一話
まず最も重要なこととして、ポポルちゃんはとっても可愛いエルフっ娘である。
十四年前、ポポルちゃんは代々優れた魔術師を輩出し続ける名門、ルシファー家に生を受け、五歳でその教えの全てを体得し、七歳で魔導の何たるかを悟って家出した。
実の両親に残した最後の言葉は「凡人が」このただ一言であった。
家を出たあと、ポポルちゃんは王都を離れ、故国である魔導大国ポタミアスを出国し、争いの絶えない血と鉄の国、アストロノスに向かった。
そしてその道中には様々なことが起こった。
初めての敵との遭遇。
初めての殺し合い。
初めての殺人。
初めての信頼できる仲間。
初めての共闘。
初めての宴。
ーー初めての嗜虐心。
ここで、ポポルちゃんは初めて己の心の闇を知るのだった。
そして初めての裏切り。
裏切られたのではない。自ら仲間を裏切った。そこに特に理由は無かったが、この経験により得られた物はあった。
ーー私は人の苦痛に興奮を覚えるのだ。
ポポルちゃん八歳。己がド畜生だと自覚する。
そこから転げ落ちるのは早かった。
ポポルちゃんは息をするように人を殺していった。罪なきを殺し、奪い、欺いた。
時には趣向を凝らし、大掛かりな処刑マシーンなども運用してみた。心踊る時間だったが、やはり自分で殺したという実感が薄く、もうやるまいと心に決めた。
そしてそのころ、スケールの小さい殺しに飽き飽きしていたこともあり、思い切って傭兵団に入団。仕事で敵を殺し、裏では趣味で同僚を殺していた。
ポポルちゃん九歳、己の天職と出会う。
傭兵団はポポルちゃんの活躍でどんどん大きくなっていった。
必然的に、ポポルちゃんも世間にその名を知られていった。
人々は口々に語った。
「少女の顔をした悪魔である」
「人の皮を被った悪魔である」
「悪魔である」
総じて、悪魔であった。
ポポルちゃん十歳。
とある戦場にて敵兵の一団一千人を丸々焼き殺すという偉業を成し、その名を世界に轟かせる。
アストロノス王国において、その名を知らぬ者はいないほどの有名人になったポポルちゃん。しかし同時に指名手配書も張り出される。
なんと、皆殺しにした一千の兵団とは南の大国ルシハーナの軍勢であったのだ。
一国からとはいえ、お尋ね者となったポポルちゃん。これで多少は大人しくなると思いきや、むしろ行動は過激化していく。
ポポルちゃん十二歳。
傭兵団の一員として様々な戦場で獅子奮迅の活躍を見せ、アストロノス王国において「火の魔人」の呼び声高き英雄となったポポルちゃん。だったが……ついに趣味の仲間殺しが露見する。
リークしたのは一人の探偵。このスクープは新聞社を通して国内外に一夜にして広がり、ポポルちゃんは英雄から一転、各国から莫大な懸賞金を掛けられる世界的大悪人となる。
ポポルちゃん十三歳。
いかに魔術の天才といえども、世界中を敵に回すのは分が悪かった。何せ仲間殺しとして知られている。善人はもとより、悪人からも排斥される始末。
こうなっては迫り来る無数の追っ手を常に一人で捌く他なかった。
そしてーーポポルちゃん十四歳。
「う、うう…」
血と鉄の国アストロノス王国。
隣国、魔導大国ポタミアスとの国境にもほど近い辺境の都市トロメア。その貧民街の薄汚い路地裏で、件の少女はその身を横たえていた。
かつての美貌は見る影もない。
金糸のようだった髪は輝きを失い、肌は荒れ果て、瞳は力を失くして虚ろに宙を眺めている。その枝切れのように痩せ細った肢体を包むのは、かつての彼女であったら「ぞうきん」と揶揄していたであろうボロきれ。
すぐ側にはカラスが数羽、少女が力尽きるのを今か今かと待ちわびている。
そんな底の底。もう自力では這い上がることの出来ない、そんな位置まで堕ちに堕ちたポポルちゃん。
今その心中を締めるのは、復讐の意思でも、再起の決意でもなく、ただただ深い後悔のみであった。
何故探偵に気を払わなかったのか、周囲を警戒しなかったのか……そんなレベルではなく、もっと過去。彼女が七歳のころ。
ーーなぜ、家を出てしまったのか。
枯れ果てたと思っていたポポルちゃんの両目から涙が零れ落ちる。
「(ずっとあの家に居れば良かった…)」
そうすれば指名手配なんてされなかった。追い回されることもなかった。いや、それ以前に人殺しの快感に目覚めることもなかった。
そうなれば、自分は平穏無事に毎日を送り、もしかして今頃恋人でも作っていたかもしれない。
「(戻りたい…! あの頃に戻りたい…!)」
すでにポポルちゃんの苛烈極まる性格はなりを潜めていた。ただ逃亡のみに費やしたこの二年間で、彼女のプライドは粉々にへし折れていたのだ。
物心つく前から才女と持て囃され、我が儘も難なく通り、我慢することなく、常に羨望の的だった煌びやかな日々。そこから一転、なんの比喩でもなく泥水を啜る毎日……当然といえば当然の結果である。
「(もう人は殺しません! 傲慢な態度も、我が儘も言いません! これからは心を入れ替えて人の役に立つ、正義の心を持つエルフになります! だから…だから…!)」
もう限界だった。
とめどなく溢れる涙は声なき降伏の証だった。
