魔王激突
「バルグル。マシーネ。お前たち……メイに何を……!」
光の翼を広げて私たちを見下ろすコダマの声が、怒りに震えていた。
コダマの緑の瞳は冷たく輝き、磨き上げられた氷の様な指先は巨人の上のマシーネを指していた。
「シュ、シュライエか。丁度いい。オマエもバルグルともど」
両腕を失ったマシーネがコダマを見あげて、彼女を挑発しようとしたその時。
ギッ! マシーネの頭が、胸が黒いレース地に覆われたその体が一瞬で倍ほどに膨れ上がり、そのまま炸裂した。
マシーネの身体が、無数の黒い破片になって空中に四散する。
「シュライエの魔氷……! あいかわらずエゲツねえ……!」
地上のバルグルが顏をしかめる。
コダマの放った黒い氷がマシーネの身体を内側から引き裂き、破壊したのだ。
「ゴアアアアア!」
巨人が咆哮した。
バルグルの縛めを解かれたマシーネの傀儡が、振り上げた右手を空中のコダマに叩きつけようとした、だがその時だ。
巨人の動きが止まった。
巨人の全身が小刻みに震えていた、何かが軋むような不気味な音が徐々にその大きさを増して行き、次の瞬間、
ザクッ! 巨人の身体が、バルグルに抉られたその腹部から二つに割れた。
ズズウ……。巨人の上体が腰部からもげ落ちて、土煙を立てながら地上に落下した。
制御を失った巨人の下半身が、地面に膝を着き、そのまま地上に倒れ込む。
「魔氷炸裂……!」
空中のコダマが巨人の残骸を指差して、冷たくそう呟いていた。
その時だった。
「どうかしてる! ついていけない!」
地上に落ちた巨人の内部から、狼狽えたような少女の声。
魔王マシーネの声だった。
と同時に、バルグルに抉られ魔氷に裂かれた巨人の腹部から、ユラリと何かが飛びだしてくる。
それはチカチカと赤い光を瞬かせた、宙に浮いた小さな球体だった。
「あいつがマシーネ……? 本体の一部をこっちに送り込んでいたのか!?」
何かを察したバルグルが呻く。
ビュッ! バルグルが自身の蓬髪の一部を銀色の刃に変えると、赤い光球めがけて撃ち放った。
刃が風を切り、宙に浮く光の球を掠める。
「ひやらあああ!」
「逃がさねえマシーネ……!」
情けない声を上げながら、何処かに飛び去ろうとする光球に、獣王が再び自身の刃を放とうとした、だがその時だった。
「獣王バルグル……!」
マシーネの巨人を屠り去ったコダマが、今度は地上のバルグルを見下ろした。
「この私から吹雪の国を奪い、今度はメイを奪おうというのか!」
「待てシュライエ! お前のメイは、あいつは……!」
コダマに何かを言おうとするバルグルだったが、その言葉は彼女に届いていないようだった。
「滅ぼしてやる! 二度とメイに近づけぬよう!」
「ぬううう!」
右手の斧を構え、バルグルは呻いた。シュライエの周囲に、黒光りする無数の氷柱が形成されていった。
夜の空を、トロポサイトの上空全体を、奇怪な黒い氷柱が覆ってゆく!
