6;なにも、いらない(5)
はっと空気が張り詰めるのがわかる。 当事者が『ルシファー』の釈放に言及するのはこれが初めてだろう。 人々の反応に気を良くしたのか、少佐は四方山話でもするかの様な気安い態度で続ける。
「我々はナチスやソ連ではないよ。 証拠もない者を何時までも拘留し続ける事などしない。 我が国は民主主義国家だからね。」
軽口が反対に重い現実を浮き彫りにする時がある。 今の言葉は正にそれで、苦笑したのは言った本人だけだった。 余り威厳を失ってもいけない。 少佐は口調をがらりと変え、この男の尋問は受けたくないな、と居合わせた者に思わせる冷たい口調で、
「最近は人権擁護派とか言う偏った思想をお持ちの代議士の先生が随分とご活躍の様子で、各所で様々な弛みや歪みが生じているが、軍や武警も例外ではないな。
不倫あげくの拳銃無理心中やら麻薬常習やら密輸に係わる海軍士官等、マスコミを押さえ切れずに明るみに出て、ゴシップを提供するのは大抵軍や警察だ。 ああ、君らの言いたい事は良く分かる。 責任ある防人のゴシップほど情報に飢えた庶民には格好の餌、そんな奴は本当に例外で、公務員の他の部署の方が割合的にはひどい、とまあ、そんなところだろう?
だがね、私に言わせれば、軍・警察にいるものはすべからく後ろ指を差されてはいかんのだ。 当たり前だろう? 誰が国を守るのだ? その守り手は一点の曇もない事で国民の期待に応え、それが大国の狭間で対等に渡り合う我が国の力となる。
国・民・軍が互いに信頼し合い、誠実に科せられた義務を負う。 共産主義の、国イコール党の様な一党独裁や、行き過ぎた資本主義の、大企業のエゴと拝金主義で動くカイライ政府等は、一致団結した我が国の敵ではない。
その根幹を揺るがす自己中心主義者、エセ平和主義者は断固排斥しなくてはならない。 我々はそのためにいるのだよ。」
少佐はジロリとねめ回すが、国家の正論に対し、公務員である彼らのこと、反論する者や視線を合わす者などいる訳がない。 唯一、隼人だけが少佐を見つめていたがその顔は全くの無表情、否、悟り切った顔とでも表現すべきか、どこか超然としている。 その顔を、笑みを浮かべながら見ると少佐は彼に、
「君は彼女の事を『お姉さん』と呼ぶそうだね、新開中尉。」
「一体、誰の事をお話しですか?」
「すまん、竹崎事件の連座容疑で現在取り調べ中の飛鳥中佐の事だ。」
「ええ、プライベートではそう呼ぶ事を許して頂いております。」
「何故かな? 君の遺伝子が彼女の一部から創られたからかね?」
「そう言う事もありますが、幼い時から良くして頂いていますので、その感情からと言った方が正しいとお答えします。」
「そうかね。 確かに国家の最終兵器とも称される君たちだ、仲がよい事は申し分のない事だがね。」
少佐は意味ありげに言葉を切ると、
「時に君は、竹崎兄弟を知っているね。」
「グリックの主任研究者であるお兄さんの教授とは、グリックとの関係で幾度も顔を合わせた事があります。 弟の進氏とは『エンジェル』掃討作戦の折、『木更津』、いや特殊作戦本部の特務チームに一時参加していた関係で、2度ほど指揮下で働いた事があります。」
「なるほど。 では竹崎進の裏切りと失踪は全く予知出来なかったのかい? 私はそこが不思議なのだよ、君らは未来予知をもモノにすると聞いているが、その割には――」
すると管理官が話に割って入り、
「これは竹崎事件の尋問でしょうか? 新開中尉は何度も少佐のお仲間に尋問され、調書も取られました。 事件の尋問再開であれば公式な令状をお見せ頂けないでしょうか。」
すると室長も後を受け、
「再来月にはいわゆる竹崎事件の裁判が、容疑者欠席のまま行なわれ、新開中尉も証言台に立つ予定になっている。 『朝霞』、ああ、国防本庁より、事件関連の発言は一切するな、との指令も出ている。 これ以上の発言は上の許可無しでは難しいと考えるが。」
元来、軍とその傘下はこの少佐の組織を蛇蝎の如く嫌っている。 軍人や警察官を疑いの目で見て、その腹を探り、軍ではないのに軍と同じ階級制度を持つ内調の事を、軍人たちはKGBやらゲシュタポやらと散々に陰口を叩き、火花こそ散りはしないが対立の構図は明確だ。
少佐は何か傷付けられたかの様な表情を浮かべると、
「それは申し訳なかった。 この質問は、私の立場をきちんとさせてから後日改めて伺うとしよう。 さて、今日来たのは、その問題のためだけではない。」
少佐は隼人に向き合うと、
「我々は軍のブラックについては与り知らない。 計画の進捗や成功は軍の責任だし、ある意味、それに参加する人員の風紀や規律も軍の責任だ。 たとえ隊内での規律の乱れによって計画が損なわれたとしても我々が出張るには及ばない。 君たちは君たちのルールで処罰を行なうだけだ。
しかし、それが外の組織や構成員に関わり、阻害要因が複数の組織に伝播するとしたら、我々の仕事となる。
新開中尉。 恋愛に関しては法令を遵守するのであれば何ら問題はない。 警察諸君がイタチごっこの様に取り締まりを繰り返す風俗犯罪に関しても、だ。
これは個人的意見だが、あれは取り締まろうにも絶対に根絶されないものだからね。
しかしだ。 君が通っていたあの女公務員は、君も知っての通りリバーサーだ。 しかも政府の機密情報を扱う部署に勤務していた。 君自身、軍の機密機関に於いて国家の最高機密そのものとして存在している。
確かに、お2人とも成人した健康な独身男女で、実際の歳が40離れていようとそれは問題なく、その仲を裂くのは野暮の極致だよ。 だが、君らが所属する組織は気に入らんらしいな。
いや、正確には君が接するこの『工場』や『木更津』は目くじら立ててはいない。 しかし、『朝霞』はそう思ってないようだ。
彼女の組織の方は最初、無視を決め込んだ様子だが、君の素性が―― と言っても5Aクラスの機密に関わっている、と言う事が分かっただけな様だが―― びびってしまい、上の官庁も泡を喰ったらしい。
そう言う次第で、君らの仲を、野暮を承知で終らせる決定が下された。 昨日の、橋での茶番劇はその決定の波紋の様なものさ。 どうかね、これでお分りかな?」
隼人は、ふと天井を見上げると少佐の目を見つめ、
「よおく分かりました。 火遊びは2度と致しません。」
明らかにほっとした空気が流れる。 室長は微かに吐息をつき、管理官は額の汗を拭いた。
少佐は満面に笑みを浮かべながら、
「見事に即断即決だね。 ありがとう。 何よりも義務と規律を優先する若者を見るのはいつでも清々しい。 いや、ありがとう、何か代わりに要求があったら話したらいい。 そこの室長を始め、朝霞だろうがどこだろうが何も拒まないだろう。」
少佐は片目を瞑って見せるが、隼人は無表情に戻り、呟く様に答えた。
「いいえ。 ・・・もう、何もいりません。」