5;深い森の記憶の果てに(2)
能力者の参加した極秘演習は、函館近郊にある機械化歩兵連隊の駐屯地と、道央の陸・空軍共用の演習場2ヶ所で行われていた。 道央側の白軍、函館側の赤軍 ―― 仮想敵はいつだって赤軍だ ―― とに分かれ、赤軍の司令部中枢をサイの攻撃でどの程度混乱させ、また白軍に有利な『誤った命令』を引き出せるかを確認、逆に対能力者手法を研究するデータを収集するのが目的とされていた。
道央側、白軍の訓練司令部は道央に駐屯する戦車師団司令部に置かれていた。 彼の乗った『審判団』の車はその司令部に乗り付けた。 彼が2人の審判と共に車を降りると、
「随分と早いご帰還だな、ハヤト。」
先月、国防庁の『大改革』で前任者が失脚し、後を襲う形で就任した『木更津』の司令が腕を組み、皮肉混じりに彼を迎える。
「申し訳ありません、しくじりました。」
敬礼しながら彼が言うと、
「言い訳は後で聞く。 来い。」
副官を引き連れ、庁舎の中へと入って行く。 審判はちらっと顔を見合すと、傍から見ても分からないように肩を竦め、一人が歩き出す彼の耳元に囁いた。
「幸運を祈るよ。」
「ありがとうございます。」
司令の将軍は大股に廊下を行き、通りすがりの士官や兵がする敬礼にいちいち答礼し、やがて応接室の一つに消える。 前任者と違って彼を待つ事などしない。
「新開少尉、入ります。」
彼が閉まったドアをノックし、入ると、そこには既に一人の制服を着た佐官と、階級章や所属を示すエンブレムなど一切ない迷彩服を着た背の高い30代女性が一人、座ってこちらを見ていた。
『木更津』の司令は立ったまま、
「エトウ中佐だ。 先月から中央研の連絡士官となった。」
「よろしく、新開少尉。」
「よろしくお願いします。」
敬礼の交換を醒めた眼で見守った司令は、
「演習はまだ続いておる。 私は中央研の『ヒヨコ』たちがモノになるかどうか見なくてはならない。 君たちは反省会でもするんだな。 報告書は2日以内に渡してくれ。」
さっさと部屋を出る司令と副官に向かって3人が敬礼を送ると、閉まったドアを見たままの中佐は、
「この部屋には『試製82式盗聴防止装置』が仕掛けてある。 聞き及びだろうが、まだ正式化されていない最新型の盗聴防止装置で、君らの思考会話もジャミングする。」
言葉尻でじろりと2人を見て、俺に内緒で話は出来ないぞ、と言うメッセージを送った中佐は、
「さて、アスカ中佐の妨害工作が、いとも簡単に決まった訳の分析に掛ろう。」
散々だったその日の夜。
演習用に宛がわれた師団の独身宿舎の個室に一人寝転がっていた彼は、微かなノックの音で起き上がる。
「どうぞ、開いています。」
音も無くドアが開き、これまた音も無く忍び込むようにさっと入って来たのは、あの応接室の背の高い女性だった。
「お姉さん!」
「しぃ!」
女性は指を立てて黙るように言うと、
<盗聴されているだろう?>
その言葉は直接彼の頭の中に響いた。 相手が思考会話に切り替えたので、彼もそうする。
<『眼晦まし』仕掛けたから。 お姉さんも仕掛けたから入って来られたんでしょう?>
女性はライティングデスクの椅子を、これも見事に音も立てずに引き出すと座りながら、
<そうだね、仕掛けたよ。 『カイライ』も使ってね。 でも、いいかい? 最近は連中、アンチ・サイの研究ばっかりやっているからね、破られている可能性も考えた方がいい。 私たちには教えないだろうから>
<うん>
彼は『お姉さん』を繁々と眺めると、昼間の事が頭をかすめ、思わず赤面する。 それは直接『お姉さん』にも伝わり、苦笑するイメージが彼の頭に沁みるように感じられた。
<本当の所、あれはどうやったの?>
<知りたいかい?>
<知りたいね>
昼間、江藤中佐との検討では2人して適当に口裏を合わせ、真実をぼかした内容で中佐を納得させたが、彼自身、『お姉さん』に身体の支配を許した真の理由を知りたかった。
<防御を3重に廻らせていたね>
<函館へアクセスした時のこと?>
<そうだ。 何故3重にした?>
<それは・・・2重では破られる可能性があるから・・・>
<私が参加する事を予測していた、から?>