「くるかシュライエ!」
獣王がコダマを見上げて吼えた。
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「くそくそくそくそ! やっぱりまだこっちの機械じゃ不完全だ……仕切り直し仕切り直し……」
崩れかけた集合住宅の一棟の内部を、弱々しい声で何かを呟きながら、チカチカと赤く瞬く小さな球体が漂っていた。
よく見れば球体は、真っ赤な瞳を輝かせた、ガラス細工の眼球だった。
「ハルの馬鹿! ハルの無能! 今度会ったらオシオキなんだから。見てろよシュライエ! 覚えてろバルグル! 次にヤル時は、増殖都市の調整者たるこのボクの本当の力を、本当の恐ろしさを……!」
ブツブツと訳のわからない事を呟きながら、眼球は集合住宅の室内に浮かんだ一点、陽炎のような小さな揺らぎに向かって進んで行くようだった。
影の世界と人間世界を結ぶ小さな『綻び』。今にも消えかけようとしている接界点だった。
眼球が接界点に触れあって、向こう側の世界に消えようとした、丁度その時。
ペチン。
私の手が、眼球を床に払い落した。
「はわわー!」
剥き出しになったコンクリートの上に転がった眼球が狼狽の声を上げる。
向こう側に逃げるに必死だったのだろうか。
接界点の位置を察した私が蝶に変じて、この部屋に先回りしていたことに気付いていなかったようだ。
カッ。黒革の私の靴が、眼球を床面に踏み止めた。
「なっ! 何をするだァー! この下賤の吸血鬼が! 無礼者、やめろ! 痛い! 痛い! 痛い!」
「マシーネ様。私も……痛かったんですよ……」
床から情けない声を上げるマシーネを見て、私は薄っすらと嗤った。
こいつのおかげで、私は身体の半分を失った。
今しばらくは、レイカの身体よりも更に無力な、この幼女の姿で過ごさねばならない。
グチャリ。
私は靴の先で、マシーネの眼球を思い切り踏み潰した。
キャアアアアア!
途端、私は感じた。
接界点の向こうから響いて来る、か細い悲鳴を。
私は接界点を向く。既に小指の先ほどまでに収縮してしまった揺らぎの彼方、『綻び』の彼方の景色を。
刹那、私は垣間見た。
蠢き絡まり合った無数のチューブ、連動し回転する無数の歯車、伸縮する何万本ものシリンダー。
絶えず変形、増殖を繰り返す増殖都市。その深奥の玉座で悲痛な呻きを漏らす、一人の黒衣の少女の姿を。
取り払われた眼鏡。ポッカリあいた左の眼窩から流れる血の涙が、真珠のような白い肌を伝う。
残された右目が真っ赤に輝き、綻びのこちら側に立つ私を睨みつける。あどけない少女の貌が、怒りに歪んでいた。
「ユルサナイ……! みんな消えちゃえ!」
接界点の向こうの少女、魔王マシーネ本体の唇から、掠れた声が漏れる。
私の足元の眼球が、キチキチと軋んだ音を立てる。
ズズウ……。
突然、大地がゆれた。
集合住宅全体が、大きく振動し、崩れかけた壁面にミシミシと亀裂が入ってゆく。
「しまった……メイ!」
私は消えゆく接界点から目をそらし、再び蝶に変じて廃屋の部屋から飛び去った。
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「消えろ! 消えろ! 消えろ!」
「うおおシュライエ!」
外では、コダマとバルグルの戦いが続いていた。
コダマが夜の空に浮かべた無数の氷柱がバルグルめがけて飛んで行く。
獣王が蓬髪を変じさせた銀色の刃で氷柱を撃ち落とし、斧で氷柱を打ち払い、噴き上げた炎で全身から炎で氷柱を溶かしてゆく。
だがコダマの氷柱の数は圧倒的だった。風を切る刃の間を縫い、振われた斧をかいくぐり、炎を貫き、つららの何本かは確実に獣王に食い込み、彼の鱗鎧を砕いていく。
「なぜだ、なぜだバルグル! 魔王たちの中では一番話の分かる男だと思っていた……なのに!」
悲鳴にも似た声でコダマが叫んだ。
「なぜあんなことを! なぜ私からお城を奪う! なぜ私からメイを奪う!」
「うるせえ! 俺にはやらなきゃならねえ事があるんだ! そのためにはシュライエ! 例えお前でも……!」
コダマの氷を受けながら、なおも怯まず、獣王は斧を振りかぶった。
「邪魔はさせない!」
