7;変わること、変わらないもの(2)
「それで話、は?」
「そうさな・・・『何も要らない』、と啖呵は切っても、内心は納得出来ないだろう? でも人間、腹は減るしクソもする。 とりあえずは、落ち着いたかい?」
隼人は無表情に、
「何が?」
兼田は笑って、
「心配するなって、何も仕掛けてない。 ああ、これ、点けるか?」
兼田はグローブボックスを開けると中の黒い装置を見せ、
「ただ、こいつを点けるとあんたも俺の頭の中、覗けなくなるが。」
隼人はまだ兼田に思考潜入していなかったが、それを聞いて思わず笑みを浮かべた。
「武警の中尉さんにしては、随分と色々知っているんだね。」
兼田も笑顔で、
「一介の技術中尉が色々知っている様にね。 もっとも19で中尉、って言うのは珍しいが。 俺は30目前でやっとこさ中尉さ。 『FIVE−A』は、とあるおエラいさんが酔狂で付けたんだ、俺の実力じゃないよ。」
「分かった、真面目に尋問を受けるよ。」
「尋問じゃないさ、話をしたいだけだと言ったろう?」
兼田はそう言うと、視線を窓の外へやり、
「まあ、人の好き嫌いってやつは、どんなに押さえ付けても心底消し去る事は出来ないわな。 不粋な話だが今の世の中、そんな我慢で成り立ってやがる。 俺は白を黒と言え、とやるお上のお先棒担ぐ組織にいるが、そんな俺でも、時たま、無情さに遣る瀬なくなるものさ。 信じられないだろう?」
「いや、あなたならそう言う事もあるだろう、と思うことにするよ。」
皮肉を籠めた隼人の口調に、なんと顔を赤らめた兼田は、
「あ、スマン。 前口上は余計ってことだな? じゃ、本題だ。 俺の仲間を撒いて一晩山で過ごした。 これで気は済んだんだろうね?」
「済んだ、と言ったら嘘になる。」
「まあね。 そうだろうよ。 本音をありがとう。 但し、他のヤツにはそんな事言うなよ。」
「分かっている。」
「まだ俺たちと追い駆けっこするつもりかい?」
「これ以上やったらそちらも大変だし、僕もタダでは済まなくなりそうだからね。 今後は大人しくするよ。」
「それならいい、助かるよ。 いや、引き留めて悪かったね。 あんたが自分の置かれた立場を渋々認める位に頭を冷やしたかどうか、そいつが知りたかっただけさ、送ろう。」
「聞いてもいいかな。」
ぶっきらぼうと呼べる程の冷めた口調で隼人は聞く。
「なんだ?」
「彼女はどうしている? これからどうなるんだ?」
兼田は薄笑いを浮かべ、
「何故俺に聞く? 俺は警護隊で防諜や思想統制所属じゃないぜ。」
隼人はじろりと兼田を睨み、
「僕にそう言う事を言っても無駄だと知っているくせに。」
兼田は肩を竦め、少しの間、黙考したが、
「はいよ。 本当は言ってはならんと言われているが、まあ、いいさ。 心配しなくていい。 元気に新しい職場に移った。」
「洗脳して、か?」
「痛いな。 細心の注意を払って、彼女自身気付かない様にしているとさ。 睡眠時心理偏向操作、とかなんとか言うヤツだが、俺は専門でないから詳しくは知らん。 もう完成段階らしいよ。 本人も全く気付いた様子はないそうだ。」
睡眠時深層心理偏向操作。 薬に頼る場合と『ラビリンスプログラム』と呼ばれる催眠誘導があるが、果たして奴らは薬を使ったろうか?
