傀儡師の罠
キョウヤとコダマがメイを授かってから、三月が過ぎていた。
キョウヤとコダマは初めての育児に翻弄され、秋尽の家には幸福な喧騒が訪れていた。
私とユウコの関係も、平穏に保たれていた。
私とユウコもまた、この家の新たな家族の世話に掛りきりになっていた。
ユウコもあの夜の事を私に口にすることは決してなく、私とユウコは笑いながら家事をこなし、いつまでたっても上達しないコダマの料理を、交互に厳しい監督するのも、これまでと変わらない二人の役目だった。
だが私は知っていた。
あの夜、ユウコが私の手からコダマの子供を取り上げて以来、彼女が決して私に気を許していない事を。
私の存在を猜疑と警戒の目で見ていることを。
コダマとキョウヤは気づいているのだろうか?
いつの頃からか工房館の寝室に、リビングに、庭先に仕込まれた幾つもの装置から感じる『視線』を。
定期的に館の周囲を飛び回っている小さな機械。ヒトの言葉でいう『ドローン』の存在を。
ユウコが手配したのだ。何者かの手を借りて、屋敷に装置を仕込み、ドローンを配して、四六時中この私を……監視するために!
だが私は気にも掛けなかった。
私はメイにも、コダマにもキョウヤにも害をなすつもりはなかった。無論ユウコにも。
私はこの館での生活に、コダマやキョウヤやメイと囲む食卓に奇妙な安寧を覚えて……楽しんですらいたのだ。
ただ一つの気掛かりが、ユウコが私から取り上げた子供の行方だった。
強力な魔気を秘した魔王の子。私の計画を狂わせかねない障壁。
ユウコはあの日以来、月に一度、一日か二日ほど館を空けるようになっていた。
「古い知り合いに会うの」
私たちにはそう告げて。
おそらくはコダマの子に関わりのある者。この館に監視の目を引いたユウコの『協力者』。
いずれは調べて、事を成さねばならなかった。
誰か、『下僕』を作ってでも。
だがそんな私の憂慮も、秋尽の家を包んだ幸福な空気に影を差す事はなかった。
コダマとキョウヤの間に笑顔は絶えず、メイもまた日々スクスクと育ってゆく。
あと一年、二年、三年……。
秋尽の家の幸福は続いてゆく……私もそんな気がしていた。
だが、そんな平穏な日々は、ある日突然脆くも崩れた。
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「じゃあレイカさん。行って来るね。メイのこと、よろしくね……」
「わかりましたコダマさん」
ある日の昼下がりの事だった。
寝かしつけたメイを私に預けると、コダマは買い物に出かけることを私に告げた。
夕飯の準備のため聖ヶ丘の麓のスーパーまで。山道の往復で1時間かかるが、週に一度割り当てられたコダマの役目だった。
メイの様子は私が見守る。コダマが私に寄せる信頼は絶大だった。
私はベビーベッドにメイを寝かせながら、コダマを見送る。
ユウコは月に一度の、例の外出だった。帰って来るのは夕刻だろう。
「えー繰り返しお伝えします。本日正午に同時発生したシステム障害のため、現在。京皇線、小田原線およびJR全線で運転を見合わせており……」
「ただいま入った情報によりますと、現在国道20号線にかけられた交通規制が、先程解除されたとの……あ、解除されていない?」
居間に置かれたテレビから、せわしない様子で聞こえて来る交通情報。
今日は朝から何か様子がおかしかった。
ヒトの社会を運用、管理する機械のシステムに、原因不明のトラブルが頻発しているようなのだ。
「あの……コダマさん」
「なに?」
テレビの伝えるニュースが気に掛り、私は思わずコダマを呼び止めた。
「えーと。気をつけてくださいね。外は色々騒がしいみたいだし……」
「わかっているわ。でも麓に買い物に行くだけじゃないの。おかしなレイカさん」
私の言葉に、コダマは笑ってそう答えると、玄関を開け買い物に出掛けて行った。
「こうして見ると本当、人間と変わらない……」
メイと二人きりになった工房館。
私はベッドの上で穏やかな寝息を立てるメイを見下ろし、ポツリそう呟いた。
「そうだ、あれの用意を……」