バルグルの斧から放たれた炎がシュライエの脇を掠り、背後の集合住宅の一棟を断ち割った。
轟音を上げて廃屋が崩れる。
「ぐっ! オルカンの破城斧……!」
獣王の斧の威力に、コダマの身体が一瞬竦んだ、まさにその時、
タッ! バルグルが飛んだ。空中の氷柱を斧で叩き割りながら一直線。獣王がコダマの懐に飛び込んだ。
そして、ズドン! 再び振るわれたバルグルの斧が、コダマの胸に叩きこまれていた。
「ぐうああ! バルグル!」
「これで、終わりだあ!」
苦悶の声を上げたコダマの氷柱が、バルグルを包囲する。バルグルの斧が一際激しい炎を噴き上げてコダマの胸を裂く。
互いが互いの命を絶つべく、次の一撃を放とうとした、その時だった。
「バルグル! コダマさん!」
集合住宅の内からメイのもとに駆けつけ、氷の籠からメイを抱え上げながら、私は空中の二人に叫んだ。
「メイ!」
「リーリエ!」
コダマはメイの名を、バルグルは私の名を呼んだ。
「メイちゃんを連れて、早くここを去らねば。でないと……」
私の言葉が終わる前に、状況は私の予想する最悪の方向に動き始めた。
ズズズズズ……。地上に斃れたマシーネの巨人の残骸が、急激に膨れ上がり、その表面からパチパチと紫の火花が瞬き出す。
ミンナ消エチャエ……
私の耳に、魔王マシーネの怨嗟が甦る。
「メイ!」
私はメイを抱きすくめた。
「いけねえ! リーリエ!」
最初に事態を察した魔王はバルグルの方だった。
バルグルがコダマに突き立てた斧から手を放すと、次の瞬間、ビュン!
背中に生じさせた黄金の翼を撓わせて、弾丸のような速さで地上の私とメイに接近してきた。
「バルグル! 何を!」
口から青い血を噴きながら、空中のコダマが呻く。
後から思えばコダマの目には、私がメイを奪い、バルグルがメイに襲いかかったように見えたのだろう。
「メイを……やめろお!」
バルグルの背を指差しコダマが叫んだ。
ヒイイイイン……。辺りの気温が更に下がった。
次の瞬間、地上に降り立つ直前のバルグルの右胸が内側から膨れ上がると……!
ギギギギギイイイ……! 黒銀色の鱗鎧を砕き、バルグルの上体をコダマの魔氷が貫き、引き裂いた!
「ガアアアアアア!」
「バルグルよ!」
苦悶の咆哮を上げるバルグルだったが、獣王の膝が踏みしめた地面に屈することはなかった。
「リーリエ。伏せてろ!」
私とメイの目前に立った獣王が唸る。
裂かれた上体から広がった黄金の翼が、私とメイの身体を覆ってゆく。
次の瞬間。ズドン。
轟音が鳴り渡った。空気が震えた。
膨れ上がったマシーネの巨人の残骸が、爆炎を噴き上げた。
爆風が辺りを薙ぎ払い、爆炎と無数の飛礫が私たちに襲いかかって来た。
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「ううううう……!」
爆風が過ぎ去り、炎がその勢いを弱めた頃、バルグルの翼に匿われてどうにか難を逃れた私は、獣王の庇護の下から立ち上がった。
「リーリエ。無事か……」
そう私に呼びかける獣王の姿は、とても無事と呼べるものではなかったが。
爆炎に焼かれて、獣王の黄金の翼はボロボロだった。
黒銀の鎧は無残に砕けていた。何よりも凄惨なのはバルグルの上体だった。
コダマの放った氷に、ザックリと割られている。バルグルはもう、この場から動くことができないようだった。
「メイは……メイ……ああ!」
抱きかかえたメイの無事を確認しようと彼女の体を検めた私は、絶望の呻きを上げた。
メイの身体、元気よくバタついていた小さな手と足が、今はグッタリ弛緩していた。
メイの息が、弱々しかった。もう泣くこともできないようだった。
獣王の翼の合間をかいくぐって飛んできた弾丸のような飛礫が、メイの身体を貫いていた。
しろいおくるみが、今は赤く血に濡れていた。
「メイ……? メイ……?」
そして私の手の内のメイに、呆然とそう呼びかける者がいた。
爆風でボロボロになった光の翼。バルグルに割られた胸から止めどなく流れる青い血。
緑に輝くその瞳が、眼前の光景を拒絶するかのように宙を泳いでいた。
私の前に立ちメイを見下ろしていたのは、磨き上げられた氷のようなその貌から表情を失った、秋尽コダマだった。