暗示を何層にも渡って複雑に仕掛け、特定の記憶に鍵を掛けたり、別の記憶に置き換えたりする『ラビリンスプログラム』は、解放戦争が終わった60年頃から始められたという。 長い間催眠術師と精神科の医師が行なって来たが、最近ではサイが行なうケースが増えていて、隼人もさんざん手伝って来た。 引き替え、薬物対症法はストレートに記憶を破壊し、忘れさせる。 例えるなら部屋に何重にも鍵を掛け侵入出来なくするラビリンスプログラムに対し、薬物対症法は部屋そのものを吹っ飛ばしてしまうのだ。
やったはずだ。 ラビリンスプログラムではそれを熟知する隼人なら鍵を開けてしまう可能性がある。 キーワードやキーパターンを読み解かねばならないが、可能性はゼロでない。 ならば奴らは薬を使ったに違いない。 そして薬は・・・。
ハヤトの葛藤を兼田は穏やかと言ってよい表情で黙って眺めていた。 やがて隼人は、
「彼女はこれで何か不利益になる様な事はなかったのだろうか?」
兼田は肩を竦め、
「不利益とは見る人間によって随分変わるからな。 彼女が今まで以上に管理下に置かれ、観察監の目に常に晒される様になった事は不利益だろうか? 目が届かないと何か外れた事をしでかす者は、いつかは裁かれるものだよ。 そうなる前に踏み止まるため、観察監がいる、そう思えばそれは不利益ではない。
仕事の内容が機密を扱う情報センターから、同じ書類でもレベル・ツー以下の戸籍やら土地台帳やらを扱う部署に異動したのも、不利益と呼べるものではない。 返って仕事は楽になったのだからね。」
兼田は腕を組んで彼の目を真っ直ぐに見つめる。 その声は次第に真摯となり、何か熱いものを含んでいる様に聞こえる。
「あんたを知る前の彼女はどうだった? 幸せだったろうか?
夕日を眺め、想像の範疇でしかない異界に憧れ、現実に絶望していたのではなかったかな? あんたに出会う事で、彼女は通常のリバーサーではありえない、本当の意味での二度目の青春を味わう事が出来た。 普通の人間では絶対に味わう事が出来ない感情だよ、羨ましい限りだとは思わないかい?
その幸せが彼女に記憶されないのは残念だが、聞くところによると、何か懐かしい感じや楽しい一時と言った、漠然としたものは残るのだそうだね。 それをして、彼女は以前より幸福になった、と思うのは間違いだろうか?」
兼田は口を閉じると腕組みを解き、身を乗り出し、彼の顔を覗き込む様にしながら、視線を外さなかった。 やがて隼人は、兼田の目を覗きこんだまま、
「官舎に帰っていいかな。」
そうぽつりと呟いた。 兼田は、
「もちろんだ。」
そう言って隼人の肩を叩くと、一旦ドアを開け、外に出た。 アイコンタクトで部下に合図すると、運転席のドアを開け、シートに座ってドアを閉じると、ゆっくりと走り出した。 後ろから部下がもう一台で付いて来る。 兼田は考え込む様子の隼人を時折ミラーで見たが何も言わなかった。
隼人の官舎は、高い塀に囲われた広大な敷地の中にあった。 兼田はゲートの門衛にひらひらと身分証を振って見せ、さっさと入り込む。 ここは、政府公用地にある諸施設に働く独身男女のための寮で、所属により棟分けがされていた。
隼人の部屋は軍の開発・実験施設に勤務する士官が入る棟にあり、最上階の6階の角部屋、勿論個室で、その階では最も若く、唯一の尉官だった。
何の表示もないコンクリート打ちっ放しの建物の前に、ぴたりと寄せて四駆を停めた兼田は、自分独りの世界に浸っている様に見える隼人に、
「着いたよ。」
と声を掛けた。 しかし、隼人は目を閉じたまま動かない。 兼田も心得たものでハンドルに手を掛けたまま、じっと前を向いていた。
2分は過ぎた頃、隼人が身じろぎし、兼田がおもむろに振り返ると、
「ありがとう。」
「いや、礼には及ばない。 給料の内さ。」
「そうかな? あなたを寄越した人は出来た人だね。 それとも、あなたは自分から志願して来たのかな? どちらにしても、他の人だったらもっと嫌な思いをしていたと思う。」
兼田は照れた様に笑い、
「そう買い被るなよ。 煽てても何もないからね。」
すると隼人は改めて、
「兼田さん。」
何を見ているのか、窓の外をじっと見つめる隼人に兼田は、
「なんだい?」
「あなたは不思議な人だね。 自分ではこれっぽっちも信じていないことを教条的に語る。 そんなあなたを見ていると、まるで自分に言い聞かせている様にも見える。 気付いているかな?」
普通に取るなら隼人の強烈な皮肉、しっぺ返しと考える。 しかし、兼田は怒る事も笑い飛ばす事もせず、ただ一言、
「嫌になる位、知っているさ。」
と低い声で言った。 その顔は、まるで死に際した老人の様に、全てを諦め全てを惜しむかの様な、何とも哀しげなものだった。 隼人はそれ以上何も言わず、自らドアを開け、自分の官舎へと歩いて消えて行った。