を許さない。

 彼にはおぞましい経験がある。 深層心理に手を入れ、過去の一部の記憶を消失された人物が、消された記憶に関連する情報をサイによる思考潜入で消えた記憶の空間に上書きされ、微かに残滓していた想い出のカケラとループ状の相対連動を起こし、記憶の矛盾に対応し切れなくなったその人物の精神こころが限度を超え、挙げ句、狂気に陥ったのを目撃しているのだ。 彼女はリバーサーでもあり、どんな影響が生じるのか、全く読めなかった。


 捜し出したものの、次をどうするか、彼には手がなかった。 会って、区切りを付けたい、そうは言っても上が許可するはずはない。 また、勝手に事を起こせば大事になるのが目に見えている。


 結局、何も出来ないまま、月日を重ねる事になった。 未練がましいと言うことは分かっている。 何一つ出来ないのなら、忘れるより他にないのだから。


 それでも彼は、時間があれば彼女に会いに行った。 まるで背後霊の様に彼女にまとわり付いた。 夜、彼女の寝室でじっと彼女を見つめていた事も一晩や二晩の事ではない。 そのまま夜が明け彼女が起き出すまで眺めていた事もあった。


 無論眺める、と言っても本物の目は身体に置いて来ているのだから、実際に見ている訳ではない。 彼らサイは精神こころでものを見る場合、温度差、すなわち熱や、象自体が持つパワー ―― 三角錐が持つという力が最も良く知られている ―― で実際の光景を、『心理の壁』に投射する。 静止画や映像の様に、鮮やかに浮かびあがる時もあれば白黒の濃淡や揺らぐ湯気や霧の様に形を成さず、影が行き来しているだけの時もあり、条件や環境で実に何百種類のパターンがある様だ。


 彼女を見る場合は、いつも紗幕の向こうにいる様な、曇りガラス越しに見ている様な、そんなぼやけた世界でしか象は浮かんで来なかった。 それでも、眠れない夜に彼女が何度も寝返りを打ち、溜め息を幾度も付いて無理に眠ろうとしている時、彼はそっと彼女に寄り添い、『こころ』の腕を伸ばし、彼女の顔に触れ、短めの黒い髪 ―― 勿論染めた髪だ ―― を撫でた。 当然感触はない。 宙に浮いたホログラムを触る様な虚しさがある。 それでも彼は時間さえ許せば夜毎彼女の許を訪れた。 自分が彼女の守護神となったかの様に、彼女を見守ることだけしか出来ないまでも。


 どうしても止められない博打を打つ様に、彼は『こころ』に冷え冷えとしたものを抱え込みながら、ずっとそこに立ち尽くすのだった。



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