私は再び胸の内に頭をもたげてきた悲愁を振り払うように、寝室に置かれた書机を向いた。
便箋と封筒は用意してある。私は便箋を広げてペンを執る。
ユウコに宛てた、あの日の夜の事を詫びる手紙だった。
彼女が帰って来る前に書き上げておかなければ。
そんな手紙であのユウコの心が変わる事は無いのは知っているが、少なくとも秋尽の家での営みを、いくらか円滑に、より和やかに変えてくれることを期待して……。
その頃の私は、そのようなヒト同士の些事ですら楽しみ、好ましく感じるようになっていた。
言葉を選び選び、私が便箋の上にペンを走らせながら、どれくらい経った頃か。
パラパラパラパラ……
私とメイの居る館の寝室、工房館の二階の窓の外から、乾いた羽音が聞こえて来た。
『ドローン』だ。私は耳を澄ます。
ユウコの協力者が館に配した機械。館の周囲を定期的に飛び回りながら、私の姿を追う監視者の目。
だが今日は、何か様子がおかしかった。
パラパラパラパラ……
「近づいて来る?」
私は机から貌を上げた。訝し気に辺りを見回した。
普段は館と一定の距離を保ちながら周囲を旋回するだけのはずのドローンが、寝室の窓に向って、一直線に接近してくるのだ。
「一体、何が?」
私は机から立ち、窓辺を向く。
窓の外、ガラス一枚を隔てて、異様な姿の機会が空中に浮揚していた。
せわしなく回転する四枚の羽。チカチカと赤く瞬いた、目のようなレンズ。
私は異変を察した。
いつものドローンから感じる『視線』とは異っている。
感じるのは『殺気』と、微かな……『魔気』だった!
「いけない!」
私は咄嗟にベッドに駆け寄る、メイを抱え上げ窓際から離れる。
次の瞬間、ジュッ!
窓の外のドローンから放たれた赤い糸の様な熱線が、さっきまでメイを寝かせていたベッドに突き刺さる、小さな黒い焦げ目を作った。
「何が……何が起きている!」
狼狽した私はメイを抱きながら階下へ駆け下りる。
メイが目を覚ます。火が付いたように泣き始める。
何者かがユウコの配したドローンを操り、私とメイを攻撃してきたのだ。
キョウヤは仕事に出ている。コダマも外出中。
私だけで何とかこの場を逃れなくては。メイを……守らねば。
私は工房館の玄関を飛びだすと庭を抜け、門を潜り麓までの下り道を全力で駆け出した。
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ハア、ハア、ハア……
メイを抱き、息を切らし、私は山道をひた走る。
背後からはドローンの乾いた羽音。だが鬱蒼と茂った山道の樹々の枝葉は、上空からの私たちの補足を困難にしているようだった。
私の背後から二度、三度と放たれる熱線が、枝葉に阻まれ、私とメイに届かない。
麓に下りれば、ヒトの居る場所にさえ出れば……。その一念で私は走った。
やがて目の前が開けて、車道や民家が視界に飛び込む。
「止まって、止まってください!」
側道に転がり出た私は、道行く車の一台に手を上げる。
ヒトの世での移動に使われる『タクシー』を。
キキ……。黄色い車体に赤いラインを施した車の一台が、私たちの目の前停車した。
「すみません。駅の方まで。なるべく早く……」
開け放たれたサイドドア向かってそう言いながら、メイを抱いた私が車に乗ろうとした、だがその時だった。
「……!」
運転席に目を遣った私は、愕然として息を飲んだ。
前方の座席には、誰も乗っていなかった。車は無人だった。
「まさか、まさか!」
私は周囲を見回す。
上下車線を無視して、私とメイの周囲に、次々と車が停車して行く。
キキ……キキ……キキ……。
ミニバン、軽トラック、スポーツカー……。
どれも無人。
そして、更に異様な事が起きた。
停車た車の車体が、一斉に軋んだ音を上げ始めると、次の瞬間、ギシギシギシ……。
金属の擦り合わさる奇怪な駆動音が、あたりに響いた。
タクシーの、軽トラックの、この場に集った車のボンネットが、フロントドアが、バンパーが、そのボディ全体が、まるで寄木細工か何かの様にガチャガチャと展開しながら、捩じれ、絡まり合い、その姿形を……変えていく!