<参加しない、って言って油断させといて、までは読んだ。 でも、『ブービー』だって凄いのがいないとは限らないからね>
<3重に張るメリットとは、なんだい?>
<普通、2重には張るけど3重はあまり聞かないし、2重より3重の方が侵入を図る相手の疲労も大きいし・・・それに、破った後、相手が脱出する時に痕跡を残す可能性もある>
<なるほど。 それでメリットは享受出来ているのかい?>
<確認は出来ないけど、今までは破られたことはなかった>
<でも、破られた>
<・・・はい>
<上官たちに嫌味はたくさん受けたろうから、これ以上は責めないよ。 ちょっとした復習だ、いいかい? 防御とか防壁とか言うものの正体は、記憶野に置いた無意味な短期記憶や、無理に嘘を誠と信じて記憶した長期記憶の羅列に過ぎない。 記憶は蓄積されるものである以上、普通、年を経た者の方が有利だ。 しかしサイは自在に記憶野を弄る事が出来るので、量的な優位性は打ち消される。 これらは、サイが記憶操作するに当たって覚えておかねばならない基本だ。 そうだろ?>
<そうだね、そう教わった>
<しかしだ、とかく我々サイというものは、物心ついた時には既に思考を操れるものだから、この点を蔑ろにしがちなんだな。 防壁って言ったって、所詮電子機器妨害のノイズと大差ない。 パターンは高度であっても、時間はかかるが突破出来ない代物ではない。 それを忘れて貰っては困る。>
<うん>
<防壁は両刃の剣、記憶野から思考の奥底への侵入を困難にすると共に、自身の身体に残った精神も減衰させる。 濁った思考は生命維持以外の能力を著しく弱めるものさ。 当然、思考潜入に対抗する事も困難となる>
<でも、侵入は残留精神が最低の状態でも普通は気付くよ?>
<普通はね。 2重だったら私も気付かれたかも知れない。 しかし、あんたは3重にしていた>
<・・・そうか、外の精神からも見えなくなっていた、と>
<そうだ。 2重は、壁は薄いが精神に思念が割ける。 3重では余裕がない。 破られるまでは強いが、一旦破られれば簡単に『傀儡』となる>
彼は昼間のあの吐き気を催す出来事を思い、深い溜息を吐く。 そんな彼を見つめる『お姉さん』は、
<済まなかったな、教訓を与えるつもりだったが、少しばかりやり過ぎたかも知れないな。 大丈夫か? トラウマにならなければいいが>
<いや、多分大丈夫だよ。 ありがとう、お姉さん。 お陰でひどい事になる前に修正が出来る>
<そうだな。>
『お姉さん』は音も無く立ち上がり、ベッドに座る自分の遺伝子の一部を持つ15の少年を見つめる。
<いいかい? これからは我々の敵は外だけではない。 国はますます先鋭化するだろうし、軍は対内外共に体制を強化することになる。 彼らが我々を兵器として扱う以上、軍は情け容赦無く我々に対するだろうよ。 では、どうするか? いつかは考えなくてはならないだろう>
意味深な言葉に彼は暫く『沈黙』したが、
<お姉さん>
<なんだ?>
<敵と味方に別れるのだけは、ご免だよ?>
『お姉さん』は苦笑のイメージを送ったが、目前の実体は笑っていなかった。
<勿論だ。 お休み、新開少尉>
『お姉さん』は入って来た時と同じく、まるで猫の様に音も立てず部屋を出て行った。 その後ろ姿に、彼も挨拶を送る。
<お休み、飛鳥中佐>
――――――――――
彼の独白は明け方近くまで続いた。 話の内容はまるで信じられないもので、彼女は全て理解出来たのか、自分も夢の中で聞いていたかの様で、さっぱり分からなかった。 ただ一つだけ確かなのは、彼が間違いなく真実を語っていた、という事だ。 確心の理由などない。 彼の話しには生々しい傷痕を見るかのような凄さがあった。 それが感じられる位には、彼の事を理解しているつもりだったのだ。
話終わって、幾らか呆然とする彼の肩に両腕を回し、無言のまま抱きしめた。 彼はされるがまま、壁の一点を見つめていた。 この男が、サイだか能力者だか、彼女が夢想だにしたことの無い特異な人間だとしても、いや、たとえ異星人だろうと彼女は今ここにいる彼を信じるだろう。
そう、彼女がリバーサーと告白しても変わらぬ態度で接し、今も間違いなく国家機密を暴露した彼の事を。