捕まってもいい。贖罪もする。
人々から石を投げられ、罵声を浴びせられ、あらゆる暴力の限りを尽くされても構わない。
「(ただ…ただ…!)」
ポポルちゃんは、生きたかった。
「いたぞー!! 魔人ポポルだー!!」
「何!? どけ、あれは俺のモンだ!」
「600万Gの首は俺が頂く!」
カラスが飛び立つ。暗く、静かだった路地裏に喧騒が響き渡る。
ポポルちゃん最後の時が迫っていた。
「……! はぁ、はぁ…!」
に、逃げなきゃ。
ポポルちゃんはそう呟いて腹ばいのまま動き始めた。そうせざるを得なかった。それほどまでに衰弱していたのだ。
「(誰か…誰でもいい、助けて…!)」
息も絶え絶えで、己の生の為に必死に両手を動かす。しかし、それも最後の悪あがきに過ぎない。
暗い路地裏。ポポルちゃんの背後から現れた集団は6人。全員が武装しており、目の前の少女の形をした大金に目が眩んでいる。
以前のポポルちゃんならばこの程度片手間の魔法でどうとでも出来た。しかし魔力とは強健な精神に宿るもの。今の身も心も満身創痍なポポルちゃんには、例え僅かな火の粉さえ出すことは難しかった。また、その程度出した所でどうにもならなかった。
ーー集団が迫る。
「(し、死にたくない! 神様! 神様!)」
これまで祈ったことなど一度もない神に心からの祈りを捧げる。
かつてポポルちゃんは神を否定していた。神の存在を信じることなく、その偶像に縛られる信徒には心からの侮蔑を投げつけていたのだ。
この大陸の神は敬虔な信徒こそ尊ぶとされている。
つまり今のポポルちゃんのように、いざ我が身、となったときだけ神頼みするような者には救いは与えられないということだ。
故に。
「ーーやめろ!」
このときポルルちゃんに救いをもたらしたのは、決して神ではなかった。
「誰だ貴様は!」
「どきやがれ! その首は俺が頂く!」
「いや俺だ!」
「黙れ。こんな女の子を……どんな事情があれ、見捨てられるか!」
「お、女の子だぁ!? 兄ちゃん、その娘が誰なのか知ってんのかよ?」
「そいつは火の悪魔ポルル!! 王国の…いや、世界中のお尋ね者! 大悪人だ!」
「あんたが助けてやる価値なんてねぇんだぜ!」
「うるせぇ! この子が誰かなんて知るか! ただ俺は……したいことをするだけだ!」
その場にいる全員が、何言ってんだコイツ……とバカを見る目で目の前の少年を見やる。
そしてしばらくの静寂。
「……ハァ。たまにいるんだよな。こういう自分に酔ったやつ」
しかしそれも長くは続くない。
武装した六人のうち、一人が呆れ顔で抜刀。続いて残りもそれぞれ戦闘態勢にはいった。
「死ね!」
最初に剣を抜いた男が、ポポルちゃんを庇う少年へと向かい駆け出す。その後ろから残りも。
対し、少年の方は無手。ただ両手を広げ、この先にはいかせないと瞳で訴えている。
「オラァ!!」
男の鋭い剣閃! 少年の首が跳ね上がる……かに思えた。
しかし男の剣は、少年の額の五センチほど上でピタリとその勢いを失くしていたのだった。
「てめぇ! 魔術師か!」
「……!」
男がギリギリと力を込める。
しかし刃はこれ以上、一ミリたりとも前には進まなかったのである。いや、それどころか僅かに後退していきーー
バンッ!
「ぐっ!?」
破裂音と共に男は吹き飛ばされたのであった。
男は後ろの数人を巻き込んで倒れこみ、尻餅をついたままに目の前の少年を見上げた。
「お、覚えたからな…その顔を…!」
そして背を向けてあっさりと逃げていく。残る男たちもその様子を見てたちどころに。
力を持つ魔術師とは、一般にそれほど恐れられているものなのだ。
「……ハァ! はぁ…はぁ……し、死ぬかと…!」
裏路地に静寂が戻る。そこに残ったのは気が抜けて思わずその場で両膝をついた少年。そして気を失い倒れ伏すポポルちゃんのみであった。
「ああっ…くそっ!」
少年が一人呻く。
「なんだって俺はこんな…こんな犯罪者を…!」
チラリと自らが助けた少女を見る。
そこには確かに、ここ二年間でよく見るようになった手配書と同じ顔があった。しかし手配書の写真が清楚な美少女に見えるのに対し、目の前の少女からはただ痛々しさしか感じられなかった。
「……こんな子が本当に」
少年の心に、ある疑念が沸き起こる。
「……あー! 取り敢えず家連れて帰って、話聞いて、それからだ!」
少年は壊れ物を扱うように少女を抱えると、できるだけ揺れないように、しかし素早く駆け出した。
もしこの少女が本当に悪人なら町の警備隊に突き出せばいい。
でも、もしそうでないならーー
少年はその瞳に決意を宿し、少女と出会ったこの裏路地を後にした。
そして、これこそがポポルちゃんの第二の人生の始まりであった。彼女がこれから善へ傾くか、それとも悪へ戻るだけなのか。定かではないが、それでも一つだけ確かに言えることがある。
それは先ほども述べた通り、このときポポルちゃんを導いたのは神ではない何者かであるということだ。
つまりこの出会いが万民にとって、そしてこの世界にとっての良事であるとは、とてもではないが言えないのである。