そして車たちが、自らの脚で……立ち上がった。
「『魔王マシーネ』!」
私は奇怪な襲撃者の正体にようやく気付き、愕然とした。
今、私とメイを取り囲んでいるのは人間世界の車からその姿を変じた、銀色の鎧にその身を包んだ、巨大な7体の機械人形だった。
そして影の世界を巡っていた頃、この姿に、この業に、私は覚えがあった。
機械仕掛けの人形を、自らの肉体の一部の如く操る傀儡師の業を。
「ううあ!」
私を悲鳴を上げる。
ズズン。機械人形の一体が私にむかってその鉄腕を振り下ろしたのだ。
衝撃に耐えきれず、その場に転がる私の身体。私の腕を離れたメイが、車道に転がり出た。
「メイ……! だめよ!」
機械人形の一体が、その指先でおくるみに包まれたメイを掴み上げる。
「苦労したよ。時間がかかった。やっとこちらにアクセスできた。この子供は……貌は確かに……魔王シュライエ!? だが身体は人間? 一体何が起きている……」
自身の手の中のメイを見下ろし、機械人形の銀色の頭部から、くぐもった声が漏れる。
「お止めください!」
私は路面から立ち上がると、メイを掴んだ人形にそう訴えた。
「なぜですマシーネ! 自らの生み出した『増殖都市』の繁栄と調整にしか関心の無いあなたが、なぜ今この世界に干渉を!?」
「オマエは確か……闇の森の吸血鬼?」
人形たちが一斉に、私を見下ろした。
私は感じた。傀儡師の気配。背後から人形を操る者の殺気が私に向けられるのを。
「だめ!」
ザザアアアア……その場から逃れるために、私は咄嗟に蝶に変じる。
私の身体が、何百頭もの黒翅の蝶へと再構成される。
人形たちの目を晦まし、なんとかメイを取り戻さねば。
だが……
次の瞬間、無数の蝶に遍在した私の魂が絶望の声を上げた。
ヒュン……ヒュン……ヒュン……
人形たちの頭部から一斉に放たれた幾筋もの真っ赤な熱線が、私の蝶を一頭ずつ撃ち落とし、焼き尽くしてゆく。
「いけない……!」
私は呻く。
このまま蝶たちが全て焼き尽くされてしまったら……。
私の身体が持っていかれてしまったら……!
私は人形たちから距離を取り、私の肉体を再構成する。
既に半分ほどに量を減じた私の肉体が、少女の姿になって路上に転がる。
「『魔王シュライエ』……『大接界』……か。この子供には興味があるけど……」
人形たちが再び私を向いた。
「オマエはいいや。もう消えちゃえ……」
人形たちの頭部が、再びチカチカと赤く瞬き始めた。だが、その時だった。
ズドン!
突然の轟音。
人形の一体が、一瞬にして、拉げて砕けた。
上空から地上に激突してきた何かが、人形を破壊したのだ。
「朝から様子がおかしいから、リーリエんトコに戻ってみれば……!」
野太い声でそう呟きながら、濛々たる土煙の中から一人の男が立ち上がった。
「あなたは!」
私は目前に降り立った男の威容を見あげて、再び驚きの声を上げた。
「ふん。『からくり街のマシーネ』か……。自分の街にしか興味の無い引き籠りの傀儡師が、どうしてコッチにシャシャリ出て来た?」
人形たちを一瞥して、男はそう言い放った。
男の纏った黒革のロングコートが、みるみる黒銀の鱗鎧に変容して行く。
男の右手から噴き上がった青黒い炎が、巨大な斧に変わってゆく。
風に靡いた銀色の蓬髪。幾筋もの刀創の刻まれた獰猛な面構え。
男は獣王バルグルだった。




