6;なにも、いらない(2)
「おや、知らない?」
「聞いた事がありません。」
「歳は19。 身長181、体重74。 顔はやや三角形、鼻はやや小さく、目は大きい。 筋肉質で右上腕に銃創があり、左肩から肩甲骨に掛けて斜めに傷がある。」
男は彼女の目を真っすぐに見て、
「どうだね? 思い出したかね?」
素直に言うのが身のためだったが、そこで更に彼女の天の邪鬼が顔を出す。
「知っているかどうか、そんなに大事ですか? お見受けするところ、公安か武警の思想犯罪セクションの方と思いますけど、貴方がそう考えていらっしゃるのなら、それでいいじゃないですか。 どう転がってもクロはクロなんでしょう?」
「このアマ、舐めるなよ!」
今まで黙って座っていた一人の男が吠える。 真正面に座る男は軽く吠えた男を肘で突くと、
「度胸も座っている。」
苦笑を浮かべると、
「では肯定したとしよう、その隼人と君はいわゆる男女の仲だ。」
彼女はただ前を静かに見ている。 真っ直ぐ突き刺す様な視線は、反抗の印と取られても仕方がない愚かな行為だったが、男はリバーサーという存在を良く知っていたので、彼女の想いは手に取る様に分かった。
彼女に限らずリバーサーは法の下、全て例外なく国に収監され統制下に置かれる。
個人差あるものの、大概は40前後でリバースするので家族や仕事、彼らにとってかけがえのない全てをリバース睡眠中に失う事となる。 リバースした人間から見れば、ある日突然意識を失い、目覚めたら一切を失っていて、犯罪者の様に施設に閉じ込められている自分に気付く、という理不尽極まりない経験をするのだ。
だからエンジェルなる組織、リバーサーを違法に連れ出し家族共々国の捕縛から逃れさせる者たちが暗躍する余地がある。
しかしエンジェルと言えど、全員逃がせる訳はない。
この彼女の様に、やり場のない怒りや絶望を秘めたまま従順に国が定める第二の人生を、正に折り返し地点から歩んで行く者がほとんどなのだ。
そこで、この男たちがいる。
彼女が数ある公安関係の内の何れかと考えた男の所属は、彼女が未だに恨みの対象とするグリック、幻歳者救護支援中央委員会だった。 そこの保安部に籍を置く男は、軍と武警からの出向で成り立っているこの組織でリバーサーの動向統制を任され、研修終了後グリックを出て、国の機関や大企業などで働くリバーサーたちの不穏な動きや風紀に目を光らせている。
全国に散らばるおよそ7万人のリバーサー全ての動向を、彼を含めてたった5名の人員で担当しているが、彼は人員が不足していると考えた事はない。 何せこの国は、東側より効果的な対人監視システムがある。
隣人が隣人を監視する単純なもので、素晴らしいのはそれをほとんどの人間が自らの義務として疑いもなく果たしている、と言う事実だった。
東側諸国にもある同様の組織と決定的に異なるのは、この、国民全てが感情思想を二の次に、これが必要悪だと認識する点だった。 それほどこの国の戦後は厳しいものだったのだ。
「篠田さん。」
実に穏やかに男は話し出す。
「回りくどいのはお嫌いの様なので率直に話しましょう。 新開という青年は、国にとって大変な重要人物です。 彼とのお付き合いを止めて頂けないだろうか?」
彼女の表情は変わらない。 付き合いを止めろと言われるのではないか、と予測出来ていたし、大抵の事に驚かなくなっていたからだ。
「私に付き合いを止めろ、と言うのは、彼も知っているのですか?」
「今は知らない。 が、何れ近いうちに知ることになりますよ。」
「理由を聞いてもよろしい?」
「先程言いました。 彼は重要人物だと。」
「重要人物は、リバーサーごときと恋仲になってはならない、と言うことですか?」
「そうご自分を卑下するものじゃないですよ。 そうは言っていない。 勿論法律の定めの通り、リバーサーの方々は新たな結婚は出来ないが、内縁関係ならいくらでもいますからね。」
「では、彼では何故だめなのです?」
「重要人物でも飛び切りだからです。 それ以上はお答え出来ない。 よろしいか?」
最後の言葉には有無を言わせぬ刺があり、彼女は知らずに両手を握り締める。 すると膝に置かれた彼女の拳に気付いたのか、男は宥めるように、
「まあ、そう言っても納得はし辛いでしょう。 確かに貴女方は、たまさかの関係ではなく、恋愛関係になってしまった。 それを諦める代りにはならないかも知れないが、何か要望があれば実現するように取り計らいましょう。 この施設に居辛くなるのなら別の仕事を手配しますよ、何でも取り計らうので、どうぞ。」
「何でも?」
「まあ、出来る範囲はありますがね。 ああ、同じ様な青年が必要なら、それでもいいですよ。」
― つまり私は、その程度の女と思われた訳だ。
彼女はそう思ったが、不思議と悲しみや怒りは湧いて来なかった。 そう、もう慣れたから。 それに、と彼女は思う。
最初に彼と寝た時は、それこそこの保安部の男が看做した通り、淋しさを紛らわせようと猫でも撫でるつもりでいたのではないだろうか? だったらこれは、軽薄な私にお似合いの終焉だ。 いい夢を見させて貰った・・・
彼女はくくっ、と笑って見せると、媚びて色気を剥き出にした声色で、
「何でも私の言うことを聞いて、何時でもしてくれる美少年が欲しいわ。」
最初に吠えた若い相方が思わず腰を浮かす。 雑誌のグラビアに載る女優やモデルのピンナップは着衣、肌の露出はご法度、水着姿や胸の露出は取り締まりの対象となっていた時代である。 若い相方が真っ赤になる中、空軍情報局からグリックに引き抜かれた男は笑い出し、彼女は敗北の苦く、重いため息を吐く。
「嘘。 冗談よ・・・何一ついらないわ。」
そう。 私には悲しむことなど何もない。 元に戻るだけだ。
さようなら。





